大好きなビーチボーイズを語り尽くす!オリジナルアルバムを4枚紹介!
先日、満を持して大好きなビーチボーイズの記事を書いたら超楽しくて、また少しビーチボーイズの関連のお話やオリジナルアルバムを紹介出来たらなぁって思い今キーボードを打っています。
いかがお過ごしでしょうか。ぐっでぃテレビのモーリーです。
実はビーチボーイズ関連のnoteはずーっと書きたかったんですが、好きすぎて、しっかりした記事を書きたいって気持ちが強くなりすぎて身構えちゃってたんです。
去年の夏も書きたかったんですが、『今は時間がないから、またの機会にしよう』ってズルズル引きずって、迎えた今年の夏・・・
『やっぱり腰据えて書きたいから、しっかり時間のある落ち着いたときに・・・』みたいな感じでまたまたズルズル行っちゃってたんですが、8月も後半に入ってきて、『来年までこの思いを寝かすのもなぁ~』とふと思い、『ええぃ!ノープランで思い付きで書いちゃえぇぇ!!』って書いたのが先日の記事。
だぁぁ~と走り書きでろくに書きたいことをまとめもせずに書いてみるとすっごく楽しくて・・・まぁ自己満足なんですが(笑)
ということで今回も思い付きでビーチボーイズのオリジナルアルバムを紹介しちゃいますよ~(笑)
出来れば全部紹介したいんですが、ビーチボーイズって1961年結成のバンドで超超超ベテランバンド!!今年で何と結成60周年を迎えます。
オリジナルアルバムだけでもめちゃくちゃ多いのでとりあえず60年代のアルバムだけでも数回に分けて紹介できればなぁなんて思っています。(不定期ですが出来るだけ楽しく頑張ってみたいと思います(^^))
では早速行ってみましょう!!
メンバー紹介
まずは手短に主なビーチボーイズのメンバー紹介から。
ブライアン・ウィルソン(左から3番目)
ウィルソン家の長男でビーチボーイズのリーダーでベーシスト。特に初期はビーチボーイズの殆どはブライアン・ウィルソンが書いています。(後期になる他のメンバーの作品も増えてきます。)綺麗なファルセットボイスの持ち主でコーラスでは非常に印象的な高音域パートを担当しています。リードボーカルの曲も多数。作曲だけでなくプロデュースも手掛けるビーチボーイズの中心人物。
デニス・ウィルソン(左から1番目)
ウィルソン家の次男でドラムを担当。サーフミュージックを歌うグループではありますが、実はサーフィンをするのはデニスのみ。リードボーカルをとることもあります。
カール・ウィルソン(右から1番目)
ウィルソン家の三男でリードギターを担当。ビーチボーイズで最も演奏力があったのはカールだといわれています。ハーモニーでは中音域の難しいパートを担当。名曲『God Only Knows』はカールのリードボーカル。
マイク・ラブ(右から2番目)
ウィルソン兄弟の従兄でリードボーカルを担当。リードボーカルを務める傍らコーラスではベース音を担当。艶っぽい声が特徴的。またライブなどではMC的なことも務める。初期の明るいビーチボーイズの楽曲の歌詞の殆どはマイクによるもの。明るいビーチボーイズサウンドにはマイクの力は欠かせません。
アル・ジャーディン(左から2番目)
ブライアン・ウィルソンの友だちでリズムギターを担当。歯科医になることを目指し一時期脱退していたのですがすぐに復帰。全米1位の『Help Me Rhonda』ではリードボーカルも担当。
ブルース・ジョンストン(上の写真の左から1番目)
60年代半ばライブツアーに参加しなくなったブライアン・ウィルソンの代役としてビーチボーイズに合流。ライブでは初期はベース、その後キーボードを担当。
ブルースが写っている上記の写真ではブライアンの代役のため、ブライアンが写っていません。多分どこかの国でのライブツアー時のショットだと思います。
ではでは次にオリジナルアルバムの紹介へと進みましょう!!
Surfin' Safari(サーフィン・サファリ)-1962年-
記念すべきデビューアルバム。アルバムリリース当時ブライアン・ウィルソンは若干20歳。カール・ウィルソンに至っては16歳。さらにアル・ジャーディンの代わりにこの時期在籍していたデヴィッド・マークスはさらに若く14歳!!
