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30才、茨城にUターンして、起業(しようと)する。

みなさん、こんばんは。佐藤です。
毎日、野生のたぬきや広末涼子、きゅうりの投稿ばかりしてすみません。
これからも続けるのでツッコミのほどお待ちしております。

さて、タイトルから「ああ、佐藤の長いやつね。こりゃあ日が暮れちまうやつだ」とお気づきの方は察しの通り。
今日も長くなりますよ。お時間ない方はタイトルだけで大丈夫です。笑
正確には起業しようとして、いったんフリーランスになる。って記事です。

もしも根気強く読んでくださる方がいらっしゃいましたら、どうぞお好きな飲み物でも片手に、よろしくお願いします。

1. 東京と“家”とカルチャー

私が上京して、一人暮らしを始めたのは18才。昔から博物館や美術館、音楽や演劇鑑賞がだいすきだった私には、親に車を出してもらう必要もなく、好きな展示が運良く1年に一回水戸の芸術館に来ることを待つこともなく、「今日たまたま時間ができたから」という理由で、インターネットで展示情報を検索し、いつでも文化に触れられる東京は天国そのものでした。

そして、ここで広がるコミュニティの広大なこと。都の西北には茨城にいた時には想像もできなかったほどのすてきな魑魅魍魎が住み、最初に暮らした学生寮での暮らしも合わせて、私の東京ライフは森見登美彦の小説ばりの愉快さでした。東京四畳半神話体系。

茨城にいた時には「佐藤さんちの孫」「佐藤さんちの娘さん」「南中のなんとかの後輩の佐藤」と関係性なくして社会に帰属することは不可能でした。30才の今、その背景の豊かさにも気がつくけれど、まさに思春期真っ只中の私には時にそれはただただ息苦しい、どこにも逃げ場がない、絶対にへまができないゲームのようでした。コミュニティは強固に存在し、そのゲームに失敗したら二度と戻れない。そんなきもちになることもありました。

ですが、東京といったら。どこまでも自由で、どこまでも「私」は「私」でした。関係性なくただの一人の個人として呼ばれ、毎晩、高田馬場や高円寺の高架下などですぐに頭の痛くなる安いサワーを飲みながら、好きなバンドの話やマルクスについて話をしたりもしました。

愉快に時は過ぎていきましたが、大学3年生の時に東日本大震災が起こります。私にとっては、実家が半壊、家業のしじみ漁や米農家もどうなるかわからないという価値観の大転換点でした。そこから、もやもやとしたまま「今は就活はしない」と決め、大学院で環境を学びました。私にとって原子力と暮らしは切っても切れないものだったのです。

そして新卒で唯一災害復興を事業の柱のひとつにしているUR都市機構に入社。四谷駅前の再開発などに携わり、新卒にはもったいないほどのビッグプロジェクトでかけがえのない体験をさせてもらいました。

URをやめようかなと思い始めた最初のきっかけは「家」です。URのひとも仕事もおもしろい。でも、ここで働き続ける以上はきっと結婚して子供ができて東京か横浜に家を持ち、生活をしていくのだろう。そのときに、どうしても「東京に家を持つ」「東京で子育てをする」というイメージが湧きませんでした。

そして、もうひとつ。自分の人生を自分で選択したかった。自分の人生を、自分の手から手放したくないと思いました。大企業は仕組みです。役所に行って担当者によって回答が異なってはいけません。それと同じように、仕組みを回さなければいけないのです。仕組みだからできるサービス、提供できる価値があるし、私はそれを悪いとは思っていません。それでもやっぱり「私はこうしたい」というきもちがあるし、人事異動で自分の予期せぬ業務に一番体力のある20代、30代を費やすことに躊躇いがありました。

それを込みで入社したのでしょう? それはもっともです。ですが、日本の学生は22才で一生の職業選択をするには、経験や教育の幅が少なすぎると思うのです。このきもちは、その後、今やりたいことにもつながってきました。

