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私にとって「英語を象徴する存在」だったあの人

こんにちは彭城吾朗(さかきごろう)です。

今年の宮城の冬はそんなに寒くないのかも。
みなさんはどちらにお住まいでしょうか。

英検2週間前になり、
けっこう焦っています。
詳細は省きますが、
今後の人生のためにどうしても今のうちに英検1級を取得しておきたくて、
英検1級をこれから受けるわけですが、
じつは過去に三度も落ちています。
いちおう準1級はもってるんですが。
これだけ勉強しても(といっても足りてないのかな?)何度も落ちるのは、
やっぱり語学の素質がないのかもしれません。
でも、
英語の勉強好きなので、
まあいいかと。

本日は、
詩人と英語との出会いについて。

家が英語塾なせいもあり、
小学3年生くらいから英語は強制的に学ばされていましたが、
基本的にずっと嫌いでした。
中学にあがって英語で歌われる洋楽ロックに目覚めましたが、
それでも英語という言語にはまだほとんど関心がありませんでした。
そもそも歌詞を気にせずに音だけを楽しめるから洋楽を好きになったわけで。
その後、
18歳のときに衝撃の出会いがありました。
イギリスのシューゲイザーバンドLushのリードボーカル、
Miki Berenyiという、
日本とハンガリーのハーフの女性を雑誌を通じて知ったことです。
恋なのか、何なのか、
彼女を見ているとまるで前世から深い縁があったかのような気持ちになって、
ぞっこんになりました。
Lushの音楽にも惚れ込みました。
それがそのまま私が英語を愛する最初のきっかけとなりました。
自分の中ではこの時が自分と英語との本当の出会いだったと位置づけています。
MIkiは日本語は話せないようで、
英語がネイティブなのですが、
顔はほとんど日本人の顔です(見出し画像参照)。
私は当時音楽を始めて数年といったところでしたが、
日本人の顔をして英語で歌うMIkiの姿に大きな啓示を受け、
自分も英語でオリジナル曲を作って歌い、
それで海外でも有名なミュージシャンになって、
愛しのMikiにもその存在を知ってもらいたい、
そう思いました。
そうして偏差値50からの英語独学を始め、
二ヶ月で偏差値70まで上げました。
ちょうど予備校の頃です。
恋の力ですね。
すぐに英語による作詞も始め、
そりゃもちろん下手でしたが、
外国語で詞を書くということがなんとも秘密めいた喜びで、
楽しかったです。
人生がついにスタートした、
そういうフレッシュな実感がありました。
Mikiを知る前は国文科志望だったのですが、
Mikiを知って英文科志望にチェンジしました。

その後、
東京の私立大学の英文科に合格して上京し、
都内で熱心なバンド活動に自分を投入。
が、
バンドではデビューが叶わないまま何年も時が流れました。
それでも、
30歳頃まで英語作詞は続けました。

詳しい経緯は省きますが、
32歳のとき、
Mikiと共通の知り合いができて、
その人経由でMikiに私が描いたMikiの肖像画を届けてもらいました。
そしたらMIki本人からお礼の手紙が来て、
とっても嬉しかった思い出です。
家宝みたいになってます。

そしてさらに時は流れ、
去年2022年9月に、
個人的に30年近く待望したMIkiの自叙伝、
「Fingers Crossed」が出版されました(見出し画像参照)。
素敵な装丁の本でした。
すぐにアマゾンで購入しましたが、
じつはまだ読んでいません。
なんだかあのMikiの本ということで、
構えてしまっているようです。
でも近日読み始めます。

とまあ、
若かりし頃のMikiと出会い英語に恋をしたときの話を書いてみました。
自分の人生の中でとても印象深いことだったし、どういうわけか人生の転換点でいつもMikiのことを振り返ります。

ではこのへんで。

今月私と同じく英検にチェレンジする方、
いっしょに頑張りましょうね。

ではまた次回。

《今日の自薦自作詩》

「プラトニック」

15の夏、
君が手帳に記した悲しみの言葉、
かなわぬ恋の微熱、
疲れ果てた肉体、
針金のように細かった身体と、
それで精一杯支え続けた夢、また夢、
そう、
あの頃はまだ何ら始まってさえいなかった、

言葉を交わすことすら一度もないまま、
ぼくの前から消え去った彼女、
その後何十年でも考えさせられた、
プラトニックのヒントだけを残し。

愛の夢、
希望の果て、
全ての細胞でもって合わさることを望んだ青春。

長いトンネルを潜り抜けて、
大粒の涙だけを残し。


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