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【自己紹介】40代で実現!セミリタイア生活

私は2020年のコロナ禍に20年間のビジネス生活に終止符を打ち、42歳でセミリタイアを決断しました。

現在は20代の頃から続けてきた資産運用のおかげで、ゆるく働きながら妻と2人で旅行やグルメを楽しむ人生へシフトすることができました。

これからは自分がやりたいことだけをやろうと始めたnote。

誰かにとって有意義な内容と、自分自身の書きたいことがマッチしたものを発信したい。

まずは自己紹介を兼ねて私がセミリタイアした理由と、セミリタイアできた理由を綴っていきます。

夫婦共働きで子供なし。東京湾岸エリアに居住でもできたのです。

特別なことをしなくても、「知ること」で誰でもできます。

仕事中心の人生から抜け出したい方にとって、ちょっとしたヒントになれば嬉しいですね。


がむしゃらに働いた20年間

アナログ時代に未来のインターネットの可能性に賭ける

超就職氷河期の2001年大学卒業時、大手旅行会社や新聞社などの内定やコネ入社を辞退し、当時少しずつ普及し始めたインターネットの可能性に賭け、売上3億程度の小さな会社に飛び込む。

幼少期や思春期に海外で生活していたことから、日本独特の新卒一括採用や年功序列システムに嫌悪感を抱いていたことも大きかったです。

今の若い方には想像がつかないかもしれませんが、当時はスマホやSNSが存在しない時代で、ネットショッピングなど全く普及していない時代。

ネット回線も非常に速度が遅く、サイトを表示させるのにも相当な時間がかかりイライラするほどなのに、サイト上に表示できるのはテキストと写真程度でした。

そんな時代に、そう遠くない未来に世の中はネットで全てができるようになると考え、スポーツアパレル店経営者と二人三脚でECを中心としたネットビジネスを拡大させつつ、仕事の合間や帰宅してから夜中まで独学でWeb制作やグラフィックソフトを習得。

Webデザイナー&ディレクター、バイヤー、ECサイト管理者としてキャリアをスタートさせ、全く普及していなかったネット販売を成功させるべく、同じく全く知られていなかった楽天市場に出店。

ちなみにAmazonジャパンが日本で書籍販売サービスを開始したのが2000年で、これも全く普及していませんでした。

なので、普通の新卒社員とは違い、入社直後から大きな裁量権を持って仕事をする日々でした。

2度の転職で収入アップを重ねる

その後、急速にインターネットが普及し始めると、ビジネスが軌道に乗るも収入に不満を感じ転職。

Webの知識や経験、グラフィックソフトなどのスキルを買われてWebマニュアル制作やローカライズビジネスを展開する企業で年収アップを実現。

2社目ではBtoBで顧客対応とWebの実務経験を積み増し、ビジネス英語でローカライズビジネスの実務経験を重ねて行きました。

2013年には最先端のデジタルIT系企業に転職し、大規模ECサイトの運営や海外向けマーケティング、広告運用、プロモーション、ローカライズ、新規事業立ち上げなどに従事。

日本のITやデジタルの発展を、常に最先端で体感してきたビジネス生活でした。

30代後半で世帯年収は妻と合わせて1,000万円を超え何不自由ない生活を送れていましたが、コロナ禍の前から自分の体調に不安を覚え、徐々にセミリタイアを考えるようになったのです。

40代でセミリタイアした理由

自分に不向きな仕事が多くなった

生活に不自由はないものの、仕事には違和感を持ち続ける毎日でした。

元々は自分の性格に合った職種で楽しく働いていたのですが、キャリアを重ねるにつれ自分に不向きな仕事が増えていったのが違和感の始まりです。

生まれ持った資質と子供の頃から海外生活が長かったこともあり、多くの人と協調するのがあまり好きではなく、組織に属するのも嫌いでした。

朝から晩まで働くなんて考えるだけで嫌で、だからこそ大企業の内定を辞退したのですが、やはり社会に出てからもこの性格は変わらないままでした。

自分の性格と真逆の人間を演じ続ける日々

とはいえ、社会の一員として給与収入を得なければ生活ができないと思い込んでいたため、歯を食いしばって進んできました。

収入アップを実現するための転職をしながら、組織の一員として仕事を円滑に進めるため、仕方なく誰とでも上手くやれる人間を演じ始めたことがそもそも間違いの始まりでした。

私はもともと「1人が好き」「人をまとめるのが嫌い」「限られた仲の良い人とだけ交流する」性格なのですが、2社目と3社目では「人当たりが良く、誰とでも打ち解けられる」「リーダーシップを発揮して周りを引っ張る」「なんでも親身に話を聞く」、本来の自分とは真逆の人間を演じれてしまったのです。

取引先とのやり取りで信頼を得て、様々な部署や経営層と調整したり、同じ部署の同僚の悩みを聞いたり、他部署の社員の相談にまで乗ったり。

そうやって仕事を円滑に回し、成果を上げていったことで2社目では29歳で管理職を任されるようになりました。

ですが、小さい頃から不向きだった能力が必要とされる仕事がほとんどになるにつれ、「何のために働いているんだろう?」とか「収入が良くても毎日仕事が楽しくない」と考えるようになりました。

