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自己刷新の神秘性

昨日喫茶店で時間を潰しながら本を読んでいたら、ページを捲る手を止められないほど感激した。戦後ドイツの作家インゲボルク・バッハマンによる『ゴモラへの一歩』という短編で、『三十歳』という短編集に収録されている。 大学でドイツ文学を専攻してもう3年近く経つのに、正直ドイツ文学に熱狂したことはなかった。課題で読まされる本で心を惹かれるものも沢山あったが、文字というメディアによる芸術としての文学の魅力を恥ずかしながら理解できていなかったのだ。学部の終わりが間近に迫ってようやく『ゴモラへ

    • 素朴さとポップカルチャー:『あしたの少女』『親父の船』

      日本のお笑いがあまり好きではない。主語が大きすぎるので正確に言えば、日本の大手テレビ局の番組を中心に展開されているお笑い業界がちっとも好きではない。2023年にもなって業界を牛耳るのはマッチョで特権的な男性達であり、彼らの多くが、あるいは彼らの所属する吉本興業が、保守政治家と癒着したり、旧態依然とした価値観で笑いを取ったりしている様に辟易する。先日放映されたキング・オブ・コントでも、男性審査員がスタジオの中心に、統一的な赤いシャツで脱個性化された女性観客が周縁にいるという、あ

      • 生き方と特権について

        今日、久しぶりに私が通っていた保育園の前を自転車で通った時母親が、隣の施設を児童擁護施設だと教えてくれた。近くにも一つまた別の施設があるという。保育園に通っていた頃、日中は園で一緒に遊んでいた子供達の何人かが、夕方になると隣の建物に帰って行ったのはかろうじて覚えている。 20年以上地元に住んでいたにも関わらず近所に児童養護施設があったことを初めて知り、驚いた。そしてこのことに驚いている自分にさらに驚き嫌気がさした。様々な事情で肉親と共に暮らすことができなくなった子供達や児童養

        • 繰り返される色恋 『輪舞』(1950)の娯楽性について

           オーストリアの作家、アルトゥール・シュニッツラー(1862-1931)による戯曲『輪舞』(1900)は、当時の性道徳から大きく逸脱した内容が、上演をめぐって論争が巻き起こったという逸話と共に記憶されている。しかし『輪舞』には、道徳を過激に挑発するという攻撃性よりも、そうした覇権的な規範を茶化す笑いの要素の方が目立つ。  この戯曲の最大の特徴は、二人の男女の性愛を、一人ずつ人物を交代させながら十景に渡って描くという、差異を含んだ反復性である。この反復性において、登場人物は表

        自己刷新の神秘性

        • 素朴さとポップカルチャー:『あしたの少女』『親父の船』

        • 生き方と特権について

        • 繰り返される色恋 『輪舞』(1950)の娯楽性について

          2022年に『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』を見返して思ったこと

          この春に、大学のフリーペーパーサークルに寄稿した文章は、ロメロによる終末的世界をパンデミックと戦争の現代に結びつけて自己満足的ペシミズムに溢れた何とも気持ちの悪い文章であった。それからも世界は目まぐるしい速度で地獄に突入し、それに追いつけないままに就活やら引退やらが自分の生活に浸入した。あらゆる言説は、インターネット上に公開された瞬間に、潜在的差別意識に裏付けされたネットミームに晒されることを余儀なくされる。ある人がオンラインサロンで特権を振りかざして憚らないことも、ある人が

          2022年に『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』を見返して思ったこと

          私的領域にとどまる暴力の地獄ー『ブラック・フォン』

          1960年代に興隆した第二波フェミニズム運動における代表的なスローガンの一つに「個人的なことは、政治的なこと(The Personal is political)」がある。これは、女性が私的領域で体験する個人的経験もまた公的領域と同様に重要であると示すスローガンであり、家族や恋愛などの私的人間関係における問題(家庭内暴力、家父長制など)も社会構造の中と密接に関連すると主張する。「個人的なもの」を取るに足らないと線引きすることの恣意性を問題視するスローガンでありながらも、現在で

          私的領域にとどまる暴力の地獄ー『ブラック・フォン』

          仮面を脱いだスター:トム・クルーズ

          伝説のパイロットを35年ぶりに演じたトム・クルーズは、映画ファンからの熱狂的な支持を集めている。自らの身体を映画制作に注ぎ込む彼の姿勢の結晶としての『トップガン マーヴェリック』(2020)は、新型コロナウイルス感染拡大による営業停止を克服した劇場にとってこれ以上ないほど「映画館で映画を観る喜び」を体現する作品となった。映画ファンは、時代遅れの曲芸パイロットと生身のアクションを追求する俳優を同一視することを厭わない。「トム・クルーズこそ真の映画人だ」という言説も真新しくはなく

          仮面を脱いだスター:トム・クルーズ

          世界のノイズに開かれること 『カモン・カモン』

          20世紀初頭、リュミエール兄弟による数十秒ほどの映像を見た観客達は歓声を上げたそうだ。それは、スクリーンに映る列車を見て「本当に轢かれてしまう」と恐怖したみたいな単純な話ではない。当時の人々は、「赤ん坊」なり「船」なり「列車」なりわかりやすいモチーフではなく、むしろその背後にある「風に揺れる草」「寄せては返す波」など、他愛もなく画面にとってただのノイズでしかない対象に歓喜したのだ。つまり、自分の身体で知覚した時には、ノイズとして捨象されるような、捉えどころのない草木の動きな

          世界のノイズに開かれること 『カモン・カモン』