見出し画像

茶道のお稽古を1年続けてみた

昨年から月1回、茶道のお稽古を続けています。とりとめもなく綴る回ですが、ご興味のある方はお付き合いください。

なぜノルウェーで茶道?

と思われるかもしれませんね。
理由は、「習いたいな」と思う先生に出会えたことが1つ、自由に興味のあることができる環境(要は時間がある)ことが1つ。

ノルウェー渡航前はフルタイムで働いていた為、趣味はいけばなとフラダンスに週1で通うのが精一杯で、新しい習い事をする余裕はありませんでした。

昔から茶道に興味はあったので、ノルウェーでこれはチャンスだ!と思い、初めてお稽古を受けたのが昨年の夏。
細々と続けたお稽古が、気づけばもう1年になろうとしています。

背筋の伸びる瞬間が心地よい

茶道のお稽古中は、基本シャン!として、背筋を伸ばして、臨んでいます。
ひとつひとつの所作に気を配り、手順を間違えず、かつ美しくみえるよう、相手の方を思いやってお茶をたてます。

そんな、シャン!とすることが、なぜだか心地よいのです。

自分の精神状態を知る

人間、日々いろんな感情の波があります。
穏やかに過ごせている時、やることが溜まってイライラしがちな時、やる気がおきずダラダラしてしまう時、などなど。
お稽古中は、基本静かにおしゃべりなしで行うので、自分の心がどのような状態か、普段よりも向き合う機会が多くあります。

以前は、所作の手順を覚えたり間違えないようにするのに精一杯で(それは今もです)、心に気を向けることは難しかったものの、最近は、お稽古中に自分の精神状態について、一歩引いて眺められる時があります。

いい緊張の中でリラックスして、時間をたっぷりかけた所作が行える時、せわしなく、目の前の所作で一杯一杯になってしまう時など、当たり前ですが、自分の心の状態は、所作になって現れていると思います。
お稽古を通じて、自分自身と向き合えることが、茶道を習う価値の1つです。

茶道は、美しい

長い歴史の中で大成された文化なだけあり、茶道は本当に美しいです。先生はもちろん、一緒に習っている友人の所作でも、時々ハッとするほど「美しいな・・・」と感じる瞬間があります。

これは経験しないと想像し難いと思いますが、本当に美しいのです。
その「ハッ」とする瞬間だけでも、お稽古をする価値があると思えるほどに、美しいのです。

また、私はまだまだ勉強中なので、茶道の内面的な美しさまでは語れませんが、茶道の精神(和敬清寂と言われたりします)も、所作同様、美しいものです。

限られた資源は、自分を豊かにするものに使いたい

茶道を習って思うのは、やはり新しいことを経験するのは面白いなと。自分の知らない世界を知って、人間としての幅を広げられたら、尚のこと良し。
時間もお金も有限な人生で、何にそれらを使うかは、今後も考えていきたいな、と思います。

茶道を習ったから、何か「目に見えるもの」が生まれたわけではありません。けれど、上述した「美しい」という感覚なんかは、茶道以外からは得られなかっただろうと思います。
そうやって、自分が豊かになる、自分の経験値を超えさせてくれることに、時間やお金を使いたいものです。

衰退して欲しくない、伝統文化

茶道って、日本にいたら余裕のある人しか習えないものだろうな、と感じます。理由はいくつかありますが、茶道の最終形態である「お茶会」に参加する際、少なくない時間やお金が必要、というのが大きい理由。

お茶会に参加するために日々のお稽古で所作を習い、お道具を揃え、当日は着物をきて、参加費を払って、半日〜1日がかりです。
多くの人にとっては、気軽に参加できるお稽古事ではないことでしょう。私自身、日本に帰国したらフルタイムで働く予定なので、お稽古やお茶会に参加する時間をどう捻出するのか疑問です。
正直、衰退する理由も頷けます。

着物も、茶道も、華道も、どれも素晴らしい、衰退して欲しくない文化です。しかし、現代の人が受け継ぐには、もっともっと工夫が必要なような。
日常着が着物でもないし、茶室や床の間がある新築の家はほとんどありません。

昔は日常生活で当たり前だった風習が、「伝統文化」として保護されながら継承される類のものになってしまう。
自分が広めているわけでもないのに偉そうなことを言いますが、伝統文化を衰退させないことの難しさも同時に感じています。


つらつらと書きましたが、駐在同行中は時間があるので、今までできなかったことに挑戦するには、本当にいい期間です。
ノルウェーに引越した当初は苦労しましたが、色々なことができる環境には改めて感謝です。

今後も、新しいことにチャレンジして、駐在同行期間中に、色々な種蒔きができたらなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?