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食口がキリスト論を学び直すべき理由

初代教会における使徒パウロの功績は、疑いようもありません。
しかし生前のイエス・キリストと生活を供にしなかったパウロは、後世に誤った神学を伝えてしまったと言われます。
原理講論はそのような誤った教義を糺す目的で書かれており、分裂する統一家の食口にとっても学びが多いです。

イエスは創造目的を完成した人間として、神と一体であられるので、彼の神性から見て彼を神ともいえる。しかし、彼はあくまでも神御自身となることはできないのである。神とイエスとの関係は、心と体との関係に例えて考えられる。体は心に似た実体対象として、心と一体をなしているので、第二の心といえるが、体は心それ自体ではない。これと同じく、イエスも神と一体をなしているので、第二の神とはいえるが、神御自身になることはできない。

原理講論前編7章2節(3)イエスは神御自身であられるのだろうか

原理講義をしっかり聴いた食口であれば、この内容がそのまま文鮮明・韓鶴子夫妻に当てはまることが理解できるはずです。
しかし私も含めて多くの食口は、文鮮明無謬主義(むびゅう:神のように間違えないこと)に囚われてきました。

以下の言説はすべて、メシアを神御自身と捉える誤った理解から生まれるものです。
・お父様は直接主管圏におられるから、過去も現在も未来も全てお見通しである。
・そのようなお父様が下される指示は、神から来たものだから絶対に間違いない。高額献金で日本食口が苦しんでいるように見えるのは、お父様の深い愛の心情を理解していないから。大勢の2世が教会を去るのは、そのように教えない親が悪い。
・真の子女様に問題が起きるのは、お父様の責任ではない。全ては祝福家庭の不信仰が招く蕩減である。
・私たちは全知全能のお父様に絶対服従したのだから、(その結果どれだけ現実が悲惨であっても)天国に入れてもらうことが約束されている。

このような言説は、韓鶴子無謬主義に置き換えてもそのまま当てはまります。
・お母様はお父様と最終一体で直接主管圏におられるから、過去も現在も未来も全てお見通しである。
・そのようなお母様が下される指示は、神から来たものだから絶対に間違いない。高額献金で日本食口が苦しんでいるように見えるのは、お母様の深い愛の心情を理解していないから。2世が反対活動をするのは、そのように教えない親が悪い。
・真の子女様に問題が起きるのは、お母様の責任ではない。実の子でありながらお母様の愛を理解せず批判する、子女様が悪い。
・私たちは全知全能のお母様に絶対服従したのだから、(日本社会からどれだけバッシングされるとしても)天国に入れてもらうことが約束されている。

創造原理とキリスト論を合わせると、「メシア=神のように全知で間違えない方」という理解が間違っていることは明白です。
しかし知的には分かったとしても、殆どの食口が情的執着から逃れることができないようです。

私自身、銃撃事件から数ヶ月が経過してようやく、文鮮明師のことを「間違え得る人間」として受け止めることができました。
そして人間が「間違え得る」とは、自由を賦与された恩恵の裏返しでもあり、素晴らしい特権なのだとも。
神様の操り人形のように全知全能であれば、その人の裁量や自由はないに等しいからです。

仮に「完成した人間」が何か失敗したとして、神様が「私と一つになっているはずのお前がなぜ間違える?私がそうなることを予見していたのだから、お前も事前に回避できて当然だろう?」と怒ることはないでしょう。
成熟した親子関係とは、子供の自立を尊重してあれこれ口出しはしないものだからです。

原罪があろうがなかろうが、自分のことを「間違えない神」だと行動する人間は有害でしかありません。
しかし文鮮明師は(生来の頑固さがあったとしても)、起きている現実を直視する謙虚さは持ち合わせていました。
銃撃事件で生きておられたとしたら、自分は神だから間違ったことなどしていないと居直らなかったはずです。
とりわけ反対活動の先鋒に立つ祝福2世をご覧になって、ご自分のなさったことの間違いを認めて、詫びる気持ちを持たれたことでしょう。

食口が曇りのない目で見つめるのなら、真の父母理想が未完成であることは明白なのです。

破壊された真の家庭

韓鶴子無謬主義に囚われた食口は、文鮮明師がサタンに讒訴されているとする金振春発表を無視します(金振春発表の全文と音声)。
韓鶴子総裁が無謬だとすると、金振春発表に従って文鮮明師は聖婚前後に罪を犯したことになります。
しかし文鮮明師に罪があったとすると、「真の父母最終一体」という韓鶴子無謬主義の土台が崩壊してしまうのです。
論理体系が崩壊しているのは、「メシアは神のように間違えない」という前提が間違っているからでしょう。

私自身、メシア無謬主義の根深さを身を以て体験しています。
韓鶴子無謬主義に囚われた食口が、一筋縄では行かないことも理解しています。
ラスベガスで何億円散財しようが意に解さないでしょうし、天皇陛下を呪う発言が出たとしても、歯を食いしばって受け止めることでしょう。

メシアを神のように信奉することが素晴らしいのであれば、なぜキリスト論でその教義を否定したのでしょうか。
メシアが人間として使命を完成することの意味を、本当に分かっていたと言えるのでしょうか。
悲惨な現実が展開されるのは、霊界でご褒美がもらえる裏返しではありません。
なぜ地上で天国が実現していないのか、その意味を考えて頂きたいのです。


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