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「頭で理解する」と「心で納得する」の違い

私にとってカサンドラの苦しみが快方へと向かうとても大きな転機となったのが、「発達障害の特性が本物なのだと心から信じた瞬間」でした。

実はそれはそう遠い昔のことではありません。

私が発達障害について詳しく調べ始めたのは、もう数年も前のことです。そのころはすでに発達弟に苦悩させられ、カサンドラ化していました。

当時は発達障害にかんする知識や対策を主に書籍から学んでいました。専門家に直接いろいろ訊ねたこともあります。

しかし知識を知識として頭に詰め込んでも、いつまでも心は晴れませんでした。その間も抑うつ症状は進み、発達弟と離れてからも後遺症に悩まされ続けたのです。

「理解が何の助けになる?」と思っていました。

今になって思うと、私は頭で知識として特性を理解していても、心のどこかで「発達弟は本当にこんなことがわからないのか?」「本当は自分に甘かったり、さぼっていたりしたところがあったのではないか?」と思っていたのだと思います。上司と部下だから、あるいは兄弟だからそういう甘えが生じてもおかしくはないはずです。

要するに発達障害者の特性に対し「まさか、同じ人間なのにこんなことなどありえない」と、納得できていないところがあったのです。

発達障害とカサンドラのヤバイ関係でも記述していますが、私は弟の発達障害を疑う少し前、彼の素行を「悪意、怠慢、病気(障害)」のいずれかに起因するものだと仮定し原因を追究しました。

最初に悪意の可能性が消えました。残りの怠慢と病気の判定は非常に難しく、彼の素行と私の主観評価をすり合わせた総合評価と確率論で「病気の可能性が高い」という結論を導きました。その後の検査でこの検証の正しさが証明されましたが、かといって「怠慢」の可能性が私の中でまったく消えたわけでもなかったのです。

怠慢への疑念が消え去り、私が真に発達弟を許すことができたのは、Twitterの皆さんのお陰でした。

これまで私は脳のメカニズムを淡々と語ったり、定型目線で対策を講じたりするような書籍や資料にばかり目を通し、相談に乗ってもらった専門家もおそらく定型とおぼしき方ばかりでした。対策や技術、知識をいくら身につけても実践的なスキルとして応用できなかったのは、ずっと定型目線だったからではないかと私は考えています。

しかしTwitterを通して発達障害当事者が私に本音らしき言葉を語ってくれ、そういう方が増えるにつれて、私は「あ、これは本当に本当なんだ」とついに納得したのです。

おそらく弟が当事者として私に自分の特性を雄弁に語ったところで、同じ結末にはならなかったでしょう。

不特定多数の第三当事者の声であることが重要だったのだと思います。

こうして私は「頭で理解する」よりも重要な「心で納得する」の壁を乗り越えたように感じます。今思うと、この順番は逆の方が理想的。しかしこの過程をへて、私は弟への憎しみや怒りから解放されました。

もし今、以前と同じ環境に身を投じたら、おそらく以前よりももっとうまくできると思います。しかし一方で再びカサンドラ化し、以前にもましてひどい傷を負うことも予想されます。

結局、頭で理解しようが心で納得しようが、関係性を改善するための具体的かつ実践的なノウハウがないと現実的には何も変わりません。安易な踏み込みが双方の命取りになる危険性は何も変わらないのです。

とはいえ試行錯誤を繰り返し、いろいろな思いを抱えながらここまでやってきました。状況を改善できる可能性も、何となく視野に入っています。

そのビジョンを現実的な形にできるよう、今できることから着々と取り組んでいきたいと思います。

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