それでも目の前の仕事をがむしゃらにこなし、繁忙期には半年間休みがなく、最も酷かった時は1ヶ月の労働時間が420時間になるほど。

今では法的に到底ありえない働き方を当たり前のようにしていました。

そんな働き方はさすがに長くは続けられるはずがないと考え、32歳で結婚したのを機に34歳の時に3社目に転職。

我慢を重ねて迎えた限界

3社目に転職してからの5年間は家庭も仕事も充実し、日々楽しく生活していました。

それまでの実績を評価してもらったのか、3社目でも昇進することに。

ここで断る勇気があれば良かったのですが、期待されて打診されたものを断ることができず・・・

最初はなんとか期待に応えなければと日々葛藤しながら続けた結果、段々と夜眠れなくなり、突然ヘルニアになったり体調を崩したりし、ついに心身ともに悲鳴を上げてしまいました。

急に朝も起きれなくなって会社に行くのも辛くなり、診断された病名が「双極性障害」。

いわゆる「躁鬱病」です。

それからしばらく休職するも、休養していると気持ちが焦るばかりでした。

早く復帰しなければと、外に出れるようになってからは毎日陽の光を浴びるようにし、通勤の練習で会社近くの図書館へ行って帰る日々。

その間に部署異動させてもらい、医者や同僚の「もう少し休養した方がいいのでは?」というアドバイスを固辞して一度復職。

復職しても気持ちが焦るばかりの日々

復職してからは休んでいた期間を取り戻そうと、仕事以外の時間も精力的に社内外の交流、セミナー、勉強会などに参加。

コーチングも受けて、自分自身の内面と深く向き合うことにも力を注ぎました。

新しい部署の上司や同僚だけでなく、医者や妻までもが心配するほどフル稼働していたかもしれません。

性格もそれまでとは違うと言われ、感情の起伏がかなり激しくなっていました。

家では妻に「別人みたいで怖い」とまで言われる始末です。

病気は簡単に治るものではない

そうして焦っていたところ、急に上司が変わったことで風当たりが厳しくなりました。

それまでは、病気を理解してくれる上司が、時間をかけて病気と向き合いながら仕事ができる環境を整えようとしてくれていたのが、新たな上司は真逆だったのです。

病気になってからは薬の影響もあるのか、以前できていたことができなくなり、思考力も低下していたので仕事に悪影響が出ていました。

新たな上司としては、そんな私に対して不満を持つのは仕方のないことでしょうね。

私も逆の立場だったら、病気の部下に対して厳しく当たってしまいそうですし。

そう感じ始めてからまた体調を崩したり、余計に思考ができなくなったりの悪循環。

さらには突然のコロナ禍で在宅勤務になってから、病状がより悪化して再び休職することに。

2度目の休職中に毎日のように悩み続けた結果、復職したところで結局は同じことの繰り返しだと考え、そのまま退職する事となりました。

この時はセミリタイアをする気持ちはまだなかったのですが、結果的にセミリタイアへとつながっていきます。

40代でセミリタイアできた理由

退職時にはセミリタイアの意識はなく、しばらく知人の会社にお世話になっていました。

その間に先々のことを決めようと、自分自身について今一度じっくり考えてみたのです。

この時にとても役立ったのが、一度復職してから個人で受けたコーチングでした。

自分の本当の価値観を探ることで、今後の自分が進むべき道をしっかり考えられました。

今振り返ると、退職を決断するきっかけになった1つの要因がコーチングだったかもしれません。

自分の価値観を深堀りしてはっきり分かったのは、私もいつの間にか日本社会から負の影響を受け、世間体ばかり気にするようになっていたこと。

我慢してでも不向きなオフィスワークをしなければいけないと思い込んでいました。

日本で「普通」と言われる価値観がどんどん刷り込まれていたのです。

【刷り込まれる価値観の実態を以下の記事で知ろう!】

ところが、すべてをフラットに考えてみたら、頑張らなくてもどうにでもなるということが分かります。

なぜなら、私は20代前半から約20年の期間で、それなりの資産を築いたから。

資産運用がセーフティネットになった

超就職氷河期の2001年卒だった自分は、大企業の内定を辞退した時点から完全自己責任で老後資金を確保しようと20代前半から資産運用を開始。

当時は今みたいに投資や資産運用の情報が少なく、「インデックス投資」や「積立投資」といった方法はあまり知られていませんでした。

投資環境も今とは違い、気軽にできるものではなかったんです。

当初は蓄えた資金をギャンブル的に株式に投じ、一時的に大きく増やすも調子に乗ってしまったせいで20代半ばに1000万円もの損失を出し大失敗しました。

それでも、なんとか資産を築けないか自分なりに考え、引き続き株式や外貨などで運用し続け、2018年には新設された「つみたてNISA」で積み立て投資をスタート。