大企業かベンチャーか。というのはよく見る質問ですが、私はどちらの良し悪しはなく、単純に合う合わない、好みの問題だと思っています。大食いか少食か。インドア派かアウトドア派か。その程度なので、合っているものがたまたま私はフリーランスや起業なのであって、なにもみんな起業しろ、とは思っていません。エンジョイワークスにいたときもそうですが、わくわくする仕事が大きく羽ばたこうとするときは、大企業や行政側のパートナーに良き理解者がいたときです。本当に適材適所。

ただ、そのようなわけで「地元の茨城で起業したい」そんなきもちがむくむく大きくなるものの、事業の内容は白紙。自分にはこれができます!任せてください!というものは皆無。どうしたもんかね、と思っていた時に、鎌倉のエンジョイワークスに出会いました。

2. 鎌倉で「みんなでいっしょにまちづくり」

wantedlyで「ちょっと話を聞きにいきたい」ボタンを押したら突然始まった役員面接。半袖ハーパン、比較的色が黒めのおじさん4人に囲まれること約1時間。気がついたらランチをおごってもらい、入社。決して怪しい会社じゃございません。面接後に海の家で飲んだビールは最高でした。

私のこの頃の目標はとにかく「自分の武器を手に入れる」こと。でも、自分ひとりでできることって限界があるよね。そのときにエンジョイワークスの行う参加型の「ボトムアップのまちづくり」はとても魅力的でした。さらに独立行政法人で働いていた私には「お金」周りの知識が皆無でした。ましてや「ビジネス」も「稼ぐ」ことも全く知らない。その中で新しいお金の仕組みをつくりながら、地域に溶け込みする仕事は毎日が刺激的でした。

ボトムアップのまちづくりをする会社に入って私が得たことは3つです。

①まちのひとと出会える

「地域参加型のまちづくり」を掲げてますから、地域とめっちゃ出会います。でも、地域のキーマンにいきなりじゃんじゃん会うって難しいじゃないですか。でも、エンジョイワークスがそれまで湘南エリアを中心に活動してきたおかげで、まちのなかのすてきな人にたくさん知り合えました。加えて、場づくりもイベントを通していろんなひとと進めていく。次々と出会いは増え、こんなに「ただいま」と帰る場所ができたことは本当にしあわせ以外のなんでもありません。鎌倉は第二の故郷。本当にすきで、毎日一回は思い出します。私が住んでいた材木座の海のように、来る人は拒まず、去る人は追わず、粋な街でした。

②お客さんが仲間

まさに仲間。ボトムアップって、ある意味ひとりでもすすめられることを「みんなでやろうよ!」って言ってるわけですね。みんなでやる分、調整も多いのでコミュニケーションコストと捉えることもできるでしょう。でも、やっぱ「みんなでやるのって、いいじゃん」って思っている方がお客さんに来てくださるのです。だから、私はお客さんが原因で嫌な思いをすることは、ただの一度もありませんでした。みんなでやることの大切さに気がついている方は、自分の価値観もありつつ、ひとの意見もよく聞いてくださるすてきな方でした。こうした方と出会えたことも、本当に財産です。

③いっしょにはたらく仲間が最高

これもまたそうなんですけど、やっぱいろんな仲間と力合わせてやるのっていいよね!って価値観が一致している仲間なんです。だから、どんなに仕事が忙しくても文化祭の前夜みたいにがんばれる。あとね、やっぱり湘南、鎌倉で住んで、働くのがいいなって思っているひとたちなんですよ。私は、住む場所の選択がかなり端的にそのひとの価値観を表すもののひとつだと思っています。通勤時間を短縮するために、会社の近くに住む。通勤時間が長くても、自然が豊かなところで住みたい。家賃が高くても、駅近が良い。そのひとの優先順位の一番高いものが表出する。それに優劣はないけれど、湘南エリアに住みながら鎌倉の会社で働く時点で「大切なものの価値」が似ている。だから、休みのたびに会社の仲間とおいしいものを食べ、自然であそび、きれいなsunsetを見て、最高な毎日でした。本当に、いっしょに働いてくれてありがとうございました。

ボトムアップのまちづくりとは余白であり、関わりしろであり、あそびです。関わりしろとは協働です。私は「あそび」という言葉がだいすきです。創造の余白としての「あそび」であり、楽しさを共有するplayとしての「遊び」でもあります。楽しく遊べるおとなはかっこいい。

