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色んな人に会える子育ち環境がないってどうなの?

閉鎖的な環境、限定的な環境に身を置くと、その場所でしか通用しない常識に囚われてしまいやすい。

色んな人に会って話していると、普段同じ職場の人や家族としか触れ合わない人はその傾向が強いと感じる。
さらに、本を読まなかったり、テレビばかり観てるとかなり仕上がっていたりする。

これはオトナの場合だけど、子どもも同様というか、むしろもっと環境は閉鎖的だ。

色んな人に会えるかどうかはかなり子どもにとっては影響度デカいのに、あまり語られていない気がする。


子どもが毎日会うオトナ

子どもが普段会う大人は、驚くほどに限定的だ。
それは主に親と学校の先生。
習い事をしていればその先生がプラスされるぐらいで、たったこれだけなのだ。

世の中にはもっと色んな人がいるのに、たったこれだけの人にしか接触しない。
たったこれだけの人の価値観だけにしか触れられない。
これって色んな弊害を生み出していると思う。

つまりそれは冒頭に書いたようなことだ。

ビジネス現場でよくありがちなのが、「業界の常識」に囚われているパターンだ。

小売業では売り場で商談して物売るのが当たり前。
飲食店ではランチはディナーより安くするのが当たり前。
携帯電話はボタンがあるのが当たり前。

こうした常識は別の業界の常識で考えるとおかしく思えるし、実際に変化してきた。

ネットショップが生まれ、
コロナ禍ではディナー価格と同価格でランチ提供をするお店が現れて、
携帯電話からはかなり昔にボタンが消えた。

限定的な環境、閉鎖的な環境に留まり、その狭い世界の常識や普通、良い悪い、当たり前といった価値観に囚われてしまうと、人生の豊かさを失ってしまったりする。

それは子どもも同じなのだ。


画一的な価値観


人間は人それぞれに価値観を持っている。
自分の親が良いと思うことを悪いと感じる人もいれば、その逆もある。

学校の先生がダメだと言うことを、もっとやるべきだと応援してくれる人もいる。
その逆もまた。

親の価値観が絶対なのか?
毎日同じ学校の同じ先生に会う必要ってあるのか?

子どもは親の所有物ではないし、家庭に支配されるものでもない。
たまたま出会う学校の先生の価値観だけで良い悪いなどの物事の価値判断を植え付けていいものでもない。

多種多様な価値観が溢れ出している世の中で、同じオトナとだけ毎日会い続けることが、画一的な価値観を植え付ける愚行となっている。


色んな人に会うこと

まずオトナと子どもの世界の境界線はもっと溶かしたほうがいい。

今は壁が厚すぎる。
もっとカジュアルに色んなビジネス現場に子どもが訪れていいと思う。
様々なプロフェッショナルに気軽に会える環境、インフラ、システムをオトナが用意する。

ビジネスだけではなく、遊びやスポーツ、創作活動、ディスカッションの場などに普通に未成年も混じっている。

そうなることで、子どもは様々な年齢の、多種多様な仕事をしている、色んな価値観の人に出会える。

それは十人十色の個性をもった子どもがより豊かに育つ環境だと思う。

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