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話し方が上手くなりたい!

ご訪問頂きありがとうございます。
りなおです。

今回は「話し手」と「聞き手」の関係性についての個人的な見解。
みなさんは話し方がもっと上手くなりたい、もっと論理的に話ができたのではないかなど思ったことはないだろうか。

話し方が上手くなりたい!

私は元来、人前に出て話をしたり意見を言ったり、みんなの船頭になって舵を取るような性分ではない。ただ、仕事中は妙なスイッチが入り、教壇に立ち約40人の前でしゃべり、担任や顧問として船頭の役割をやっている。先に述べたように元々おしゃべり好きではないので、上手く話すためには、もっと論理的に的確に伝えるためにはどうすればよいか考えてしまう。(正直、マイナス思考が発動する時はこんなに話し方が下手なんだから自分は教師向いてないのではと落ち込むこともあるくらいだ。)

上手く話せる時と話せない時の分岐点

「話し方が上手くなる」関連の本も何冊か読んだ。でも、知識を入れるだけでは何ともならない。授業では人前で話をしているが、同じ内容でもすごく上手く話せる時と、全然ダメな時がある。なにがそれを分けるのか。答えはこうだ。私の場合、その分岐点にあるのは聞く側の空気である。自分のことは棚に上げて何を言っているとお叱りを受けそうだが、同じ内容を話す授業を1日3~4クラスを毎日おこなっている。ほぼ同じ話をするのに、どうしてこんなに差があるのかと考えると、やはり私は聞く側(生徒)の態度やそれが作る教室の空気にかなり影響されているのではないかと思う。言い換えると、話を聞く人が話す人の状態を作るということだ。

聞く態度の重要性

同じ内容でも、私の話をまるで映像を見ているかのように無表情で眺めているような雰囲気のクラスと、頷いたり首を傾げたり、メモを取ったりと反応がわかるようなクラスの空気は、話す側の気持ちに影響を与える。あまりにも、反応がないと最低限のことしか言わずに終わってしまうし、いい空気だとあれもこれもと話したくなる。仕事なんだから、空気感や雰囲気に惑わされず同じ話をどのクラスでもすべきという考えの人もいるだろう。でも、あえて私は言いたい。授業は映像ではない、ライブなのだ。生なのだ。授業に定型はない。その場の雰囲気で生徒と一緒に作るものなのだ。ともすると、もしかしたら「話し方」というよりも「聞く態度」が大事なのかもしれない。

「話し手」と「聞き手」の関係性

なぜ反応が全くないクラスが誕生するのか。もしかしたらそういうクラスの生徒は当事者意識が薄く、自分に言われているわけではないから自分が反応しなくてもいいだろう的な思考なのかもしれない。話す側はそれを意識して、一人一人に届くように話し方を工夫するべきだし、聞く側も気持ちよく話してもらうおうと気を使うべきである。これは理想論か?いや、話す側、聞く側がほんの少し意識を変えれば、ウィンウィンだ。話す側は気持ちよく話せるし、聞く側はいろんな情報を得ることができる。

話し手の醍醐味

ちなみに、私が思う話し手の醍醐味は、自分が話したことをきっかけに聞き手がその話を持ち帰り考えて行動に移すことだ。自分の話が人を動かすきっかけになるかもしれないのだ。私の先輩がこう言っていたのを思い出した。

「医師は目の前の患者一人しか救えないが、言葉は大勢を動かし救うことができる。だから私は医師を志すのをやめ、教員になった。」

この先輩先生は、話すことの醍醐味を存分に味わい尽くし退職された。
話し方が下手であろうと、自分なりに一人一人に伝えようとする姿勢を意識しようと思う今日この頃である。

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