3. 「傍を楽にする」 茨城からつながる

実家に帰ろうとは学生時代から思っていたものの、時期としては40代か50代かなあと思っていました。ですが、2年前、両手首、背骨の骨折という大怪我をし10年ぶりに家族と住んでから意識が変わったように思います。

私の家族はとても仲が良いです。ですが、10年ぶりにいっしょに住んだある日、両親から「どんなにすきでも、途中がなく、いきなりじいちゃんやばあちゃんと同居はできない」と言われたことは衝撃でした。仲が良いからこそ。

歳を取るとこどもになるとはいいますが、それを実感することはあまりありませんでした。ですが、今、一緒に住み始めて2週間。たしかに要所要所で思います。何か作業をするけど疲れちゃうから、途中でやめて結果散らかす。自分の気分でものを言う。もっとほかにもありますが、まさにこんなことです。私が同居していたのは12年前ですから、じいちゃんもばあちゃんも定年後の人生を謳歌していて、むしろ心強い存在でした。じいちゃんは2回ガンをわずらって手術しているので、あまり体力もありません。一昨日は、雨が強くて運転できないから、急遽病院に連れて行ってほしいと言われました。家族と暮らすことは、しあわせも多いけれど、誰かに合わせる、そういうものだと思います。

私は思いがけず、大切な家族があっという間に老いるのだと言うことを知りました。これが、お世話になったエンジョイワークスをやめてこのタイミングで実家に戻ろうと思った大きな理由です。家族をサポートしながら、家業を手伝い、アップデートしたい。

私はいわゆる田舎の家で、葬式も自宅でやるようなところです。

私が幼い時はひいおじいちゃんもひいおばあちゃんも一緒に住んでいて、まさにサザエさんのような家でした。小学1年生のある日、朝起きるとひいおばあちゃんが眠るように亡くなっていて、はじめてひとの死に触れました。

母曰く、あんなに元気だったおじいちゃんが今ではおむつも時々必要になって。それは、やはりその弱っていく過程をみていないとかなり衝撃的だし(だって、私がいっしょに住んでいた時のおじいちゃんはスーパーマンのように力持ちで体力があって、まさかペットボトルのふたを開けるにも難儀する日が来ようとは思っても見なかった)、介護もきっと抵抗がある。でも、いっしょにいると、そうだよね、歳をとってだんだんできないこともでてきてしょうがないよね。前にいろいろよくしてもらったし、今度は代わりに手伝うね、という気持ちになるのだそうです。

そのように、元々の家族というのは、産婆さんに家で取り上げられ、家で最後の日を過ごし、老い、生と死が日常の中にあるものだったと思うのです。いまは病院ではじまり、終わる。身近じゃないから、よくわからない。よく分からないから、こわい。しかし、親死ね、子死ね、孫死ねという言葉がある通り、別に死は日常の中にあると、自然の摂理というか、ただそういう順番なのだなあとも思います。でも、じじばばっ子だった私は、すこしでも長生きしてほしいと思います。そんなもんです。私は煩悩を109個抱えて生きています。

私がとても尊敬している友人に「かっちゃん」という人がいます。同じ歳だけれども、自分でしっかり商いをして生きています。かっちゃんと4年ほど前話した時に「言葉と行動の重さを、いつも同じにする」ということを言われました。それをとても素晴らしいと思い、エンジョイワークスの面接でそれだけを大切に話しました。

そのとき、かっちゃんに言われたもう一つの言葉が「はたらくということは、傍を、楽にするということ」です。そのときは、かっちゃんの言葉を頭では理解しつつも、心まで理解していませんでした。ですが、今では、この言葉がとてもしっくり来ます。

じーちゃんはもう目がよく見えないから、病院に連れて行ってあげる。私にはなんてことをないことをして、とても喜んでくれる。両親は、祖父母の病院のために有給をとらなくて済み、助かる。私の病院の帰りは遅くなるけれども、母がごはんをつくっていてくれている。だから、あとはご飯を食べて寝るだけ。そんなに大変じゃない。