若い彼らが自分たちで曲を書き、自分たちで演奏をしてレコードをリリースするのだから本当に凄いです。
『サーフィン・サファリ』や『409』などビーチボーイズサウンドを彷彿させる楽曲もありますが、まだまだサウンド的には未完成な部分も多く、カリフォルニアのガレージバンドの一つって感じが残ります。
---アルバムからピックアップ曲---
『サーフィン・サファリ』
ロックンロールのリズムに綺麗なコーラスをプラスするといったビーチボーイズならではのサーフ・ミュージックの原型のような一曲。
『409』
ビーチボーイズはサーフィンと共に、車をテーマにした曲もたくさんあります。『409』のその一つ。こういった曲をホットロッド(サウンド)と呼ばれています。
ちなみにビーチボーズの初期の音楽ジャンルをこれらサーフィンと車の音楽ということで、『サーフィン&ホットロッド』と呼ぶこともあります。
◇◇◇
余談ですが、ビーチボーイズが登場するまでのサーフ・ミュージックというとギターを中心としたインストゥルメンタル曲が中心でした。ちなみに映画『パルプ・フィクション』にも使われたディック・デイルの『ミザルー』はビーチボーイズ登場以前のサーフ・ミュージックの代表曲の一つ。
『Miserlou(ミザルー)』/Dick Dale & His Del-Tones(ディック・デイル&ヒズ・デルトーンズ)
ディック・デイルはビーチボーイズが登場する以前の西海岸のローカルスターでした。ローカルスターとはいえ、地元カリフォルニア以外でも知名度は高く、その荒々しい奏法はその後のガレージ・ロックやパンクに大きな影響を与えたといわれています。
Surfin' USA(サーフィン・U.S.A.)-1963年-
ビーチボーイズのブレイクのきっかけとなった一曲『サーフィン・U.S.A.』が納められタイトルにもなったセカンドアルバム。『サーフィン・U.S.A.』は全米3位を記録し、アルバムも全米でヒットしました。
デビューアルバムに比べ、ややビーチボーズサウンドに厚みを増しますが、インストゥルメンタル曲のカバーなども多く、まだまだ発展途上感はあります。
---アルバムからピックアップ曲---
『サーフィン・U.S.A.』
ビーチボーイズのブレイクのきっかけとなった一曲。
この曲の登場で、アメリカ中のティーンネージャーたちは”青い空”と”青い海”そして”お気に入りの車に乗って海へと繰り出す若者”といった西海岸の若者文化に一気に虜になったそうです。
また音楽の拠点もこれまで東海岸中心だったのが、ビーチボーイズの登場で西海岸にも広がり、その後の音楽文化の広がりにも発展します。
『Shut Down(シャット・ダウン)』
こちらは車をテーマにしたホット・ロッドの曲。ビーチボーイズサウンドが出来つつある一曲です。
ちなみに以前、タモリ倶楽部の『空耳アワー』で0:36あたりの部分を「カルビ食うな~」って紹介されてました。この曲と流れる映像が面白くて大笑いしたことがあります。
Surfer Girl(サーファーガール)-1963年-
このアルバムからブライアン・ウィルソン自らがアルバムをプロデュースするようになります。このときブライアン若干21歳!!ほんと凄すぎます。しかも曲の殆どがブライアン自身の作品。(なんと12曲中10曲)ビートルズでも初期の頃はカバー曲を結構収録してた時代にこれだからびっくりです。
またこのアルバム辺りから自分たちの演奏だけでなくセッションミュージシャンを積極的に起用することになります。そう凄腕セッションミュージシャン集団『レッキング・クルー』 ってやつです。
60年代の音楽を裏で支えた凄腕セッションミュージシャン集団『レッキング・クルー』のドキュメンタリー映画もあります。
セッションミュージシャンを起用し、自らプロデュースを始めたことでこのアルバムから飛躍的にビーチボーイズのサウンドは向上します。
タイトル曲の『サーファー・ガール』をはじめ『キャッチ・ア・ウェイヴ』、『リトル・デュース・クーペ』、『イン・マイ・ルーム』、『夢のハワイ』辺りはベスト盤の常連曲。
またこのアルバム辺りから、ベスト盤などに収録されていないような曲(『サーファー・ムーン』や『ユア・サマー・ドリーム』辺りは特に名曲)でもかなりクオリティが高くアルバムを通して聴いても十分に聴きごたえがあります。
