「真の家庭」の破壊は人類史上最悪の罪
家庭連合の食口は、解散命令の司法判断を固唾を飲んで見守っていることでしょう。
しかしこの災禍が「外的粛清」なのだとすれば、原因となる罪を悔い改めない限り滅びは避けられません(統一教会の解散は神様の決定事項)。
歴史的にユダヤ民族は、バビロン捕囚に代表されるように幾多の外的粛清を受けてきました。
ホロコーストのあまりに大きい代償を見るだけで、摂理に反逆することの重大さを理解できるはずです。
文顯進会長は安倍晋三先生の殺害以降、「統一教徒ら(Unificationists)は人類史上最悪の罪を犯した」という表現をされます。
いまは教団から訴えられた全ての裁判に勝利された時点にあるので、貶められた私怨からの発言ではありません。
「人類史上最悪の罪」とはとても強い言葉なので、どう解釈すべきかずっと考えてきました。
これは世俗の善悪の尺度ではなく、天の摂理を司る神様の尺度で見なければなりません。
そしてその尺度はしばしば客観的なものよりも、神様との心情因縁の深さに依存します。
旧約聖書の中心人物であるモーセ、ダビデは、結婚生活において道徳的でない側面を持っていました。
にも関わらず彼らの祈祷が数千年を超えて語り継がれたのは、神様を慰め感動させるレベルにおいて比類がなかったからです。
同様に、文鮮明師の祈祷から伺える神様との心情関係は、幾多のスキャンダルや人間的な不足を補っても、余りある内容がありました。
その文鮮明師が晩年に目指したのが、2013年1月13日に奉献予定だった基元節です。
家庭連合では公式に基元節を完了したことになっていますが、文鮮明師が計画された本来のかたちとは似て非なるものでした(基元節は未完である)。
しかしそれはどこまでも結果であり、そこに至るまでの原因と経緯があったはずです。
文鮮明師が望んだ基元節はどこまでも、男系子女がまとまって3世代が集結する、「三大王権」の完成にありました。
またこの時点で真の父母自身も完成しておらず、完成期の聖婚式が基元節その日に予定されていたことも、無視できない事実です(基元節は未完である)。
疑いなく韓鶴子総裁は、これらの願いを実現する最重要人物でした(文鮮明師が韓鶴子総裁に残した宿題)。
しかし文鮮明師存命中から既に、夫婦の信頼関係に綻びが生じていたのです。
1992年から2012年のみ言葉をどれだけ調べても、基元節を目前に霊界に逝くと語られた内容は一つもありません。
それこそ文鮮明師が、韓鶴子総裁と息子たちをどれだけ信頼していたかの表れなのでしょう。
韓鶴子総裁がその信頼を裏切る可能性は、(原理的にはあり得る想定内だとしても
)み言葉には記録されていないのです。
結果として、文鮮明師の心からの信頼は完全に裏切られ、宣布に居合わせた3人は別々の道を行くこととなりました。
冒頭に罪を測る尺度が客観的ではないと書きましたが、ここまで説明して神様に視点を移します。
復帰摂理史において文鮮明師が比類なき人物であったことは、少しでもみ言葉を学んだ食口なら同意して頂けると思います。
その彼がどれだけ切なる思いで基元節を準備されていたか、記憶される食口は大勢いることでしょう。
当時のことを知らない若年世代であっても、信頼した家族を一つにできなかったこと、天の前に誓った基元節を奉献できなかった無念が如何ばかり大きいか、想像くらいはできるでしょう。
人類史上一番神様を愛した孝行息子に、最後の最後でそのような無念と絶望を経験させてしまったこと、私はこれこそが人類史上最悪の罪なのだと捉えます。
イエス様の十字架とは異なり、摂理が破綻した後のプランBが準備されていないことが、事態を複雑化させました。
初代教会のペンテコステなど望むべくもなく、統一家は無惨に分裂したのです。
復帰原理を学んだ食口なら悟ってほしいのですが、破綻した摂理がそのまま続行される原理はありません。
中心人物を変えて、違うかたち(プランB)で延長されるのが予定論です。
どのように延長されるかを見分ける基準として、同じ神様のみ旨を指向しているのかということを参考にすると良いでしょう。
それは豪華宮殿の建設でもなければ、聖書に記載すらない独生女の崇拝でもありません。つまり家庭連合は既に、摂理の主流からは外れています。
消去法で選べば家庭平和協会かサンクチュアリ(含聖和)が残りますが、個人の責任分担もあるのでこれ以上は不要でしょう。
かつての兄弟姉妹が、いまも生きて働かれる神様に立ち返ることを祈ります。
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