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「真の父母は一体である」という啓示の真偽

天心苑と重生の時代というサイトを知り合いに紹介されました。

お母様に躓いたり反対したりする人がいる大きな原因と思われるのが、お母様によるお父様の否定です。お父様はお母様以外の女性と結婚すべきではなかった、他の女性と結婚することが罪となり興南などの苦難路程があった、お父様はお母様と結婚されることでお父様の原罪が清算された、などです。そんなことはあり得ないと思えることを歯に衣を着せず確信的に言われたのです。このように言われることで、分派や反対派に行く人もいたのですが、そこまでいかなくても信仰が混乱した人が案外多いのではないかと思います。これには明確な理由があるのですが、その理由について述べたいと思います。

神様の恨を全身で受け止められたお母様

この手の「韓鶴子擁護論」は、口頭ではいろいろな食口から聞かされてきました。
このサイトが特徴的なのは、文鮮明師が聖和された際の「啓示」を出発点としていることです。
教義の理解がしっかりされている方のようで、その啓示を土台に摂理観をまとめ、サイトの全体を構築されたと理解しました。

私が聖和の前日に命がけの祈りをした後、2012年9月12日に神様と一問一答する恩恵を頂いた時に私が最初にお尋ねしたのは、真のお父様はお元気ですかという質問でした。生きて基元節を迎えられないお父様の無念さはいかばかりだろうと思いながら祈っているときの出来事でした。神様からの答えは「私と真の父母は一体である」でした。神様と一問一答したことがある方はお分かりかと思いますが、言葉と共に情が伝わってきます。その情には意味が含まれます。それは私がこのように元気なのだから私と一体の真の父母も元気だという意味が伝わってきました
私が真のお父様は元気ですかとお尋ねしたので、真の父は・・・・という答えが頂けると思いましたが、神様は真の父母も元気だという答えをくださったのです。つまり、神様にとってお父様とお母様は、別々の存在ではなくお一人と見ておられることが分かります。

神様の恨を全身で受け止められたお母様

私は他人が祈りの中で与えられた啓示や悟りについて、あれこれ批評するのは好きではありません。
しかしサイトの違う箇所では、「基元節をもって神様と真のお父様、真のお母様のご聖婚が実現しました」と事実に反する内容が記載されています
私はここまで正反対の結論を発信してきたので(文鮮明師が韓鶴子総裁に残した宿題)、何を根拠にそう結論されたのか、知りたいと思いました。
しかしどこを探しても根拠が見つからないので、出発点となった神様の啓示について、真偽を検証してみます。

私はこのサイト運営者の立場も人柄も存じ上げないのですが、この啓示には不審な点があります。
文鮮明師が基元節を前に聖和されたことは、あらかじめ想定のなかった摂理の緊急事態でした(「真の家庭」の破壊は人類史上最悪の罪)。
聖和前日と言えば、文鮮明師が集中治療室で全身をチューブでつながれ、延命治療を中止するかという深刻な話し合いがなされていたタイミングです。
枕元では霊能者金孝南が、「神様がすぐそこでお待ちです」と安楽死を唆していました。
しかし素直に考えれば、神様が基元節を前に安楽死を勧めるようなことはあり得ません。
実際その場にいた國進・亨進兄弟は、韓鶴子総裁が霊能者の指示に従ったことを深く恨むことになります。サンクチュアリ教会出現の遠因です。

「真のお父様はお元気ですか」という祈りに「私と真の父母は一体である、神様も真の父母も健在である」と応えたということは、この聖和は予定調和で何の問題もないことを示唆します。
「神様がすぐそこでお待ちです」と安楽死を唆した金孝南の霊視と併せて、本当に予定調和であったならどんなに良かったでしょうか。
しかし実際には「一体かどうか」を巡り、真の家庭も統一家も分裂したのです。

文顯進会長は、直系子女でありながら文鮮明師の聖和の瞬間に立ち会うことを許されませんでした。
後に顯進会長は、当時のことを回想しながらこのように説明されます。
基元節を奉献する希望が失われた瞬間が、文鮮明師にとってどれ程絶望的で暗闇に包まれたのか、涙を流しながら語られたのです。
しかし時間が経過してみたら、顯進会長は摂理のバトンを落とさず握りしめていました。
顯進会長はその後ご自身が残したコリアンドリームの実績について誇ることなく、「Never question the love of God(だからどんなときも神様の愛を疑ってはいけない)」と結ばれました。

顯進会長は聖和に立ち会っていないのですから、これらの説明は神様からの啓示か霊視ということになります。
サイト運営者の啓示と真逆の内容だとすれば、どちらを信じれば良いのでしょうか?

「私と真の父母は一体である、神様も真の父母も健在である」という啓示は、親が幼子に「何も心配するな」と諭すような方便とも捉えられるのかもしれません。
しかし実際には一体でも健在でもなかった以上、(啓示ではなく)現実を受け入れて前に進むことの方が優先されるのです。
健在な真の父母を不信して分派に流れるのは悪いことですが、健在ではない父母を健在だと吹聴するのは、もっと悪いことだと思うからです。

文鮮明師の聖和後に韓鶴子総裁が信じ難い行動を取るのは、(サイト運営者が解釈するように)真の孝行息子や孝行娘を試すためではありません。
真の母としての逸脱は相当以前から伏線があったのであり、予定調和のように約束されたハッピーエンドは既に消えているのです。



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