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当事者意識を考える

『この気持は誰にも分からない。誰にも分からない。
 己と同じ身の上成った者でなければ。』

中島敦著『山月記』の一説である。

教科書にも載っている山月記。

私は、習った記憶があるのかないのか、
うろ覚えであったが、青空文庫で読み進める内に、
何となく、過去に音読か何かをしたであろう記憶が
うっすらと蘇ってきた。


何故『山月記』を読もうと思ったのか?


毎日欠かさず聴いているvoicy。
『荒木博行のbook cafe』

昨日の放送で、冒頭の『山月記』が紹介された。

荒木マスターは、作中の一説を取り上げて語った。
『この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。』

マスター自身の経験を踏まえ、羞恥心のせいで、
学びの機会を自ら逸していないか?
という問いを投げかけてくれた。

この問いを聴き、いつものように、色々と考えさせられたわけだが、その際の気持ちをツイートしたので、添付する。


改めて『山月記』を読み返してみて


『荒木博行のbook cafe』を聴くと、紹介されている作品を読んでみたくなる。

今回も『山月記』を青空文庫で読んでみた。

おそらく義務教育の過程で読んだと思うのだが、
今回読み直してみて思うのは、
とても示唆に富んだ作品だなぁということである。

漢文調の文章が若干の読みにくさを感じるものの、
あっという間に読み終えることができる長さだ。
今回noteを書くにあたり、何度か通読してみた。

私が今回読み直して心に残った文章は、冒頭にも書いた一節である。


冒頭の一説が心に残ったのは何故か?


最近、私のテーマと言えるようなものに
『当事者意識』がある。

目の前の患者さんを理解しようと努めても、
結局のところ当事者にしかわからない
気持ちや感覚のようなものがあり、究極のところ、
それを理解することなんてできないのではないか?
という問いが私の中にあるからだ。

他人を理解することなんてできないのかもしれない。

しかし人間は他人を理解しようとする。

その差の一端に『当事者意識』があるのではないか?
と考えているわけだが、
これがなかなか難しいものだなぁ、
という漠然と思うのみで、
そこから先に考えが及ばないのが
浅はかな私らしいと言えばそれまでか。

そう言えば、コテンラジオを聴き始めてから知った
ヤンヤンさんも、人間を理解するることに対して
noteで語っていたなぁと思い出す。

ヤンヤンさんの文章。

そこに現れる聡明さや、滲み出る人柄。
お会いしたことはなく、ラジオを聴き、
勝手に憧れを抱くのみだが、
素敵な文章だなとしみじみ感じたひと時。


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