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神様が統一教会を助けない理由

安倍晋三先生の銃撃以降、家庭連合の食口は試練の意味を真剣に祈り求めたことでしょう。
既成キリスト教会にも解散請求反対を表明する人も現れていますから、いまなお「奇跡の大逆転」を諦めていないのかもしれません。
文鮮明師がダンベリーに収監された際に、キリスト教の聖職者が宗教弾圧に抗議した状況を彷彿させるからです。
このようなナレーションは韓国本部に希望的に報告され、次は「宗教の自由バンケット」でも開催されることになるのでしょうか。

結論から書いてしまうと、現役食口の祈り虚しく解散命令は実現するでしょう(統一教会の解散は神様の決定事項)。
それで食口が信仰を失うかどうかは、各々の家庭のホームチャーチへの取り組みに掛かっています(統一教会の信者が教団から解放される日)。

現役食口は苦難の中で、なぜ最後まで神様の救いを諦めないのでしょうか。
それは自らが絶対的に真実に生きてきたという自負心の現れであり、神様は正しい人間を蔑ろにされないという確信があるからです。
ここで「絶対的に真実に生きてきた」とは、(個別には立派でないとしても)永遠の正義である「真の父母の側にいた」という事実に他なりません

文鮮明師の聖和後、統一運動は「絶対的に真実に生きる」を巡って分裂しました。
私も含め家庭連合を去った食口は、韓鶴子総裁が文鮮明師の遺志を放棄した事実を受け入れた人たちです。
「人間の責任分担」は真の母とて例外ではなく、一旦逸脱したら摂理は延長されるという原理があるからです。
逆に言うと、韓鶴子総裁が完全に責任を果たしたと信じる人たちが、家庭連合に残っていることになります。

我々は銃撃事件前、あらゆる根拠を提示して韓鶴子総裁の責任不履行を訴えてきました(文鮮明師が韓鶴子総裁に残した宿題)。
しかし事件後は何もしなくとも、韓鶴子総裁が真実な方であるという信仰に疑問符が投げかけられています。

もちろんイエス様の十字架を引き合いに、絶対的に真実な方であっても迫害されたり処刑されることもあり得ます。
韓鶴子総裁をイエス様と同列に語ることが、正しいのでしょうか?

篤実な食口はいまさら、韓鶴子総裁のカジノスキャンダルや尹煐鎬の横領につまづくことはないでしょう(息子以上に信頼した尹煐鎬を更迭した意味)。
しかし良く考えて欲しいのですが、メシアとして大切なのは宗教権威よりもむしろ、道徳的権威です。
日本食口をこれだけ苦しめて集めた献金を、カジノで数億円散財する教祖をどう尊敬しろと言うのでしょうか。
「腐敗してるのは側近であって、お母様ではない」と庇う反論も、未信者からすれば滑稽な言い逃れです。

世論と国会を動かして解散請求まで追いやったのが離教2世という事実も、見逃すことができません。
イエス様は山上の垂訓で、こう語られています。

だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。

マタイによる福音書5章23-26

家庭連合は公式に一度も謝罪していないのですが、500億円とも言われる天苑宮の工事は中断なく続けられています。
離教2世の怨嗟を尻目に、自分たちだけ供物をすれば天国に入れてもらえるとでも期待しているのでしょうか。

結果的に銃撃事件は、韓鶴子総裁以下家庭連合が、神様の摂理から大きく逸脱している事実を再確認させてくれました。
それを認めることができないのは、「よりにもよって私たちが間違っていて、分派の方が正しかったなんてあり得ない!」というプライドと強情から来ているのです。

家庭連合の食口は事件前から、「もし韓鶴子総裁が逸脱したらどうなりますか?」という「仮定の質問」すら答えることを拒否してきました。
しかしいま再度、この仮定の質問を投げかけてみましょう。
人類最初の真の母が、真の父亡き後責任を果たせなくなったら、復帰摂理はどうなるのでしょうか(地上から取り去られた真の父母)。

現役食口はこのように自問するのが恐ろしくて、「お父様と一つになった
お母様につながれば大丈夫」と、思考停止してきたのではないでしょうか(真の父母が本当に一つであれば、しつこく強調せずとも分裂などしない)。
そしてその盲目的な信仰が間違っていたことを、いままさに暴かれるのではと恐れているのでしょう。

私はこの期に及んで、韓国本部の利益を代弁して国家と対立する食口を哀れに思います。
いまこの瞬間も、文顯進会長は実現可能な南北統一に向けて歩みを進めています(統一コリアが正しく立った場合の日本の国益)。
日本食口からの高額エンドレス献金に頼ることなく、豪華建造物に浪費することなく、一般市民の心を動かしながら統一を目指しているのです。

これに対して日本の摂理は、まだまだ見通しがはっきりしていません。
それでもいま破壊されつつあるもの(自民党との関係、清平の宗教都市建設)を未練なく放棄するとしても、神様はもっと素晴らしい希望を準備しておられると確信するのです。
韓鶴子総裁と心中するような食口については止めませんが(ご自由に)、そうでない食口はいま一度、神様に真剣に談判してほしい。
あなたは何のために信仰し、祝福中心家庭として生涯何を残そうとしているのでしょうか。
天寶家庭がその答えではないことに、気付ける人たちは幸いです。

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