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考えることにゆたかさを感じる

 僕は考えることにゆたかさを感じる。なぜなら常に変化するから。最近はそれをすごく感じる。積極的に情報を得たり発信するようになり考えが常に変化するようになった。どんどん知識を得て考えが深まっている。僕はそこに幸せを感じている。その理由ももちろんある。 

 僕はいつもどんな瞬間にゆたかさを感じるのだろうか。そう考えると難しい。でも今みんなが共通するのは「人に会う」ことかもしれない。僕もそうで今は人に会いたくてしょうがない。でも本当にそうだろうか。僕が思うにそれは「人に会っていないから」なのであって、自粛期間になるまで当たり前に会っていた時は何も思わなかったはず。僕は1人の時間が大好きだ。むしろその時間が多い方がいい。でもそれは人に会っていたからで、今は人に会いたいと思っている。ということは僕にとって本当にゆたかなことではないと思う。またこれは人間に共通することだと思うが、人はじっとすることができない。なぜなら自分の身体も思考も時間とともに変化していくから常に変化が欲しいと思っている。だから僕は考えることが変化をもたらしてくれるからゆたかさを感じる。そしてゆたかさには「変化」が必要だと思う。


・ここから先は読みたい人だけ

 昨日のキングコング西野さんのラジオを聞いて僕自身にぐさっときた。今後述べたいことは先に500字程度でまとめようと思う。なぜならそれだけで十分だからだ。初めて見る人にとってはやはりいくら僕が正しい内容のことを綺麗なレイアウトで2000〜3000字とかで書いても読んでもらえないことがある。でも読んで欲しい気持ちもある。だったら本当に伝えたいことを先に全て述べてしまって読みたい人にその先を読んでもらえば良いとおもった。かといって書きたいことを最初に書いてしまったらその先に書くことはあるのかということになるが、僕はここに「経験」を書こうと思う。最初に述べたい事を書き、その先にその考えを裏付ける経験を書けば良いと思った。多分これまで長く書いていたほとんどは経験とかだから。


・「ゆたかさ」とは

 実際にこの「ゆたかさ」について考えなければいけないわけだが、そもそもどういった意味があるのか。広くは「不足がない」という事になり、身も心も余裕があり落ち着いている状態という事である。僕の場合は人に会いすぎるとそこが不足してしまう。また会わない状態が続けばそれもまた不足してしまう。つまり僕は人に会う事でゆたかさを実感する事はない。すごく友達や会ってくれる人たちに失礼な事を言っているようだけれどもあくまでトータルで考えた時の話であり、その都度楽しいと感じている事に偽りはない。

 僕自身に問いかける形になるが、考える事がゆたかさであるとするならば、考えて悩んだとしても、それを自分はゆたかだと言えるのか。これに僕はこう答える。それもゆたかというよりも考える事で別に悩む事はない。悩むというのは考えが煮詰まっている状態である。つまり変化がない状態。僕は最初に言ったように考えて自分を変化させる事にゆたかさを感じる。今までは煮詰まる事が多かった。だから楽しくなかった。考えるということに悩みがセットされていると思われるのは少し違う。それは人に会い続けるだけではゆたかさを感じられないのと同じ意味だと僕は思う。考えるというのは悩む事が大事な事ではないと僕は思う。考える事はその先のアウトプットやそこから生まれる変化が大事である。

 ちなみに言っておくが、僕は人に会うとか会わないとかがゆたかさを感じられないということを述べているのではなくて、人が変化しないことに対してゆたかさを感じないということを述べている。つまり考えることがゆたかさをもたらすというのはあくまで僕個人の考えである。だからこの期間でいろんなものが変化していくようになったのも事実だ。変化させないことや今まであったものにゆたかさを感じていたが、この状況になったらどんどん人の考え方、あり方、世の中の形態にも変化が必要になった。なので僕は人間はそれぞれゆたかさの形はあるが、そこには広く変化が必要だと考える。



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