私が帰る前は、仕事終わりに母が家とは反対の電車に乗って祖父の病院の迎えにいっていたそう。私の家族は男女問わず全ての家事をみんなができるので、時間がある人が、自分ができる家事をしながら回っている。まさに傍を楽にする。働くだなあと思います。

私はどうやら、自分のためだけに働く、ということが苦手なようです。じいちゃんの言うところの「用たし」「義理張り」みたいなものが、人生のアンカーのように、生きている実感をもたらしてくれます。大野のおばあちゃんの様子をそろそろ見に行ってみっか、とか、庭の雑草を抜かなきゃとか。誰かの喜ぶ顔を見ると、ちゃんと「暮らしてる」きもちになります。

こう書くと「家族万歳」に見えますが、私が言いたいのはそれではありません。だって、これから日本の人口は減少し、家族は核家族が増えていくでしょう。

私がやりたいことは、こういう家族的な仕組みを、地域でつくることです。

昔は田んぼは手植えでしたから、自分の家の田んぼを耕すだけではなく、今日は佐藤さんち、今日は○○さんちと、順番に助け合っていました。現代のライフスタイルに合わせて、そういう仕組みを作れたら良いなあと思っています。

これからやりたいことは、地域で「仕事をつくる」こと。

実は日本の義務教育では、ビジネスや起業、お金のことも習いません。だから、どんなに真面目に受験やなにかをしても、そこの先生はいないのです。だから、エンジョイワークスの福田社長は、そういう分野のはじめての先生でした。福田さんにビジネスの義務教育をしてもらい本当にたくさんのものを受け取りました。次は自分の足で進んでみようと思います。そして、いつかはいっしょに事業ができたらうれしいと、ぼんやり考えています。

茨城では、新しい師匠に出会い、いろんな出会いや経験をもたらしてもらっています。これからの体験にとてもわくわくしています。

私が茨城でやろうとしていることは、ざっくり3つ。

①まちづくり
②シェア農業
③まちづくり × 教育/文化アーカイブ

福田さんが「だれかに真似されるくらいなら、それはビジネスとしてその程度だったのだ」と言うのは本当だなあと思います。私は私に出会ってくれた友人や仲間と事業をしていきたいと思っています。きっと、私が持っている能力が平凡でも、出会いがもたらす化学変化は二乗で増えていき、絶対それはだれにも真似できないと思います。だから「きみ、なにやる予定なの?」と聞いてください。喜んで話します。

今年の目標は最近おろそかになっていた勉強をしながら資格をとり、茨城のひととつながり、茨城を拠点にしごとをすることです。家族に限らず「傍を楽にする」仕事がしたいなあと考えています。

じいちゃん、ばあちゃんと同居しているので、やはりコロナには敏感になりますが、来年すこし落ち着いたら東京・鎌倉でも仕事をし、他拠点生活を始めようと思います。今年も月一で東京・鎌倉にいますので、ぜひ仕事やあそび、声かけてくださいね。これも、この12年間で出会えたみんなのおかげ。

これからはわらしべ長者的に、桃太郎的に生きていこうと思います。

あなたのいらないものが私のほしいものかもしれないし、私のいらないものがあなたのほしいものかもしれない。

きびだんごか鬼退治か知らないけれど、目的が一緒ならば、少しいっしょに旅をしよう。

道が分かれたから、ここでお別れしよう。そんなことも、あるでしょう。でも、きっと目的が似ているひとは、どこかでまた、会うと思います。

だって、急遽東京の知人が来るといったら、中学の同級生のお父さんがやってる民宿が「ほっちゃんのともだち」枠であけてくれたり、ずっと先にいっしょに住むと思っていた家族と20年早回しにいっしょに住むことになったり、卒業式で別れを悲しんだ高校の同級生と再会したり。

なので、一瞬、別れに思えるみなさんも、きっとどこかで会うでしょう。

鎌倉で出会ったみんなには、きっと「ただいま」と言って再会するでしょう。

もしご縁があれば、ちょっとの間、私といっしょに旅にでかけましょう。

出会ってくださった、関わってくださる皆様に感謝を込めて。

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