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【アラサー上京物語。#37】環境は人を変えるのか?

よく聞きますよね。


人が変わるには、

・環境
・付き合う人
・時間配分


を変えなさい、

と。


これ、一体いつから言われているのだろう、と調べてみると

こちらの本で提唱されてからのようです。

2011年なので、思ったより最近ですね。

「〜しなさい」「〜は9割」とかってもう散々使い古されていますが、この頃は新しかったのかもしれません。

この言葉だけ一人歩きして引用されていたりするので、実際多くの人がハッとしたり、そうだそうだ!と共感しやすい言葉なのでしょう。

この言葉を知った時は自分を変えたかったですし、なんだか毎日モヤモヤしていたのでそうするしかないんだ!でも変えられない!なんで変えることができないんだ!こんな自分!だめだ!

みたいな気持ちで葛藤していました。


こんな自分、だめだ!

思考になっていると、今度は「自己肯定感を高めましょう」系本が流行りましたよね。笑


みんな時代の心情にある程度考えたかも流されるのですね。


ちょっと脱線しましたが。


実際、この3つが変わってみてどうなったか考えてみたいと思います。


変わるというより違う面が出てくる?

変わるというより自分の違う一面を見るという感じがしました。

よく筋トレとかで「ここはあまり使えてない筋肉なので明日は筋肉痛になります」

とか言いますよね、笑

そういう雰囲気です。

元々持ってるんだけど、使う場面がなかった。

それだけのような気がします。

それを考えると、「変わりたい」願望って、どこかで「自分はこんなもんじゃない」とか、「誰かのせいで自分を発揮できない」とか、

そういう感情が乗ってる時もある気がします。


私はそうでした。

基本的になんでも周りのせいにしていたので、環境のせい、とか、誰かのせい、とか。


自分で書いていてウッとなってきます。


そんなことしてもなにもいいことないのにね。


なので、なんか変わりたいって、眠ってる筋肉が「ストレッチしてくれよ〜たまには〜」と言っている状態なんでしょうか(?)


だんだん場所探しが上手くなってくる

最初から居場所探しが上手な人っていると思うんですよ。


なんでもそうですよね。

足が速い人とか、絵が上手い人とか、


それと同じで、自分に合う場所探しが極端に下手な人っていると思います。


そもそも家が合わない場所だと、本当に合う場所の快適さなどを知らないわけです。


快適な場所がこの世界にある、というのを知らない状態で、快適な場所を目指せるわけがないのです。


なので少しずつ自分にとっての快適を知っていき、探すしかないんですよね。

これが地元ではない可能性はもちろんありますが、もはや日本国内でもない可能性もありますよね。

試して体感していくしかないのだと思います。自分のように下手な人は。


自分自身はまだまだ道半ばだと思いますが、だんだん、一ミリずつ上手に、歳を取れば取るほど上手になるはずです。


それが、他の人と足並みが揃わなくても許してあげたいところです。

若い方が、他の人と差があまりないので焦りがち。


でも歳を重ねれば重ねるほど、違いが出てくるので比べにくくなりますね。



根本的に変わることはない


環境と時間と付き合う人を変えても、結局人間の本質は変わることがないように感じます。


ただ、表出するものが変わるだけ。


本当に変わる時というのは、何か別のところにあるのかもしれません。


それはまたの機会に…








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