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sanngo
2024年1月18日 10:30
前回までのお話しは、こちら↓父が優しい陰の人なら、母は頑張り屋さんで働き者の陽の人だった。私の耳が聴こえないと分かった時、母は藁にもすがる思いで色々な病院を駆けずり回り、効くと言われれば高価な水を買い、胡散臭い宗教へも幼い私を連れて軒並み顔を出した。もちろん直ぐに騙されたと気付いたそうだが。先天的な聴覚障害が治らないと分かると今度は私のろう学校へも一緒に通学するようになった。。家の中で母だ
2023年12月21日 14:58
父は優し過ぎるくらい優しい人だった。その優しさが、あんな結果を招いてしまったのかもしれない。私が生きている父に最後に会ったのは、父が自ら命を絶った年のお正月だった。久しぶりに帰郷した私を精一杯のご馳走でもてなしてくれた。母が居ないお正月は寂しかったが、今思えば運命が父と二人きりで過ごす最期の時を作ってくれたのかもしれない。あの年、日本を襲ったコロナでその後は帰りたくても帰れない状況になってしま