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「ダルちゃん」

「擬態」

この本を読むとたくさんこの言葉と出会う。その度に「「普通」ってなんだろう」とつい考えてしまう。


この物語は資生堂の「花椿」サイトで連載されていたもの。途中まで読んでいたのだけど、知らない間に連載が終了し、よく行く本屋で単行本化されていたのを見つけた。

「ダルちゃん」は普段は人間の姿に「擬態」して、派遣社員として働いていているけれど、気を抜くとダルダル星人になってしまう。

ただし、会社はダルちゃんにとって好きな場所だったりする。それは与えられた役割を果たすことで、居場所が得られるから。

呑み会をきっかけに同僚の営業担当の男性社員と、接近することになるのだけど、ここでダルちゃんは思いがけないダメージを負うことになる。それと引き換えにサトウさんという友人ができる。

サトウさんが貸してくれた詩集をきっかけに、詩の世界に触れるダルちゃん、そして同僚のヒロセさんに惹かれることで、彼女は今まで自分が想定していなかった世界に触れることになる。

しかし、そのことはダルちゃんに葛藤をもたらすことになる。

表現することで得られる幸せ。
「普通」になることで手に入れられる幸せ。

どちらを選択すればいいのか。

揺れる気持ちの中、ダルちゃんはコウダさん(サトウさんの恋人)にこう声をかけられる。

「普通の人なんてこの世に一人もいないんだよ 
ただの一人もいないんだよ
存在しないまぼろしを
幸運の鍵だなんて思ってはいけないよ」

その後、ダルちゃんはある決断をする。どちらの幸せを取ろうにも痛みを伴うものだったけど、「擬態」している自分も肯定できることに気づく。

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本を読んでいる私自身は、周囲とあまり馴染めなかったこともあり、「普通でいるのはかなり大変だった記憶がある。ただし、年齢を重ねるごとに極力「普通」でいることに慣れていくようになった。一方でここ数年は、喜びや悲しみに鈍感になっていたのも事実だ。

しかし、昨年思いがけずインタビューというものを受けることになり、自分の興味を掘り下げる機会を得る事ができた。そのなかで気づいたのは

「自分の興味を追求することは、自分に喜びをもたらす。また素直に向き合っていれば、そのことに興味を持ってくれたり、肯定してくれる人は必ず出てくる」ということだった。

そのことをダルちゃんを読んで改めて思い出した気がする。

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ダルちゃんが、ある決断をし、新しい一歩を踏み出した中、サトウさんと再開し、ダルちゃんにある報告をする。ラストシーンは桜が咲いた背景の中、ダルちゃんの独白で終わる。

その言葉は、「普通」でいようとする人にとっても響くものなのかな、と思う。

ちなみにこちらの記事も、個人的にはよかったので、是非。

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