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統一教会の信者が教団から解放される日

旧統一教会では10月の4日と14日をそれぞれ、西大門刑務所と興南監獄から解放された記念日として祝います。10月は「解放の月」なのです。
皮肉なことに文科省は、10月12日に宗教法人審議会で解散請求を話し合うことを発表しました。
篤実な食口は、この審議会で「白馬の王子」が登場し、解散請求を撤回してくれることを期待しているかもしれません。

しかし教団の混乱に10年以上心を痛めた私から見れば、解散請求は数万人という食口が解放される契機に他なりません。
韓国本部を中心とした支配体制が、崩壊を始めるからです。

教団存続と利害関係がない食口には、これを機に目を覚ましてほしいのです(統一教会が解散すれば誰が困るのか)。
文鮮明師の聖和から11年、「お母様だけを信じれば大丈夫」と教わって従った顛末を、ご覧になってください。
UPFの大会で安倍晋三先生がビデオメッセージを快諾された際、これから自分達の苦労は報われていくのだと歓喜に湧いたことでしょう。
ところがまさにそのビデオメッセージが、あらんことか統一運動の最大の理解者を死に追いやる切っ掛けとなったのです(家庭連合は安倍晋三先生の死に責任がある)。

食口の間で、「事件の黒幕に中国共産党がおり、勝共連合を貶める罠だ」という言説が流布していることは存じています。
しかし重要なことは、この悲劇的事件をはじめから神様がご存知だった、またここから始まる国家次元での教会バッシングを、許可なさっているという事実です。

あってはならない事件は、これがはじめてではありませんでした。
祝福2世も犠牲となったセウォル号沈没事件では、韓国全土が悲しみに包まれました。
なぜ御嶽山が噴火した日が素晴らしい秋晴れで、祝福家庭のハイキングが決行されたのでしょうか(絶対にあってはならないことが起き、忘れてはならないことが忘れられる)。

この1年、食口は血の滲むような精誠を込めて神様に祈ってきたことでしょう。
筆舌に尽くし難い試練を忍耐する私たちなのだから、よもや神様がお見捨てになるなんてあるはずがない、と。

最近では、キリスト教会の牧師すらバッシング報道と解散請求の不当性を糾弾しています。社会正義の視点からは、限度を超えた宗教迫害に見えるのでしょうか。

しかし一方で、祝福家庭の作り出した宗教2世問題は終わっていません。
2世たちの怨嗟は天にも届く程であり、その叫びが世論を動かし、政治を変えたのは紛れもない事実です。

はじめから「お母様だけを信じれば大丈夫」という指導には、幾多の欺瞞が含まれていました。
韓鶴子総裁の関心はいまも、独生女という名前が世界中で崇められることと、その象徴としての宮殿の完成以外にはありません。
その願いを叶えてあげれば魔法のように、全ての問題が解決するはずもないのです。

ここにおいて、「分派の戯言は無視する」と拒絶され続けた説明を繰り返す必要があります。

「お母様だけが絶対正しい」という基準にひたすら自分を合わせた食口は、神様の摂理とどれ程ずれたか感じ取れないかもしれません。
主の花嫁が無原罪で生まれるという原理はありませんし、聖婚式が完成する前に基元節を「ひとりで」奉献してはいけません。
歴史の目的は独生女を迎えることではなく、真の家庭が三大王権(三世代)を実現することにあります。

地上から取り去られた真の父母

私もまた、文鮮明師の聖和後に韓鶴子総裁を信じたいと望んだ一人です。
しかし文鮮明師が生前に準備された摂理のタイムテーブルを、韓鶴子総裁は完全に廃棄しました。
それもそのはず、韓鶴子総裁は長らく心に封印した疑念があったからです(韓鶴子独生女を代弁した金振春教授の音声)。

控え目に言っても、韓鶴子総裁は真の母の使命を完遂できていません。
ところが求心力低下を恐れた教団本部は、その事実を隠蔽して姑息な説明に終始しました。
食口もまた頑なに、「分派の戯言」を無視することを選びました。
しかし真の母が逸脱したという話が本当であれば、何を差し置いても事実関係を確認する必要があるのではないでしょうか。

好む好まざるに関わらず、解散請求は苦難の路程のはじまりです。
しかしこれからは、「お母様の代身」としての教団に忖度する必要はありません。
いずれにしても苦難を受けるのなら、「お母様を不信する天罰」に怯えなくても良いのです。
そもそも神様がなぜ助けてくれないのかについて、徹底的に談判祈祷することを勧めます。

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