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26.それから

みなさんのご想像通り

抱えきれない気持ちは
私たちを蝕んでいった

私が“癌”になればよかったと 何度も思っていた。
娘のこと、将来のこと、会社のこと、親のこと、家のこと、
お金の心配...もろもろ

そんなことを考えていても
どうにもならないことを
考えていた。
今 思えば 
その時の私のポジションから ただ逃げたかっただけなんだと思う。
今 起きていることが 現実と受け止めるのには 大きすぎて
なぜ 私にこんなことが起きているのか? 
と嘆いていた。


『神様は、その人に乗り越えられる試練しか与えない』
なんて聞いたことはあったけど
いくら強い私でも こんなの乗り越られない!
無理だ!無理だ!無理だ!!

こんな大きな事柄があったとき
間違いなく主人に相談していた。

まさか主人に聞けるわけもなく、
がん患者の家族の本を数冊読んで

『家族は第二の患者さん』

本当にそうだと思っていた。
そして
少しだけ その言葉に救われていた。

哀しみと悲しみと不安と寂しさと なぜか怒りと 
言葉にならない感情が渦巻き 毎日 主人だけがいなくなった部屋で 
普通に過ごすのは きつかった。


半年くらいたった頃だろうか
毎朝、主人は散歩に出掛けていたので

『ご主人は 違うコースにしたの?』

と 主人と毎朝会う近所の人に聞かれた。

『そうなんですよ』

YESNOの質問にホッとする。

誰も 何も 
質問をしないで欲しかった。

"嘘”をつくことに対して へんに罪の意識が芽生えていた。





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