アップテンポな曲から、スローなバラードまでバランスよく収録されているこのアルバムは、明るく楽しいサーフ・ミュージックだけでなくメランコリックな一面といった新たなレイヤーも追加され、陰陽のコントラストの取れたアルバムです。
---アルバムからピックアップ曲---
『Hawaii(夢のハワイ)』
ファルセットのブライアンと、艶っぽいマイクの掛け合いが聴きどころの一曲。ブライアンとマイクのツインリードボーカルはその後、初期のビーチボーイズでは定番のスタイルの一つとなります。
『In My Room(イン・マイ・ルーム)』
明るく楽しい楽曲ばかりでなく、ブライアンが自分自身の心のうちを歌ったこの曲は、その後の『ペットサウンズ』の世界観につながる曲でもあります。
Little Deuce Coupe(リトル・デュース・クーペ)-1963年-
1963年は、『サーフィン・U.S.A.』の大ヒットに始まり、カリフォルニアの少年バンドであったビーチボーイズが一気に全米のスターに上がっていく年。(時はビートルズ前夜といった感じ。)
ビーチボーイズ以外にもビーチボーイズっぽいサウンドをしたグループもた次から次へと登場し、まさに全米がビーチボーイズサウンド一色になった年でもありました。
前作『サーファー・ガール』の成功を受けてか、約1か月後にリリースされたこのアルバムは、当時人気だった車をテーマとした『ホット・ロッド』の曲のコンピレーションアルバムとして発表されました。
コンピレーションという位置づけのため、新曲8曲+リリース済み曲4曲といった構成になっています。
またビーチボーイズブームを逃すまいと、レコード会社からかなりせかされて制作したようで、新曲の8曲はなんと1日で収録したそうです。
---アルバムからピックアップ曲---
『Cherry, Cherry Coupe(チェリー・チェリー・クーペ )』
ベスト盤などにもあまり収録されていない曲ですが、個人的に大好きな一曲。マイクの甘いリートボーカルとビーチボーイズの分厚いコーラスが楽しめるアップテンポな一曲。
『Ballad Of Ole' Betsy(バラード・オブ・オール・ベッツィ)』
こちらも分厚いビーチボーイズのコーラスが楽しめるミディアムテンポの一曲。歌詞はというと大好きな車との思い出を擬人化して歌った内容。
ジャズボーカルグループ『フォーフレッシュメン』にぞっこんだったブライアンだけにかなり凝ったコーラスワークが聴きどころです。
1日で収録したとのことですが、曲たちのクオリティは前作の『サーファー・ガール』からコーラスワークといった部分でさらに厚みを増しています。(この頃からブライアンはプレーヤーとしてではなく、裏方の仕事にのめりこんでいっていたようなので、かなりコーラスワークの研究をしたのかもしれません。)
あとがき
いかがだったでしょうか。今回はデビューから4枚のアルバムを紹介しました。4枚もアルバムを出しているのですが、これってたった2年間のお話。(もっと正確に言えばアルバム『Surfin' Safari』は1962年10月にリリースされているので、ほんの14か月ほどのお話!!凄すぎ!!)
その間アルバムを出すごとにサウンドの厚みや、表現の幅が広がっていくのが分かります。3作目のアルバム『サーファー・ガール』でブライアンがプロデュースを始めたこと、そして凄腕セッションミュージシャン集団『レッキング・クルー』との出会いも大きかったような気もします。
さてさて次回は1964年以降のお話。(時間をみつけてちょくちょく書いていく感じなのでちょっと先かもですが・・・)いよいよビートルズ旋風が本格的に巻き起こる年でもあります。
ざぁ~とアルバムを聴きながら書いてみたのですがやっぱり、長くなっちゃいましたね。(時間のある時にちょくちょく書き足していって、その結果まとめるのに1週間ほどかかっちゃいました(笑))次回はもう少しコンパクトにまとめられるよう頭を整理せねば(笑)
読んで頂きありがとうございます。 『映像制作をもっと身近に、もっと気軽に』という思いでnoteを始めました。 noteでは映像制作に関するtipsや話題をはじめ、ぐっでぃテレビの中の人たちによる他愛のないお話まで幅広く綴っていきたいと思います。