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【EP9】妻との不穏な関係

カサンドラになってから、妻にあたってしまうことが多くなった。おそらく「俺はこんなに苦労しているのに──」という気持ちから、妻のささいなミスなどに不満を覚えてしまうのだと思う。

「俺は手抜きせず全力で目の前の課題と向き合っているのに、あなたはそんなところで手を抜いちゃうの?」──という感覚かもしれない。

彼女の自分への甘さや怠慢(に見えるもの)がとにかく癪に障るのだ。

冷静に考えれば、彼女を批判する正当な根拠もない僕のただの独りよがりかもしれない。

今、僕らの関係はあまり良好とはいえない。今まで十年ほど一緒にいたが、こんなことは初めてである。2、3年に一度けんかをするかしないかの仲だったものが、この半年ほどで摩擦やすれ違いが多くなった。

つい先日、彼女に朝食を求めたところ、舌打ちをするような態度で「ムリ」と言われた。この時、僕は「それなら今後いっさい俺のことはやってくれなくていい。その代わり俺のサポートもあてにするな」と言った。

離婚という言葉が口から飛び出てきそうな修羅場だった。

「食器を洗うのがキライ」といえば食洗器を買い、「体が痛い」といえばマッサージ機を買い与え、新しい車が欲しいといえば与え、彼女の美容にもそれなりの投資をしてきた。全身マッサージの要求に応じることもある。趣味の用品もほとんどすべて揃えた。家事では僕が料理を作るのがほとんどだし、息子の入浴も僕の担当。必死に働いて生活費も稼いでいる。その上常に新しい課題やミッションにも挑戦している。

「で?お前は?」という気持ちに、今の僕はなっているのかもしれない。

それでも、朝食一つ気持ちよく作ってもらえないと不満を覚えるのは、僕が未熟なだけだろうか? これをフェアといえるだろうか? 僕はどこまで譲歩すればいいのだろう。弟に、妻に。

この出来事は結局、妻が僕に謝罪することで収まった。

だが気分はよくない。なぜなら、僕は自分が本当に「朝食を作ってもらえないこと」に不満を覚えていたのかどうか、自分でもよくわからないからだ。

ストレスのせいで単に妻にあたっただけではないか?

八つ当たりではないか?

八つ当たりの結果、相手に謝らせていたとすれば、それは僕がもっともなりたくない類の人間になってしまっているということである。

今はもう考えるのもしんどい。

休みたい……。

一つだけ確かなのは、発達障害はカサンドラの心だけでなく、その周りの人たちの心までをも破壊するということだ。


解説)

発達弟に苦しめられていたこの期間も苦しかったですが、弟と別れてからの期間はいっそう苦しみました。発達と離れれば何もかも終わるだろうと思っていたら、そうじゃなかった。これが心の病の怖いところなのだと思います。

今になってこのときのことについて妻と振り返ることがあります。当時は私もそうでしたが、不安定になっている私への配慮や気づかいなどで妻もピリピリしており、さらに息子がもっとも手のかかる時期であったことも含め、お互いにさまざまな負担を抱えていました。

今ではお互いに当時の自分たちの過ちを認め、教訓としています。

このとき私は「妻にあらゆるものを与えてやったのに」というような書き方をしています。本当にそう思っていました。妻が私に与えてくれていた「過ごしやすい環境」や「私の都合に配慮された生活様式」など妻のサポート全般に気付く余裕がありませんでした。それだけ冷静さを失っていたのだと思います。

もしかしてこういう形でモラハラ夫になる男性もいるのかも。

私は弟に尽くして「なぜうまくうかない?」と壊れていき、妻は私に尽くして「なぜわかってもらえない?」と壊れていき……。一人の発達が連鎖的にどんどんカサンドラを生んでいく……。

私が強制的かつ大胆なテコ入れをしたのは、「このままではすべてが手遅れになる」という直観がどこかではたらいていたからかもしれません。

この後のエピソードでは、弟だけでなく妻や息子、友人などとの私的な出来事や生々しい描写が多くなっていきます。手記本編にはできるだけ手を入れず、末尾解説で今の私が思うことや、当時の私が抱えていた問題に対して今の私なりの解決法やアンサーを提案するという形で執筆してまいります。

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