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人間の本性について思うこと

最近、我ながら好きな考え方がある。それは「心や時間、お金にゆとりがあるときの姿こそ、その人の本性」ということ。

一般論では、酔った時や追い詰められた時、我を忘れて怒っている時にその人の本性が出ると言うけれど本当だろうか。たしかに人の弱い部分が暴かれやすいのはそういう時だと思うし、そんな窮地に追い込まれても自分を見失わないならそれは本物だと思う。でも、ピンチに平常心を保てないのは当たり前のことで、だからこそ常に自分の姿勢を貫けることが評価される。それを本性だと言い出したら、この世の中は酷い人間ばかりになってしまう。

しかし実を言うと、私自身かつては無意識にそう信じていた。だから、日本へ来てから面倒な雑務を人任せにし、予算もろくに考えず動き、前向きにいろいろチャレンジすればいいのにせず、何か言うと「わかってる!僕は赤ちゃんじゃないよ!」と反論し、何より産後の妻への思いやりが感じられない夫を見て、「彼の本性はなんて自分本意なんだろう」とたびたびがっかりした。

特に出産直後、敗血症性ショックで入院した時に、高熱を出しながら夜中の授乳に「もう無理」とこぼしたら「もう無理って何」と驚くほどブチ切れたこと、それから、彼の家族が私のことを心配してくれていた時に「みんなまゆのことばっかり。僕だって寒い中仕事してがんばっているのに」と拗ねたことは、その後2年くらいの間、私の心の底でしこりになってずっと消えずに残っていた。何言ってるの?あんたの妻は今、死にかけてんだよ?なんで心配もせずに張り合ってんの?結局、自分が一番かわいいの?

そんなモヤモヤが燻り続ける中、長男ニコの存在に助けられてなんとか円満に暮らしていたのだけど、次男シオンの妊娠がわかった時「これはあかん。ふたり目を日本で産んだら体も心も死ぬ」と直感で思った。夫はろくに頼れない。私の実家も頼れない。けど、生まれたばかりのふたり目と、不安定になるであろう長男を産後のボロボロの心と体で受け止めるなんて、どう考えても無理だった。それで、「インドネシアで産みたい」と夫に伝えた。唯一頼れるのは、海を越えた先の彼の実家だった。

そして、去年の今頃、ビザの準備を終えて妊婦の私は長男ニコとふたりで先にインドネシアへ渡った。夫の義母をはじめ親戚中が本当に良くしてくれて、のびのび暮らした。たしかにそうだった。

けれど、夫と遠距離生活をしている1ヶ月間、私はずっと夫が恋しかった。

至れり尽くせりの生活。でも、ちょっとしたことをしたくても、言葉が話せない、文化がわからない壁は高くて、私はとても不自由だった。リゾートで過ごすのとはまた違う普通の暮らし。慣れない気候。孤独。いろいろ考えがあっても言葉が話せないせいで世間知らずであるかのように諭され、「わかってる!」と言いたくても言えないジレンマ。

夫も日本での暮らしは便利なようでちっとも便利じゃなかっただろう。不安も劣等感も追い討ちをかけただろう。心配されすぎたり、知らない前提で上から教えられるのも時には苦痛だっただろう。体の芯から冷える寒さも、私たちの感じ方とはまるで違っていただろう。夫…きっとすごく辛かっただろうな。本当にめっちゃがんばっていたんだ。そんなふうに理解できたのは初めてだった。

そんな中、1ヶ月後に遅れてインドネシアにやってきた夫は、日本で見る姿とはまるで違っていた。まさに水を得た魚。主体的に動いてくれる。頼れる。助けてくれる。私に何でも任せて、面倒ごとをやりたがらない彼の姿はなかった。私のこともニコのことも本当に気遣ってくれた。久々に会った家族のお願いもたくさん聞いてあげていた。

こんなこともあった。この短期移住のために少し固まったインドネシアルピアを銀行に預けておいて、予算管理は夫にすべて任せていた。(私はお金の管理から解放されて幸せな気持ちを味わっていた)ある日夫が「怒るかなあ…ちょっと聞いてくれる?昔行っていた大学の在学生に体験ダイビングをさせてあげられたらなあと思うんだけど、ダメかな?」とおそるおそる聞くので10万円近く飛ぶような話なのかと思いきや、1万5000円くらいでできることらしい。私はプロダイバーではないけど、1人のダイバーとして、ダイビングを好きな若者が増えることは純粋に嬉しくて彼に賛成した。

日本では彼が扱うお金は自分のお小遣い程度で予算の配分を見る機会はなかったのだけど、インドネシア滞在中の彼のお金の使い方は終始そんな感じで「誰かのためになること」か「ずっとやってみたかったこと」ばかりだった。見栄を張ったり、誰かを貶めたり、散財など価値のないことに費やすことはなかった。夢のある使い方で、私はすごく好きだった。さらに、私がお金を使いたいと言う時に渋ることも一度もなかった。むしろ「足りなくなったら日本から送るから気にせず使っていいんだよ」といつも言っていた。

そうこうするうちに次男の立ち会い出産を経て、私の夫に対するモヤモヤはすべてすっかり消えた。ああ今インドネシアで見ている姿が本来の彼なんだな、とわかった。時間も心もお金もゆとりがある、今の姿が彼の本性だ。

それからは、彼のネガティブな一面を見ても「これは一過性の仮の姿だ」と流せるようになった。本来の頼り甲斐がある彼を信じて待てるようになった。いるべき場所もわかるようになった。本来の姿でいられない場所は、合わない場所なのだと捨てる勇気が持てた。

人の本性が現れるのはいつ、どんな時だろう。いろんな考え方があっていいと思う。でも、弱さや醜さにフォーカスして本性を暴き出すより、ベストな状態、素敵な面に目を向けて、それを本性だと認めて生きる方が夢があるんじゃないかな。

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