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ぐっばいカサンドラ~最終章~

カサンドラ症状に悩まされていた当時、発達障害者の思考や気持ちを知りたいと思っていた。当事者の内面を知ることで、自分がカサンドラになった原因や理由に納得できる部分があるかもしれないと考えたからだ。

実際、Twitterを通して発達障害やカサンドラ当事者方々に様々なご意見やアドバイスをいただき、当事者目線の感覚や感情を知ることで、頭と心をうまく整理できるようになった。もちろん急にできるようになったわけでなく、時間をかけながら、自分自身と折り合いをつけながらの長旅である。今もまだ十分ではない。

2020年の暮れにこんなTweetをした。結局「カサンドラになってよかった」とはついぞ思わなかったが、この出来事を転機に人生をより良い方向に舵取りできたのは確かなので、結果的に今は「あの経験があってよかった」とは思っている。

本項で言及するのは、主に以下の4つである。

・カサンドラのどういう症状に苦しんだか
・それらの症状がどういうプロセスで回復したか
・発達障害を知って自分の中で変わったこと
・発達と定型の折り合いのつけ方

これで自分の中のカサンドラと本当の意味でGood byeし、次のステージに向かって歩きたい。この手記がどなたかのお役に立てば嬉しい。

私がカサンドラになった経緯は↓の通り。

※なおこの記事は「ぐっばいカサンドラ」の最終章とし、これにてぐっばいカサンドラを完結とします。長らくお付き合いいただきありがとうございました。どうぞもう少しだけ、最後までお付き合いいただければ幸いです。

①カサンドラ症候群の症状(私の場合)

私の症状は主に以下の4つである。

・抑うつ
・記憶障害
・目まい
・フラッシュバック


抑うつは適応障害、それ以外はPTSDによる症状だろうと見ている。

「適応障害」でググって最初にヒットした情報を引用させてもらう。大阪市の心療内科・精神科・内科の医療法人 池澤クリニックによると、適応障害とは以下のような状態である。

ある特定の状況や出来事(転勤、配転、新しい人間関係など)が、その人にとっての主観的な苦悩(とてもつらく耐えがたく感じ)を生み、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。

私は抑うつ的になり感情が死んだ。感情が死んだというのは文字通り、喜怒哀楽がすっぽり抜けたってこと。厳密に言うとこの時期の私は怒りっぽくなったので、「怒り」以外の感情が抜けた印象である。当時の私を、妻は「歩く肉の塊」とたとえた。本当にそんな感じだった。どんな方法でリフレッシュを図ってもまったく効果がなく焦燥感に駆られたのを覚えている。

さらにPTSD様の症状として、ところどころ記憶が抜けていて当時のことを思い出せない。解離状態だと思う。歯抜けの記憶でなく、要所以外がずっぽり抜けちゃってる感覚。日常をどうやって過ごしていたのかすら思い出せない。強い目まいを覚えたことも何度かあり、それは療養期間に入ってからも続いた。脳に何か異変が起きていると感じた。脳みそが萎縮したかもしれない。なお、失われた記憶が戻ることはなかった。重要なことを忘れてしまったわけではないので、生活に特に支障はない。

カサンドラ絶頂期、このままでは何もかもがダメになってしまうと切迫した状況に駆られ、遂に私は生活を捨てて田舎に引っ越し療養生活に入った。ここで直面したのがフラッシュバックという厄介かつ新たな障害である。

フラッシュバックはとてもしんどかったが、この症状はおそらく千差万別だろうし説明がとても難しいので、詳細については省略する。

「カサンドラ症候群」と一言で言っても、その内訳は実はとても複合的で複雑であろう。私の場合は先述したようにおそらく適応障害とPTSD。ほかの症状を併発しているケースがあるのは想像に難くない。

なお、私は医療機関にかかっていないので、これらはあくまで私見である。

②私が回復した理由

私のカサンドラ症状が回復した理由は、主に以下の4点である。

・ストレスの原因(弟)と離れた
・時間が経った
・上記2点の達成に必要な環境を設けた
・発達障害への理解を深めた

適応障害様症状は、ストレスの原因(弟)と離れることで比較的順調かつ明らかに回復した。なんなら「もう少しで離れられる」という段階から回復し始めていたように思う。

ストレスの原因と離れるというのは、多くのカサンドラ経験者にとって効果的な対処法のようだ。離婚や別居、退職などでストレスの原因と離れることによって健全な心を取り戻したケースは少なくないようだし、ブラック企業(ストレスの原因)を退いて心が救われるのは誰しも想像に難くない反応ではないだろうか。

