見出し画像

うつ病になった私へ 3

もし初めて私のnote読んでくれている方がいれば、はじめまして。
過去記事ありきで書いていることが多いので気になってくださったり
内容の意味がわからなくなったらぜひ過去の記事も読んでやってください。


今日は、休職することになってからの前半どのように過ごしていたか記録してみようと思う。

診断書を握りしめての病院からの帰る電車。

重度のうつ病かあ。
でもなんだかんだ仕事に行かなくていいって脳みそが認識したら
途端に元気になっちゃうかもなあ。そしたら恥ずかしいなあ。
私って甘ちゃんだし無意識に重度になるようなテストの答え方したんじゃない?
演技のなんちゃってうつ病かも。

なんてどこか他人事のように思いながらスタート。
病院でも診断され、夫からも普通じゃないと指摘されていて、まだ認めない私。

まあ元気になったらなったでいっか。働かないわけにはいかないし。

結論、全然そんなことはなかった。本当にしんどかった。
そもそも全然記憶がない。

勤務していたのは小さい会社で、人事を担当しているのは1人だけだったのでその人に(多分)電話して休職したいと申し出たのは間違いないんだけど、何を話したか全く覚えてない。

直属の上司とか、所属している部署に連絡したかも覚えてない。
なんかもういっぱいいっぱいだったので多分そっちは連絡していないと思う。
社会人として最低だし本当に申し訳ないことをしたと思っている。

でも、気まずいからいっかとかじゃなくて多分本当にできなかったんだと思う。
感覚としては気付いたら休職していて仕事に行かない毎日になっていた。

私はとにかく寝ていた。ひたすら寝ていた。何をしていてもしんどい。
こんなに寝ているのにずっと疲れてる。
ずっしりと何かが乗っかっているみたいに身体が重くて動かない。

ベッドにひっくり返って悲しくもないのにボロボロ泣きながら1日が終わった。
1日のうち、起きている時間の方が短かかったし起きていてもぼーっとしていてほぼ寝ているみたいな状態。

寝っ転がったままなら何かできるんじゃないかとか思ったけど
文字は読めなくなったし集中力は無くなったし
映画も読書もネットも何にもすることがなかった。音楽も無理。

毎日日課で聞いていた録音していたラジオだけとりあえず流しておいた。
内容一緒に喋れるくらい暗記していたから
新しく何かをインプットする必要も、じっと耳を傾けている必要もなかったし、毎日それが流れていて当たり前だったからとりあえず流しておいた。

もちろん外出なんてできなくて、月一の楽しみだったネイルサロンだとかそういうのも行けなくなった。
ネイルできなきゃ生きていけない〜なんてヘラヘラしてたのに、
ネイルに行くのに外に出たら死にそうだった。

元気な時にやってもらったネイルがどんどん伸びていって、
歪になった私の爪の上のかわいいキャラクターと目が合うたび
どうしてこんなことになっちゃったんだろうと涙が出た。


以前摂食障害であることについてnoteを書いたが、
運の悪いことに過食になるタイプのうつだったので
どんどん太っていく自分にまた死にたくなって泣いた。

しんどくてちょっとしか起きてられなかったけど、
動ける時は信じられないくらい食事を摂った。

そして、これについては書いたことはなかったが私は強迫性障害の気もある。
昔に診断されて、一時期よりは落ち着いたものの確認がやめられなかったり
マイルールに沿って行動しないと途端にどうしたらいいかわからなくなる。

この症状もメンタルを病んだことで顕著に表れ、
うつで動けないしんどい眠いだるいと苦しみながらも自分で決めたことを
いつも通りにやらないとまたストレスでどうかなりそうで
這いつくばって時間をかけながらも動いたりしていた。

何もかも悪循環だった。絶対休んでた方がよかったのに。
病院でも再三言われた。でも、決めたルールは守らないと落ち着かなくてまた病みそうだった。

病気に病気が重なってどうかなりそうな毎日だった。

良かったことがあるとすれば、ルーティーンを崩せないという特性上
部屋を散らかすとか(許せないし物を置く場所とかも決めてる)、
薬を飲み忘れるとかそういうことはなかった。

寝て、また寝て、それでまた寝て毎日が過ぎていった。
お風呂も歯磨きもなんにもできなかった。

お風呂に入ろうと意を決してベッドから出ても、着替えをとるのにしゃがんでそのまま立てなくなって1時間も2時間も経っていてもう無理だと寝た。

動作も、喋りも遅くなっていると(あとからだけど)指摘された。
すごくびっくりしたのを覚えている。

どちらかといえば早口な方だったし、マシンガントークでせっかち。
そんな私が言動に対して遅いと言われるなんて。

ぼんやりとベッドで過ごしながら、離婚を切り出されるかな、と心配しながら布団を被った。

物事を考える余裕はなくて起きている間ほとんど頭は空っぽだったと思うけど、覚えているのはネガティブな思考ばっかりだ。

こんな状態で、気付くと月が変わって季節が変わっていた。

書いてみて思うけど、寝てました。の一言で終わりそうな日々だったな。
もちろん起きていた時間とか何かしていたこともあったんだろうけど
全然覚えていない。

何を言ったかも覚えていないし、何を言われたかも覚えてない。
あの時こうだったよと落ち着いてから言われたことと、
本当にちょっぴり覚えていることを繋げると発覚した当初はこんな感じだった。

こんなに何にもできなくなるんだと衝撃だった。
元々インドアだったし、人に会うのも好きじゃなくてどちらかといえば塞ぎ込みがちなタイプだったからそんなもんかと思ってたけど、明らかにそういった特性上のものとは違った。

そもそも、自らの意思でダラダラ何もしないのと望んでるのに何もできないのとでは大きく意味合いが違っていた。

本当に、辛かった。

どうやら謝ったりしてばっかりだったらしいし、
笑うこともなくただただベッドの上で寝て、どんよりと過ごしていた私。

振り返ると改めて周囲に感謝しないといけない。
特に夫は息が詰まっただろう。

真っ暗な部屋に帰宅して、毎日私の様子を伺い、
協力してやっていた家事も自分でやらないといけなくなり、
ジメジメとした人間と過ごす毎日。無言の家。

部屋って暗い方が落ち着くの?と気遣わしげに聞いてきたことがあった。
電気つけたかったよね。

当事者だから本当に仕方なかったんだよと訴えたいけど
自分が逆の立場だったらわかっていてもイライラしたり途方に暮れたりしただろう。

申し訳なかったな。

前向きにまた頑張ってこうと思うから、
あんまり申し訳ないとか書くのはやめよう。

自分に言い聞かせる目的で周囲の人のことは
一旦気にせずに言うけど
もうなっちゃったものは仕方ないし病気だったんだから気にしないこと!

こうやってまた文章書いたりできてる。
お昼寝しなくても1日持つ日も(ごくたまに)ある。
治ってきてる大丈夫。

今日はこれでおしまい。
明日も頑張って生きるぞ。

タイトルが、うつ病だった私へになるまで、頑張ろう。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?