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【日本一バカで美しい旅】国道1号踏破 #3 水


前回はこちらから。


旅は道づれ

 目が覚めると一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる朝がある。たいていの場合、少したてば、自分がベットの上で、そっか、今までねむってたんだ、と気がつく。
    今日もまた、その例にもれることなく、夢うつつな瞬間は程なくして終わりをつげた。
    ただ、ひとつ、いつもとちがって、自分は、今日はベットの上にはいない。
   自分はいまどこにいるんだろう?


 うつらうつらとしながら、せまいボックス席の扉を押し開ける自分は、むかし、おかしのオマケにあったびっくり箱から跳ね出るピエロみたいになって、まわりの人はびっくりしたかもしれない。

 ドリンクバーの端に追いやられてふつふつとしているコーンスープを流し込んで、無理やり目を覚ます。電車に揺られること数駅、そして、昨日あんなにうらめしかったバスに揺られること数分。
 昨日の敵はなんとやら、とかいうやつだ。バスの車窓からみえるなんてことない住宅や田んぼのかざらない姿を見ているのも、案外悪くない。

 昨日の最終地点の、ショッピングモール前のおおきな交差点までもどってきて、北へむかって歩き出す。旅が再開する。
    バスは少しくらい、自分との別れを名残惜しくするかな、と思いきや、こちらには一瞥もくれずに、東へ東へいそいそと、朝イチからエンジン音を轟かせて過ぎ去っていく。ただまっすぐに。その実直な、シャープな横顔が、しだいに米つぶみたいになって、やがてもう見えなくなった。

 

放物線

 程なくすると、大阪府を抜けて、京都府へと入る。とりあえず、県をひとつまたぐことができた、という自信は、それだけで次の一歩への力になる。

 しかしまあ、ただ目には見えない県境を越えた、というだけで、依然として、映えない住宅地やら山やらが軒を連ねているのは変わりない。京都、といえば歴史ある寺社仏閣をイメージするが、ここではそれらのほうが、ずっとまえから鎮座しているんじゃないか、というほど堂々としている。

 

    歩いていくと、そのうち、傾斜の急な坂が立ち現れた。朝早く、ということもあってかなかってか、自分のほかに歩行者はいない。どうやら、散歩コースにするにはこのカーブは少々、大振りなようだ。おまけに、空も、昨日の負債をまとめて返済するかのごとく、日の光をいっさい出し惜しみしないでいる。

 だから、余計なことは考えないようにして、ただひたすらに、坂の描く放物線をなぞっていく。


 
 したたり落ちる汗をぜんぶぬぐい捨てたもんだか、のどの渇きが凄まじい。だから、少しでも水分をうしなわないように、口元に力を込めて進みつづける。はあ、とか、ふう、とかいうため息でさえ、発してしまえば、そのぶんだけ踏み出せる一歩一歩が少なくなっていく気がして、発しない。

 

飲み水

 登り切った、頂上からみた景色は圧巻、とまではいかないが、それなりに達成感を満たしてくれる。

    たまらず、自販機に、小銭を何枚か掃き捨てる勢いで投入する。ガシャン、とお決まりの効果音とともに、ペットボトルを一本きちんと吐き出す。

 からだ全体を猛スピードで通り抜けていく水は、あまりになめらかで、その流れに身を任せれば、このまま一気に坂の一番下までいけるんじゃないか、なんて錯覚におちいる。


川の流れのようにあっという間に傾斜を下り京都市街へ。


 街を越え、ひとつ峠を登り、そしてそれを下りきって、もういちど、街ならでは、の、工場地帯が顔をのぞかせると、また、人の暮らしの気配がプンプン香ってきて、踏み出す足の速さが思わず速まる。まっすぐ、はるか先までたなびく雲も、期待と不安をいっそうあおってくる。

 

    これこそが旅の醍醐味だと思う。こうした、たぎる思いが、乾ききった心のめぐみの水になる。


八幡市を越えて久御山町に入るとなんと国道1号は3ルートに分岐する。
東から順に、北東へ進み、宇治市を通るルート。インターチェンジを多く敷いた最も交通の便が多い北上ルート。そして、それと平行して街中を貫くルート。今回の旅では3番目のルートを選択し、写真はその道中に現れる京都南インターのようすを記録した。なお、2番目と3番目のルートは平安京の南端に位置する、東寺のあたりで合流することになる。

コーヒー

 京都市内を北上し続ける。京都は盆地になっていて、暑さがこもりやすいと聞いたことがあるが、どうやら、まちがいではないみたいだ。太陽が真南にさしかかるにつれて、したたり落ちる汗の量も増していく。

 街の中心部は、そんな暑さが、人や車の喧騒と折り重なって、いろんな熱のアンサンブルを成す。


東寺の五重塔は、まわりの雲を蹴散らしながら天を突き刺しているようにも見える。

 軽い昼食を済ませたあとは、ずんずんと京都市街を突き進む。東寺、京都駅、清水寺…………
ほんとは見てみたいけど、時間を気にかけて素通りしていく。
 京都に来て観光しないで、ぜんぶ素通りするなんて、コーヒーのない喫茶店に行くのとおんなじだけど、仕方ない。


碁盤の目を規律正しく人や車が往来する。奥にはふたたび山が顔をのぞかせている。

 

    そんな、コーヒーのおいてない喫茶店をあとにすると、いよいよ険しい山道を登っていくことになる。途中、自販機もないような山道だ。

 ただ、険しいとはいっても、目に映る景色が、先ほどまでの街並みと打って変わって、一気に、自然、という感じになるので、さほど苦もなく進んでいく。



途中なんとも気味の悪いトンネルがあらわれる。後日しらべると、ここら一帯は墓地や火葬場、昔の刑場などがあるらしい、、、

バーゲンセールや!

