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何かを捨てて何かを得る考え方の良し悪し

半年間就活をしてみて、これまでの自分や同級生に対して違和感を感じたことがあります。

物事の重要度を判断する評価基準が、あまりにも表面的すぎないか?

大学院生の就活は、研究活動、授業と同時並行で進めなければいけません。

その中でも研究活動と就職活動がかなり重く、私の周りでも研究を犠牲にして就活に全リソースをつぎ込んでいる人も少なくありません。

就活を始めた頃は私も全く同じ状況でした。

研究活動と就職活動

大学院生のそれぞれのタスクの重要度を考えたときに、
研究活動は卒業をするために大事な事で、猶予は2年。
就職活動はこれからの人生を決める為に大事な事で、猶予は1年。

そのため、まず猶予の短い就職活動に全てを捧げて、残りの一年間で研究活動を必死に頑張ろうという思考になりました。

もちろん、この二つをただ単にこなすだけならこれでもよいと思います。

しかし、最近私はそこに疑問を持ち始めました。

ただ単にこなすだけで良いのか?

私はそれは違うという結論に至りました。
理由は二つあります。

一つ目は金銭面で、なんのために学費を払っているのかという事。
就活に全振りしている人に多いのが、とりあえず修士号という肩書きがあればいいという考え方です。
肩書も確かに大切ですが、就活で求められるのは大学院生としての肩書きよりも、研究活動を通して得た技術ではないでしょうか。
このことから、自分に求められている知識を身につけもせずに、肩書きで就活を終わらせようとしている姿勢に疑問を感じます。

二つ目に考えたのは、今やっていることは全て今しかできない貴重な経験だということです。
当然ですが、今目の前にあるすべてのことは今しかできません。
また、そこから学ぶことも、今逃すともう学べなくなってしまうかもしれません。
そのような貴重な機会を極端に分類して捨ててもいいのでしょうか。

例えば、高校生の時に大学に受かる方が大事だから、体育祭や恋愛など全て捨てた方が良かったと思う人はいないと思います。
そこから、大人数で力を合わせて何かを作り上げる楽しさや、やる気のない人も巻き込む方法、さまざまな価値観を学んだり、相手を喜ばすために相手が求めるものを雑談から読み取ったり等、さまざまなことを学び、経験したはずです。

これらの学びや経験が、受験で共に頑張る仲間の獲得など、さまざまな部分で受験を乗り越えるための糧となったのではないでしょうか。

就活も同じです。

研究や授業を通して学んだことが、就活で学ぶことと相乗効果を生み出し、より良い就活ができるのではないかと考えます。

一つ一つの要素が複雑に絡み合っています。

そのため、将来的には今就活を頑張ることが大切だからと、他のものから得られる学びがどのように就活に影響するのか、などを深く考えずに表面的なところだけで判断をすることは、本当に将来のためなのでしょうか。

まとめ

正直、僕も何かに全振りしてしまう考えをしてしまっていました。

しかし、就活を通して、インターンを経験して、自分の能力の低さを実感しました。

それと共に、その能力を鍛える絶好の機会が今ある事にも気づきました。

しんどいこともたくさんありますが、今目の前にある絶好の機会を最大限活かせるように、何事にも全力で取り組んでいこうと思います。

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