発達パートナーに病んで詰みそうなら、とにかく実家に帰ったり別居したり離婚したりなど、ストレスの原因と物理的な距離をとることを視野に入れるのがよさそうだ。頼れる人がいなかったり経済的な問題を抱えていたりするなら、生活保護など福祉に頼るのを視野に入れるのもいいと思う。

とにかく「一緒にいるのが原因」で病んでいるのだから、「一緒にいない」がベストだろう。場合によっては離れることすらできない状況もある(親子など)と思うが、それも含め「離れられない事情」の大半は発達障害とまた別枠の(主に社会制度としての)問題として考えるのがよさそうだ。

次に、フラッシュバックを伴うPTSD様の症状は、時間の経過によって回復した。これはいわゆる自然治癒的なものだと思うので、性格やストレスの程度など個々により回復ペースは異なるはず。私はとにかく時間に委ねるしかないと判断したため、手負いの獅子よろしく回復までひたすらじっと耐えた形である。

本来であれば医師やカウンセラーに相談するのが正攻法だろう。私は全快に数年の時間を費やしたが、プロの助けを借りればもっと早く解決できたかもしれない。素人判断での治療はもちろんおすすめしないし、特に心を病んで判断力が鈍っている状態ならなおさらである。

さて、PTSD様症状の回復は一進一退で一筋縄といかなかったが、ある一定のラインを超えてからはスムーズだったように思う。とにかく時間が必要だった。

とにもかくにも「ストレスの原因と離れる」のと「傷が癒えるまでゆっくり休む」というのが、私のカサンドラ回復に確かな形で貢献した重大要素である。そして、これらを実現するために必要な環境を設けたことも同等に重要であった。

もちろんそのために払った代償もある。しかしたとえ犠牲を払わなければならなかったとしても、心の健康をできるだけ早く取り戻すのが、人生の限られた時間をムダにしない一番の選択と見ての判断だった。

無理をせず、あきらめた方がいいものはさっさとあきらめ、手放した方がいいものはさっさと手放す。

サンクコストを捨てるのを嫌がっていたら、さらなる苦労をしていたのは明らかである。

③発達障害への知識を深めて変わったこと

発達障害を深く知ることで何が変わったか。

「弟を許せるようになった」

これに尽きる。

相手を知ることで自分が救われた。あのまま憎しみや無念をいつまでも引きずっていたら、それはそれでしんどかったと思う。自分の醜い感情を浄化するには、発達障害へのある程度の理解が欠かせなかった。これは冒頭の池澤クリニックの解説にある「その人(私)にとっての主観的な苦悩」への対処である。客観的な事実は客観的な事実として淡々と対応&処理できた。しかし主観的な苦悩は、客観的事実の整理のように簡単にはいかなかった。発達理解は、この「感情の処理」に必要なプロセスであった。

事実、私は発達特性への理解を深めるにつれ、弟に対する否定的な感情や誤解が消えていくのを感じた。カサンドラ症状が劇的に回復し始めたのはそれからだ。このきっかけをくださったのは、Twitterで知り合った発達当事者の方々。彼らは恩人である。

そして、発達障害への知識を深める作業において避けられなかったのが、自分自身と向き合うことであった。

発達障害者を宇宙人にたとえる人が多いが、相手が宇宙人とわかっているのに地球語で対応してもうまくいくわけがない。地球語しか知らなかった私は、「宇宙語を勉強するからいったん離れよう」と弟と離れた。そして、Twitterを通して宇宙語を学ばせてもらった。今もまだおぼつかないが、二語文を話せるくらいには双方の機序の違いを理解できたように思う。

私はこの問題と直面するまで、あるいは発達障害を詳しく知るまで、「人間は大体みな同じ感覚を有している」と思っていた。要するに「世の中の人間はほとんど定型感覚で生きているし、そうじゃない人は異常なマイノリティー」と思っていたのだ(ただしマイノリティーに対し否定的な感情はない)。

実際、社会では定型っぽい振る舞いをする人としかほとんど出会わない。たまに変わった人間に出会っても「変わってるなぁ」と思うくらいで、まさか感覚や感性や考え方の機序が自分とまるで異なるとは思っていなかったのである。

私だけでないはず。発達障害という言葉と無縁な日々を送っていれば、定型以外の人間が存在するとはなかなか想像できないのではないだろうか。

こっちから見ると宇宙からやってきた生物は宇宙人だけど、あっちから見ても地球人は宇宙人だからね……?以前の自分、そこんとこ全然わかったらんかったんよ。いや、仕方ないよね。だってここ地球だもん……!

