いま真の父母は本当に一つか?
世界家庭の最新刊で、田中富弘会長のメッセージが紹介されていました。
田中会長の率直な告白は、文鮮明師聖和後に公職者が抱いた葛藤を代弁しています。
真の父母が一つであるならば、なぜ韓鶴子総裁は文師と異なる見解を披露されるのか。
文師に生まれながら原罪があったという発言に留まらず、聖婚後ですら罪が残されていたという発言、統一原理は蕩減時代の遺物なので不完全だという発言、「自己判断」すれば躓くことばかりなのです。
メシア無謬(むびゅう:間違えないこと)主義を貫くのなら、韓総裁が何を発言しようが関係ありません。
「お母様がおかしなことを語るとすれば、それは私たちの信仰を試す『演技』なのだ。むしろ背後にある愛の心情を感じ取って、なおさらいっそうお母様をお支えしなければ・・・」と、脳内変換できるからです(『メシア無謬主義』は日本統一教会独特の文化)。
しかしこのnoteで繰り返し主張したように、真の母とて人間である以上、間違えることもあり得ます(食口がキリスト論を学び直すべき理由)。
「真の父母は一つ」という啓示を受けた食口がいる一方で、基元節について180°異なる洞察を持たれるのが文顯進会長でした。
そもそもメシア無謬主義は、「選ぶ」ことを許しません。
神様が人間に自由意志を与えているのに、一つの結論(絶対間違えないメシアに服従せよ)を強制されることは原理的ではないのです。
信仰の拠り所が「選べない結論」しかないと考えることは、復帰原理からすれば浅はかかもしれません。
人間に対するみ旨は相対的なので、韓総裁が責任を果たせないとしても摂理は延長するからです(地上から取り去られた真の父母)。
いま食口は、政府の解散命令を阻止することに全神経を集中しています。
しかし「摂理が延長した」という観点に立つと、神様は積極的に教団を解体しようとしているように見えないでしょうか。
疑いなく文鮮明・韓鶴子夫妻は、人類最初の真の父母として多大な犠牲を払われました。
しかしその歩みが最後まで完遂できていないのであれば、神様のみ旨は無慈悲に延長されます。
韓鶴子総裁が責任を果たせない場合(文鮮明師が韓鶴子総裁に残した宿題)、文家の直系である文顯進会長の家庭に使命継承されるでしょう。
原理的に起き得る可能性を検討すらしないというのは、永遠の生命に対して無責任と言わざるを得ません。
文顯進会長は、食口が思っているよりもずっと日本のことを気にかけておられます。
「資金源」として利用したいからではなく、何十年に及ぶ苦労と犠牲が報われていないことをずっと見てきたからです。
逆賊の代名詞のように罵られるUCI財団も、顯進会長の運営によって日本食口の負担を軽減する意図がありました。
神様は正しい心で尽くした精誠を忘れないし、犠牲が無為に消え去ることもありません。
その犠牲は天苑宮建設のような、日本国民が拒絶するかたちで報われるのではないのです。
顯進会長はいま何よりも日本が、コリアンドリームの最良のパートナーとして連結することを期待されています。
それは両班・奴婢のような隷属的な関係ではなく、両国が東アジアの平和を牽引する輝かしい未来です(コリアン・ドリームが日本の国益となる大前提)。
10年以上かけた色眼鏡を外し、葛藤の先にある真の希望を見出して頂くことを望みます。
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