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反抗期、ありがとう

むすめに依存しないように細心の注意を払っていたはずだった。
義母が夫に強力に依存していて、夫はそのせいでできた歪みに大人になってからも苦しめられていたから、わたしは絶対にこどもに依存しないと心に誓っていたし、そうしない自信があった。

わたしは元来心配性じゃないし、むすこの不登校を経験したおかげで今ではこどもを自分の思い通りにコントロールしようとすることもほとんどない。ほかのお母さんたちに比べてもリベラルであると自負していた。

ところがむすめが中学生になって思春期になり、親よりもともだちに夢中になる時期に突入すると、不覚にもわたしは寂しさを感じたのだ。

むすめが思春期になってわたしに反抗するようになったことは、わたしを唯一無二の親として絶対的な正義として無条件に受け入れている状態から、良いところも悪いところもあるふつうのひとりの人間として親をフラットに見れるようになったということを意味する。
それはなにより喜ばしく、順調に成長している証でもある。

でもいままでは外食しようと言うと、大喜びでどこへでもついてきたのが、中学校になったとたん、どこにもついてこなくなった。
わたしが生理前などに理不尽にイライラしている様子を冷ややかな目で見られることもふえた。

わたしとむすめの間にこれまでなかった距離が生まれた。

これがわたしには地味に応えた。


夫が亡くなってから、むすめと外食するのはわたしの大きな楽しみのひとつになっていた。
家で料理するのは自分だけだという環境で、他人が作ったおいしいごはんが食べられる。なにより夕食づくりと後片付けをスキップできる。そしてむすめがよろこんでくれる。

でもむすめはついてこなくなった。もうどう誘っても全然ついてこない。家でカップラーメン食べてゴロゴロしてたいと言う、、、。

この半年、わたしは隙あらばごはんに誘い続け、むすめは「疲れてる」と断り続けた。
そうやってとことん突き放されてはじめて、わたしはむすめと距離が近くなりすぎていたことに気づくことができた。

むすめは愛嬌があってかわいいしユーモアのセンスもある。空気が読めて気遣いができる。一緒にいると楽で心地よいし楽しい。
なによりむすめはわたしのことが大好きでわたしを傷つけない。当たり前だ、わたしは彼女の母親で、いまや彼女が頼れるたった一人の親なのだから。

母親にとってむすめという存在はこの上なく便利な存在だ。とくにコミュニケーションが苦手な母親にとってはむすめほど都合の良い存在はない。
自分が育ててきたから趣味嗜好をお互い熟知している。気心が知れているから他人のように気を遣わなくていいし、それでいていざという場面では母親という強大な権力を振りかざすことができる。
いっけん対等のようでいてまったく対等ではない関係。
むすめがこどもであることを諦めて大人のように振る舞ってくれれば、ともだちのような関係になることもできる。やろうと思えば愚痴を延々と垂れ流すこともできるし、母親の恋愛相談だって可能だ。それは実際にはほとんどむすめの我慢と諦めの上に成り立っているのだけど‥。

わたしはむすめに対して圧倒的に有利な立場にあって、その関係にいつの間にかあぐらをかいてしまっていた。
わたしはむすめに少し甘えすぎていたようだ。

むすめに突き放されてはじめてそれに気づくことができた。


そうだ、もうむすめはなにもできないあかちゃんじゃないのだ。手をとって導いてきたあの幼いむすめはもういない。ここにいるのはもうほとんど大人と言えるほど成長した一人の少女だ。もちろんまだ未熟な部分も多いし助けも必要だろう。頼られることも甘えられることもまだまだある。

だけど同時にもうわたしとは完全に別の「ひとりの人間」なのだ。

むすめの反抗期はわたしにそれを教えてくれた。


もう手をはなしてだいじょうぶなんだ。
手をはなさなければいけないんだ。

ならばわたしも自分の楽しみを謳歌しよう。
いままでできなかったことをやってみよう。
むすめが楽しんでいる姿を1ミリの曇りもなく喜べるわたしであれるように、わたしもまた全力でこの人生を楽しもう。

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