チョロトラ

退職して4年目。自分にできる事、人生を楽しめることを探しています。 庭と畑仕事が好き。…

チョロトラ

退職して4年目。自分にできる事、人生を楽しめることを探しています。 庭と畑仕事が好き。ときどき旅に出ます。旅の写真集を作るのも楽しみの一つです。

最近の記事

母のそばで♡最後まで挑戦!篇

緩和ケアの訪問診療の先生が聞いた。 「何かしたいことはありますか?」 95歳の母は目をキラッとさせて 「家に帰って玉ねぎを見たいです」と言う。 自分が植えた玉ねぎの成長を見たいのだ。 だから、ドライブの練習をした。 短距離、短時間から少しずつ距離と時間を延ばして。 私の車で、または妹の車で。 人生の最後に「したかったけどできなかった」ことがないように。 酸素ボンベの扱いにも慣れてきた。 調子も良いし、チャンスかな? でもやっぱり不安 家に行ってみようか、1泊で。 母

    • 母のそばで♡ひょっとして毎日ごちそう篇

      食欲のない母を心配して、いろんな人が美味しいものを持ってくる。 なんとか食べて欲しくて、毎日何をどのくらい食べたか記録した。 食べたら喜び、食べないと心配する。 そんな毎日の記録を改めて眺めたら気づいた。 「これって、けっこうごちそうだね!」。 朝食 朝食は基本的にごはんとみそ汁。 出汁もみそも2種類を混ぜる。 それにお漬物。 家で育てた大根を漬けたもの。 農家さんから頂いた赤大根の酢漬け。 妹が作ってきた高菜の油いため。 夫が作る目玉焼きとウィンナー炒め。 母は漬物が

      • 母のそばで♡あと何回キレイな夕陽を見れるか篇

        95歳の母が私の家で暮らすようになって3か月目。 緩和ケアの訪問診療と訪問看護を受けている。 危ない時期もあり、皆に集まってもらったこともある。 しかし、最近は調子が上向きになってきた。 病気が良くなることはないのだけれど。 肺ガンの末期。 だけど先生も驚く生命力を発揮している。 調子が良いからドライブに連れ出す。 夕食後、夕陽を見に。 「キレーい!!」と母は叫ぶ。 あと何回こうやって夕陽を見れるだろうか? 晴れの日の確率 知らなかった!  考えたこともなかった!

        • 母のそばで♡自分のお金を動かせない篇

          95歳の母が私の家で療養する直前のこと。 銀行に行きたい、というので連れて行った。 よろめくのが心配で母の横に立っていたけど、 手元は見ていない。 いくら親でもジロジロ見るのは失礼と思うから。 ところが!! えらく時間がかかるので 「どうかした?」と声をかけてみた。 母は困った顔で「お金を下ろせない」という。 手元が狂って違う番号を押したんじゃないの? 母に番号を聞いて私が操作してみた。 機械は反応しない。 母と私で何度か操作したので、もう無理だ。 とうとう…?

        母のそばで♡最後まで挑戦!篇

          母のそばで♡地球の未来を想う篇

          季節の変わり目はキツイ。 気温の上下が激しくて…。 こんなにキツイものだったかな? 冬から春へ 苦手な冬から暖かい春に季節が変わった。 ワクワクするはずなのに、今年はキツイ。 まず、今年も2月から花粉症が始まった。 60歳を過ぎたら花粉症は軽くなる、 なんて誰が言ったんだっけ? 加えて気温の上下が激しすぎる。 エアコンで部屋を暖めるだけでは足りなくて この冬は寝る時に電気毛布も使った。 隣で寝ている母は、電気毛布と ペットボトルあんか。 足が冷たい、というから お湯

          母のそばで♡地球の未来を想う篇

          母のそばで♡時間をどう使うか篇

          母と暮らすようになってから、今までより 「時間」を意識するようになった。 つまり、人生の残り時間。 95歳の母は今までも残り時間を気にしていた、 私とは全く違う意味で。 「ねぇ、お母さんはあとどのくらい生きれば 良いんだろうね」 寿命の目安 そこで勝手に目安を作った。 「お母さんの方のじいちゃんは102歳、ばあちゃんは96歳まで元気に生きたんだから、お母さんは 平均して99歳…100歳かな?」 ところが、目安がくずれそうだ。 肺ガンが思ったより進み、それが原因で 胸

          母のそばで♡時間をどう使うか篇

          母のそばで♡誕生会篇

          95歳は珍寿というらしい。 99歳は白寿ということは知っていたけど。 もう、何寿だろうと毎年お祝いしよう。 誕生会計画 誕生会の計画を早くから立てた。 母の好きな料理屋に行くつもりだったけど、 遠い所は無理みたい。 毎年、料理と眺めの良い店でお祝いしてたけど、 今回はあきらめよう。 では、お弁当にしてもらうのはどうだろう? 電話でお店に相談したけど、無理だった。 では、もう一つのお気に入りの店はどうだろう? 母お気に入りのメニューもたくさんある。 場所も近いし。

          母のそばで♡誕生会篇

          母のそばで♡心配が止まらないときは

          最近、母の調子が良い。 緩和ケアを私の家で受けている95歳の母。 末期の肺ガンと言われ、何度かお別れの予感も したけど。 今日もチョッとドライブ。 山桜がキレイだった。 苦しむことが最近は無い。 ごはんも食べている。 なのに、私の心配は止まらない。 私は最後まで本当に優しくできるのか? 母の心配ではなく、自分の心配だ。 母が危ない、という時は緊張感がある。 使命感もある。 精一杯世話をするし、慰め、励ます。 乗り切って安心したとき、緊張がゆるむ。 期間が長くなって「