「だから定型に落ち度はない」とはいわんが、仕方ないと思うよマジで。情報が足りないんじゃ。この初歩的な齟齬を解決するには、やはり「発達障害」という見えない障害が周知されるしかない。だからどんな形であれ、発達だろうとカサンドラだろうとSNSやメディアなどで発信する人が増えるのはいい傾向だと思う。

「果たして発達障害は本当に機能障害なのか?」という疑問も多少あるが、それはとりま横に置き。

まずは文化や信仰や歴史や国籍や生育や性格等以外に、脳の機序として自分と異なる特性を持つ者が普通にいる事実を知るのが第一歩だと思うのである。発達も定型も両者に言えるだろう。どちらの属性であろうと、相対的なこの問題にメスを入れるのであれば、相手を知るのはもちろん、自分を知るところが本当のスタートではないか。

そして次に、そのディテールを学ぶ。

そうしてようやく「相手と自分は何が違うのか?」を検証できる。

言うまでもなく、相手の機序と自分の機序を比較するには、自分自身の機序を理解していなければならない。

Twitterで発達当事者からいろいろなご意見を伺い、そこそこ順調に発達理解の道を歩んでいたつもりになっていた私は、いきなりここで壁にぶつかった。「発達特性を理解する」よりも、「自分自身の機序を理解する」の方が壁が高いように感じたし、そもそもその観点がなかったので晴天の霹靂である。しかしこの問題はごく自然に、清流のごとく穏やかな流れに乗ってさも当然のように私の前に訪れた。

発達特性を理路整然と説明する彼らに対し、自分の特性をほとんど何も説明できない自分。

この現実に直面した時、発達と定型のアンフェアな関係性を垣間見た気がした。

「そもそもどれが自分の当たり前なの?どこまでが当たり前なん?」といった調子である。

とはいえ定型はそつなくその当たり前をすり合わせることができるものだから、定型同士のコミュニケーションにおいて必ずしも自分を解剖する必要はない。

私が最終的に定型をよく理解したいと思ったのは、私自身、もっと早くに「定型感覚にあぐらをかいている自分」に気付きたかったから。私はそんな現実を知らなかったし、知る必要も感じていなかった。

この先、息子や将来の息子の友達やその周囲など、定型感覚にあぐらをかいている自分に気付いた私が小さく関わることで、新たな視点を得る人がいるかもしれない。私のように、人生の重要な転機においてその情報を必要としている人と出会うかもしれない。私の経験や知識が誰かの役に立つ日が、遅かれ早かれ必ずくると思っている。だからカサンドラが回復しても自分自身と向き合っていきたい。

弟のことに関しては、ほとんど事故のようなものだったと思う。

私にも彼にも知識が足りなかった。足りない者同士がくっついてうまくいかなかった。だから離れた。雑に解釈すればそれだけである。「それだけ」で済ませたくない問題だったのも事実だが、今はもうこれでいい。喉元過ぎればじゃないが、最終的に問題を克服できたのは選択した道が正しかったからだと、結果オーライの心で過去を受け止めるしかないのである。

そして言うまでもなく、そばで私をずっと支え続けてくれた妻や息子、苦しいときに力を貸してくれた友人達、そして助言をくださったTwitterの皆さんには感謝しかない。

④発達と定型はどう折り合いをつけるか

定型からすると、発達には無神経だったりデリカシーがなかったりするように見えるタイプがいる。多いかもしれない。

発達からすると、定型は曖昧に見えたり察してちゃんに見えたりするかもしれない。多いかもしれないというか多いと思う。

「察してちゃん」の解釈も人それぞれ。私は定型はやはり「察してちゃん」だと思う。当たり前だ。相手の真意を言語外で察することができる人達なのだから。

個人的に両者は「棲み分けが正解」という考え方で、これは最初から最後まで覆らなかった。容易に棲み分けできない環境なり制度なりが一番の問題だろう。

ちょうど昨日、こんなことがあった。

車中で窓を開け外を眺める息子と、その隣りに座っている私。

寒かったので、私は息子に「寒いよ」と言った。

息子は窓を閉め、私は「ありがとう」と言った。

もし息子が発達だったらどう反応しただろう?と考えた。

もしかすると「寒いの?ふーん、お大事に」だったかもしれない。そしてそれに対し、定型にあぐらをかいている私は「寒いって言ってるじゃん」と念を押したかもしれない。息子が「え?う、うん、寒いんだね理解した……!」と言ったところで、私は「どうして窓を閉めないんじゃ」とイラつくかもしれない。

そして息子は「意味不明だよこいつ……だったら最初から「窓を閉めて」と言えよ……」と思うかもしれない。

だからもし、発達が相手だったら私は「風が入ってきて寒くて不快だから窓を閉めてくれる?」まで言わなきゃならないのだろう。

では、息子は実際には私の言葉を脳内でどう処理したのだろう?

