減薬を開始しました-闘病記:ASDの減薬1
初めましての方は初めまして、黒先です。
10日ほど続いた以前の連載企画から読んで頂いている方も、お久しぶりです。
今回は、治療が新たなステップに入ったので、これを機に記録を書こうと思って、
noteを再開する運びとなりました。
内容としては、19歳・無職、精神疾患が日々の事を連ねるものになります。
前回の連載が10回だったので、今回も10回ぐらい続いたらいいなと思って、始めていきたいと思います。
9月23日
昨日から始まった減薬
減薬に手を付けれるということは、調子が良いということだ。
この、調子が良い、とは、決して僕目線での生活の満足度が高い事とは一致しない。
僕からすれば、むしろ昨今の生活はあまり良い状態ではない。
なぜなら、相変わらずあまり勉強が出来ていないし、何もやる気が起きない1日が続いている。
普通の人と比べたら、僕の日々の生活は、合格点には到底達していないだろう。
それと、治療における調子が良い、とは無関係だということだ。
僕の治療の善し悪しを語る際の判断基準、それは穏やかに暮らせているかどうかである。
この穏やか、とは、明確に判断基準があって、それは両親と喧嘩しない、という事だ。
当然、僕は独り立ちしていないので、今は実家で暮らしている。
兄弟はいない一人っ子だが、父親と母親と一緒に生活をしている。
そこで、僕は元々、度々両親と喧嘩になっていた。
喧嘩になる原因は往々にして、僕個人が勝手に精神的に不安定になっている事に由来する。
今までは、そう考える事は少なかった。
というのも、精神的に安定している状態が殆どなかった為、常に両親と喧嘩になっていた。
だから、当然、その時の僕としては、自分のせいではなく、喧嘩になる原因は家族がおかしいからだ、と思っていた。
さて、僕は神からの啓示を受けた事により_両親を大切にしなさい_、元々の考えを唾棄する事になる。
つまり、長い間両親の方に原因があると思っていた喧嘩は、僕が落ち着いてさえいれば起きないものだった事に気付く。
実際、8月12日に退院して以来、僕の服薬調整が失敗して、不安定になった一週間を除けば、家族仲は非常に良好になった。
これは今までになかったことだ。
僕はここ6年間ぐらいずっと、家族と仲が悪かったのだ。
それが、治療が上手くいったのか、それとも神からの啓示の効果か、
家族と仲良く会話出来る日々がもう1ヶ月半も続いている。
これ程嬉しいことはない。
つまり、治療の経過観察はこれに基づいている。
家で家族と喧嘩にならずに、穏やかに日々を過ごせるか、という事が、今一番重要なのだ。
間違っても、今年中に大学に行けるかどうかや、早く自立できるかどうかではない。
さて、減薬が始まったという事は、この昨今の状態が良いことを意味し、すなわち、家族仲が良く、落ち着いて暮らせている事を意味する。
だが、少し不安な事がある。
それは、退院後、一時的に薬を減らした出来事に起因する。
当時、僕の処方は、現在と同じジプレキサ20mgだった。
そこで、相変わらず睡眠時間が長かった僕は、薬の変更をお願いした。
主治医はそれに従って、ジプレキサを10mgにし、代わりにラツーダを何ミリか出した。
しかし、予後は悪かった。
僕は薬を変更してから一週間、母親とどうしようもない言い合いを繰り返した。
そこで、また元の薬に戻してもらうと、また今度は良い状態に戻った。
つまり、薬によって変化する体調に基づいて、家族仲が悪くなってしまう危険があるということだ。
これは非常に怖い。
しかし、やはり今の薬の量は多いので、減らしてみようという事になった。
20mgだったジプレキサの量は、17.5mgまで減量する事になる。
昨日の夜、既に薬はこの量で、今日は減量1日目だ。
今のところ、体調はあまり変化が見られない。
家族と仲良く過ごせているのも同じだし、睡眠時間が長いのも同じだ。
減らしたのが微量だから、全く変わらない事も有り得る。
しかし、ともかく、薬なしでも安定して暮らせるようになりたい。
これはその為の第一歩だ。
連載再開に向けて
この減薬記録は多くの人に読んで貰いたい。
なぜなら、完全に断薬出来たら、文字通り発達障害の寛解記録となり、
多くの人に希望を与える記録になるからだ。
今回も、あくまで自分の為でありながら、人が読んで面白いと思って頂ける内容にしたいと思う。
以上、黒先でした。
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