          母のそばで♡心配が止まらないときは

          母のそばで♡知らないことは教えてもらおう篇

          医療費の限度額設定 95歳の母は私の家で療養している。 お世話になっている病院で「医療費の限度額設定」をするように言われた。 なんでも「限度額」を超えないようにして頂ける、ありがたい制度らしい。 役場に行けば申請用紙もあるだろうし、わからないことは教えてもらおう。 善は急げだ。さっそく役場に向かう。 母の家は私の家と「市」が違うので、母の家がある「市」で申請するように教えてもらった。 母から離れるのは不安なので妹に頼む。 この前もちょっと買い物に出かけた時に、母は苦しん

          母のそばで♡知らないことは教えてもらおう篇

          母のそばで♡意外なおまけ篇

          母が私の家で療養しているから、いろんな人が訪ねてくる。 母の妹とその家族、孫たちとその家族。 お医者さんと看護師さん。 訪問看護の看護師さん。 最も頻繁に来るのは私の妹たち、つまり母の娘たち。 遠くに居て来れない叔母たちは電話。 なかなか忙しいのだ。 でも、もちろん嬉しい。 母との生活は意外なおまけがついてきた。 訪問者のおみやげ 訪問者は何かを持ってくる。 美味しいもの、きれいな花。 楽しい話。笑顔。 どれもどれもありがたく嬉しい。 母は元気そうに見えるけど、そ

          母のそばで♡意外なおまけ篇

          母のそばで♡罪ほろぼし篇

          私の家で95歳の母は療養している。 辛い病気の症状に苦しんだり、不安で押しつぶされそうになりながら。 家で看護している、といえば聞こえは良いかもしれない。 親孝行な娘、と言う人もいるかもしれない。 しかし、たくさん心配をかけてきた私。 決して、親孝行な娘ではなかった。 恩返し、ではなく罪ほろぼしだ。 元気いっぱい 父が元気だったときは、仕事の忙しさにかまけてロクに電話もしなかった。 父と母の誕生日に招待して、食事をするくらいなものだ。 その後、父を家族みんなで看取

          母のそばで♡罪ほろぼし篇

          母のそばで♡問答篇

          母は一生懸命生きてきた。 戦火をくぐりぬけ、働きながら家庭をはぐくみ、病気がちの父を支え、私たち子どもを育てた。それ以外もたくさん苦労した。 なのに、人生の最後に病気が重いことで気を落としている。 病気の症状でおこる苦しみを軽くしたい。 母らしく少しでも明るく過ごしてほしい。 私の家で療養しているので、たくさん話せる。 母も、思ったことを正直に言ってくれる。 母との問答は、私が試されているのだ。 ごめんね 母は私に「ごめんね」と言う。 ーーーごめんねって、言わなくて良

          母のそばで♡問答篇

          母のそばで

          母の病状 95歳の母は末期の肺ガン。 私の家で療養している。 入院したら会えなくなるから。 孫たちをはじめ、いろんな人が会いに来てくれる。 病院ではできないこと。 みんな、マスクと消毒をして。 母は、食事がなかなか進まない。 でも、いろんな種類のおかずを並べたら、どれかを食べる。 これも家ならでは。 しかし、ひとつ心配があって。 具合が悪くなった時、どうするのか? これも最近クリア。 お導きがあったのか、緩和ケアを在宅で受けることに。 医師との相談で、今は酸素を

          母のそばで

          覚悟のできない弱虫な自分にエールをおくる

          母の病 母の病が予想に反して、進んでいた。 高齢者のガンは進行が遅いと聞いたのに。 いや、ゆっくりでも進むのだ。 ガンの進行が遅いなら、寿命が先に来て安らかに旅立てると思っていた。 甘い誤算。 人生の最後をどこでどう過ごすか? 入院したら会えなくなる。 一日何人、何分と面会が限られる。 それ以外は病室でぼんやり過ごすことになるだろう。 良くない! 私のそばに居れば、みんなが会いに来れる。 母も、それが心強いと言う。 新しい病院へ 今までお世話になった病院から、

          覚悟のできない弱虫な自分にエールをおくる

          民泊での思い出

          民泊をしていた時期があります、短いけど。 いろんな国の人がやってきて、楽しい思い出になっています。 忙しくなって止めたけど、またしてみたいなと思っています。 民泊で思い出に残る人たちを紹介しますね。 身重のマリアさん マリアさんは妊娠5か月でドイツから夫婦でやって来ました。 安定期に入ったとはいえ、大胆な方です。 夕食を一緒にとりながら楽しく過ごしました。 民泊では、調理師の免許を持たない私たちは料理を有料で提供できません。 食事希望の方は一緒に作ったり片づけたりします

          民泊での思い出

          準備の時間をもらったという話

          母の命 私の家で静養していた母が、お昼寝から醒めてこう言った。 「お父さんが迎えに来たよ。でも、イヤって言った」 父が「早くおいで。」 と言ったらしい。 えらくむげに断ったネ、と一緒に笑う。 その日の夕方、母は呼吸が苦しくなった。 血中酸素濃度がやや低い。 脈の乱れはひどい。 救急車を要請した。 一緒に乗って行く。 やや冷たい母の手をしっかり握った。 心拍数、血中酸素濃度、血圧、体温…。 モニターにいろんな数字が並ぶ。 数字を見る限り、今すぐ命がどうの、という心

          準備の時間をもらったという話