言葉にすると下のような感じだと思う。

「お父さんが僕に寒いと告知してきたぞ。気候が寒いってこと?寒い季節だねってこと?窓を開けたら僕が寒くなるよってこと?ううん、彼が僕に対して言いたいのは、僕が窓を開けているのが原因で彼が寒い思いをしているってことだ。だから彼はそれをわざわざ僕に告知したし、窓を閉めることを僕に暗に要求している。OK、閉めよう」

定型が頭の中で実際にここまで考えているかというと、Noである。脳は一瞬で「寒いよ→OK、閉めよう」と処理する。私もそうするだろうし、定型の大半はそうするか、これに似た反応をするはず。ほとんど脊髄反射で、これが定型らしい機序だと思う。

だからこそ、定型の機序を定型が言語化するのは困難である。わざわざ考えていないことを言語化するというのは、自分の内臓の色を正確に描写しようという試みに近い。自分の内臓の色なんて見たことないのに!

息子はどうやら定型なので、ここまで言語化する必要はない。しかしその必要がない環境においても、こういうことを考えたり想像したりするようになった。カサンドラ以前の私にはまったくなかった視点だ。

言語外のメッセージを言語化する工夫は、対発達に限らず定型相手にも必要あるいは有用な場合が少なくないと思う。そのくらいまで知識や視野を広げられる人が増えれば、発達だけでなく全体がもう少しいい社会になるかもしれない。

ただ、最終的には「合わない人とは付き合わない」に尽きる。

相手の特性は関係ない。

発達と定型の折り合いのつけ方でなく、自分の人生に自分でどう折り合いをつけるかという問題だと思う。

相手が発達だろうが定型だろうが、付き合う相手を選ぶ権利が護られる社会が理想だろう。現実的には難しいのだろうが、真の多様性とはそういうことではないか。感情的にあるいは現行の社会システム的に折り合いをつけようとするから不具合が生じるわけだ。

システム上のバグで棲み分けが叶わないのであれば、それはシステムの問題である。感情の問題はまた別で、感情は自分でコントロールするしかない。

当該問題において私が最終的に思うのがこれだ。

「付き合う相手はよく選ぼう」

相手の特性に関わらず、「この人が好き」と思ったら好意を持って接すればいいし、「この人が苦手」と思ったら無理せず離れればよい。本来はそれだけのシンプルなことである。そのためには「好き嫌い」「合う合わない」をしっかり見極められる審美眼が必要だろうし、「嫌い」の感情を差別や否定に直結しない分別も必要かもしれない。

いずれにせよ、容易に棲み分けできない社会的な問題についてはまた、発達障害とは別のトピックとして追々ツイートしていこうと思う。

さいごに

最後までお読みいただきありがとうございました。

カサンドラと発達障害の話は多面的すぎるし複雑すぎるので、伝えたいことを本項でちゃんと表現できたかはわかりません。あまり長くなり過ぎると読むのが苦痛になると思うので、できるだけ要点を抽出したつもりです。私なりにベストを尽くしました。読みにくい箇所などはご容赦ください。

最後に、本項と関連するいくつかの記事を紹介します。

まずは「ASDには義理や恩、感謝の気持ちはあるん?」という純粋な疑問に、さまざまな方が多様な回答をくださったTweetに端を発する記事です。noteの冒頭で紹介しているTweetのツリーが参考になるのでおすすめです。

次に、「カサンドラこそ加害者じゃないの?」という意見に反論する形の記事です。

最後に、定型がASDの輪に入った結果、新たな自分に目覚めてしまったっぽい話です。

というわけで、これにて自分の中のカサンドラとぐっばいさせていただきます。

今後も発達障害やカサンドラのことや、趣味に関する雑多なことをツイートするつもりなので、引き続き宜しくお願いします。

また、将来的には発達支援事業も考えています。現在は別事業に着手してしまったので保留中ですが、そう遠くないうちに起業準備を再開する予定です。将来的には、机上の空論でないリアルにおける発達×定型のノウハウやエピソード、トライアンドエラーやライフハックなど、現場から生の情報を抽出した実践的な内容を発信できるようになるかも……?

詳細は検討中につき未定なのでまだあまり明言していませんが、SNSを通した雇用や外注なども積極的に検討していきたいと思っています。始動したら関連情報をTweetすると思うので、気になる方はTwitterをフォローしておいてください。

最後に、自分の中のカサンドラに向け全力で言わせてもらいます。

Good bye‼

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