 山道を抜けるとまた、あたらしい街がその姿をあらわにする。どうやらいちおう、ここはまだ山科区といってまだ京都市内ではあるようだ。山道では結構、不気味な思いをしたものだが、その分、街のにぎわいをからだで浴びた時の高ぶりが大きい。そんな、山道と街のくりかえし、新手のサウナ、のつもりなんだろうか。

 
    そんなふうに、からだをととのえたあとは、食料や水の用意をととのえる。なにしろ、この街を抜けると、今まででいちばん険しい山道になるからだ。
 東京までの道中、いくつかの険しい山を越えなきゃいけないけど、これから登るものはそのひとつ。軽いハイキングぐらいをできるぐらいの準備がないといけない。



 しばらく、歩き続けると、やがて山道の入り口にさしかかる。意外にも、きちんと歩道も整備されているし、横には平行して、線路がはしっているのでそれほど険しさを感じることはない。

 けれど、今日は、時間的にここがピークだとはりきって進むも、今日は、朝からたいへんな坂道、工場地帯、碁盤の目、不気味な山、と数々通ってきただけあって、さすがに全身にこたえるものがある。今日、ここまで30キロメートル弱は歩いている。

 

    だんだんとせまくなる道幅に、心まで縮こまっていく。歩道も片方の車線にしかないところばかりになる。
    歩道橋を登って、降りて、右往左往を何度も何度もくりかえしていると、胸にある真っ白い光に、真っ黒いもやが立ち現れては消えていく。

 
    いつかの、もうひとりの自分が、またどこからともなく現れて、耳元で、今ならまだ帰れる、とささやいてくる。

 

 そうして、後ろ暗い、胸のもやがとうとうあふれて、たちまちのうちに空一面を覆う。朝、体じゅうの水分をうばっていった空が、やっぱりいらなかったんだろうか、それらを、ぜんぶ放り返してくる。


 傘は持っていない。荷物を少しでも軽く、と思ったからだ。
 からだがぬれるのはまだいい。食料や水だってどうってことない。けれど、背負ったリュックの中身がぬれるのはまずい。
 着替えやタオルなんかがびしょぬれになったら、明日以降に着るものがなくなるし、それにいま、水をたっぷり含んだ衣類を背負い続けるなんて、いできる気がしなかった。


 つぎの歩道橋をなんとか登り切って、たまらず立ち止まる。
 雨が降り出していそいでいるんだろう、車がすごいスピードで次々に自分を追い抜いていくのを橋の上から黙って見ていた。

「 」


 しばらく呆然としていた。

 ふと、スマホの地図アプリをひらいて、これまでの自分の旅路をかえりみたり、ずっと先の、名古屋とか東京とかの道のりを見てはうらやんだりしてみる。画面がぬれても気にしない。



 もう画面が水滴でいっぱいになって、アプリを閉じようとするその時、とあるひと文字が目に映った。


 「ゆ」

 だ。

 湯だ。湯、とはあたたかい水が疲れをいやしてくれる場所のことだ。

 その、「ゆ」というたったひと文字は、水をはじくように、画面上でさん然とかがやいている。まるで、荒波の中、たったひとりで、船の帰りを待つ灯台のようだ。

 しかも、距離にして11キロほど。ちからを尽くせば歩けない距離じゃない。
歩道橋をすべらないように、一段一段しっかりと下って、灯台の待つ港に向かって、ふたたび歩き出す。
 そんな自分の航路をかき乱すように、雨は一段と強さを増すけど、もうひるまない。

 

流れ

 1時間くらい、立ち止まることはせずに山を登り続ける。

 道幅が今度はすこしづつ広くなる。とうとう、山を抜け、滋賀県・大津市へ。

 「ゆ」の放つ光が強くなる。


 その一方で、雨はまだ、しとしとと降り続け、黒々とした空に見下ろされていると思わず身体がこわばる。

 渇きを潤す、つめたい水もあれば、全身を震えあがらせる冷たい水もある。
 けど、その一方で、疲れを芯からほどいてくれる、あったかい水もあるにちがいない。

 それからも、立ち止まることなく歩き続ける。というより、逆にこのまま立ち止まってしまえば、もうそれ以上歩けない気がした。




 ちょうど、琵琶湖にさしかかったところ、そんな必死な自分を横目に、電車が水を切って、駆け抜けていく。あんまり速く走っていったから、雨も一緒に振り切っていった。



湖には水の流れも波もなく、おだやかである。


 歴史はひとつの大きな河だ、という。人やもののさまざまな交錯が、数々のちいさな流れを生み出し、そして、ときにおおきなうねりを引き起こす。
 それはきっと、ひとりの人生でも同じ。人やものとの出会いを通じて、その流れ方を次々に変えながら、下流へと流れていく。

 けど、いちど流れた水がふたたび同じところを流れることはけっしてない。歴史も人生も、上流には引き返せない。
 この旅のあいだに流れる時間だって、今しかない。


 湖を通過すると、目的地まではすぐだった。


 

 湯が体じゅうの疲れを洗い流す。あたたかい水は役割を終えると、平気な顔して、ためらいもなく流れていく。

 

 しばらくして、そこを後にする。首を振らずに、もう、あしたの錨を上げたつもりで、また一歩踏み出す。

 

2日目の成果

・踏破ルート ニトリモール枚方前(大阪府)~おふろcafeびわこ座前(滋賀県)    ーーーー約 39,800m
・総移動距離 68,300 / 539,300m

3日目はこちらから。



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