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点滅社「鬱の本」を読んで


 今、スーパーにまさに向かおうと準備しているときにこれを思いついたので、急ぎポメラを立ち上げた。
 「鬱の本」を読んで急に触発されたのだ。

 事務員時代はひたすら「効率」を求められた。「マルチタスク」を強要された。苦手としていた数字に関する仕事がやたら多くて大変難儀した。それらができない私は後輩にも馬鹿にされ、叱責とまではいかないけれども、「仕事のできない人」の烙印を押された。なんだか悲しかった。

 本を読んだ。その頃に読んだ本は「効率的に仕事を進める」ための本。いわゆるハウツー本。それを読んでも実践はできなかった。仕事はできるようにはならなかった。本を読んでいることを知っている上司からは「読んでもできないの?」という目で見られた。悲しかった。

 その当時、本といってもハウツー本しか読む気になれなかった。上司に「読んでもできない子」と見なされてからは、ハウツー本を読むのが怖くなった。そのジャンルの本のコーナーに行くことすらだめになった。小説、エッセイのような文芸書も含め、すべての本が嫌いになった。仕事上の書類を読むのもおっくうだった。私自身はその自覚はなかったけれども、うつうつしていたんだと思う。

 いろいろあって今はその事務仕事も辞めてしまった。「効率」の言葉に脅かされない、「マルチタスク」に追われない、「数字」も見なくていい。私の心は平穏そのものになった。

 平穏になった今となっては、本を読みたいと思えるようになった。特に食に関するエッセイに関する意欲は食欲に近い。むさぼるように読んでいる。本屋でも本を眺めることが好きになった。小説が第二の家だった昔のころの自分の感覚。ハウツー本の類いのコーナーに行くのはまだ怖いし、平積みにされた表紙をみるだけで圧迫感がある。それでもほかの本が楽しいと思える自分がまた帰ってきたのが、うれしい。

 さあ、スーパー行こう。今日はそうめんの日。

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