40代で「iDeco」も始め、2020年の42歳時点で老後に不足すると言われている金額はとっくに確保できていました。

様々なシミュレーションを行なった結果、以前の半分以下の年収になったとしても、自分の性格に合った仕事を気楽にやっていけばまったく問題なしと判明。

しかも「資産を増やし続けながら」です。

私の場合、これをあと15年続けるだけで、気楽に生きつつ純金融資産額が1億円に到達するとのシミュレーション結果。

実際に今も旅行やグルメを楽しみながら着実に資産が増え続けています。

投資信託の複利効果と個別株の配当や副業

投資信託では「複利効果」で雪だるま式に資産が増えていくので、ほったらかしているだけで問題ありません。

短期的には資産がマイナスになることもありますが、15〜20年の長期運用であればほぼ確実に増やせるのです。

加えてコロナ暴落時や、その後割安になっていた高配当の連続増配株などを購入したことで、配当金が定期的に入金されます。

また、副業で多少の収入もあるため生活レベルは変わらず。

共働き夫婦で子供なしならかなり余裕のある生活が送れる

私達夫婦は子供嫌い(怒られそうですが)なので、結婚当初から子供を持つ選択肢はゼロでした。

これもセミリタイアを決断した要因の1つです。

現在は昼から健康的に体を動かす仕事に就き、正社員として会社に属しながら給与所得を住宅ローン&生活費と積立投資に当てています。

日用品の買い物は妻が負担していますが、今は給与所得だけで見れば妻の方が私より多いので、妻の余裕資金は彼女自身のつみたてNISAとiDecoに積み立てている額を引いても、毎月かなり自由に使える額が残ります。

毎月の生活費は2人で20万円以下

毎月の生活費は東京湾岸エリアでも20万円程度しか掛かりません。

光熱費、通信費、の他に保険や住宅ローン、年払いの固定資産税などを12分割で計算してもこれくらいです。

特に我慢して節約することもなく、ただ価値を感じないものを買わないだけで簡単にできてしまいます。

しかも夫婦合わせて毎月10万円以上を積立投資に回せているという現実。

おかげで、余ったお金や株式の配当金などで旅行や食事を楽しむ生活を送れているのです。

無駄遣いを無くす方法については以下の記事をぜひ参考にしてみてください。

これは自分の価値観が定まっていれば誰にでも簡単にできますよ。

自分にとってベストな状態を選択した

仕事は「昼から健康的に体を動かす」が最優先

私はもともと仕事で自己実現したいこともなく、仕事を生活の中心にする気も当然ながらありません。

もう二度と世間体を気にして、自分に不向きなオフィスワークをやることもありません。

仕事のために朝早く起きることもなく、就業時間以外はすべて自分と妻のためだけの時間にあてています。

今の職場では個人個人で動くことが多いので煩わしさもなく、嫌なことはハッキリ嫌だと言います。

それができるのは、別に辞めても困らないという気楽さがあるから。

まぁ、今の仕事のおかげで、プライベートでジムに行ったり運動したりする必要がなくなったので、健康維持のためにずっと続けたいですけどね。

以前はプライベートで運動したり仕事に関係することをしたりでかなり時間を奪われていたので、体を動かしてお金が貰えるうえ、プライベートの時間も他の時間に使えるのであれば最高でしょう。

会社員であるメリットは最大限利用する

2023年現在で完全リタイアすると60歳くらいで資産が底をつくので、完全リタイア(いわゆるFIRE)は選択外。

それに、完全リタイアしたところでよほどの大金持ちでもない限り、生活費程度にしかお金が使えないので暇で暇で仕方がありません。

私は60歳になっても、健康維持のため週3日くらいは体を動かす仕事をしたいですね。

完全リタイアすると自分から進んで体を動かそうとしなくなるので、お金をもらいながら通勤するのが理想的。

何かで自己実現したい人や仕事を人生の中心に据えている人でもない限り、ベストな生き方は会社に属して社会保険料の半額を会社に払ってもらいつつ、将来もらえる厚生年金を増やしながら資産運用を続けること。

就業時間7~8時間以外はすべてプライベートの時間を満喫すること。

給与所得は330万円以下に抑え所得税は10%を超えないようにすること。

月給もなるべく社会保険料の算出基準となる等級が上がらないようにする。

iDecoで所得税&住民税控除、ふるさと納税で住民税軽減、新NISAで非課税枠をフル活用。

余剰資金は株式投資を特定口座で運用。(2023年現在はどれだけ利益が出ても税率20%しか取られないため)

これで私と似た価値観の方は、とても楽で充実した生活を楽しめます。

【自分の価値観を明確にする方法は以下の記事で解説中】

明るい社会で生きていきたいから発信したい

平凡な会社員だった私でも、早くから資産運用、資産形成を始めていたことで、心身ともに豊かな生活を送れるようになりました。

気楽な仕事と趣味である旅行とグルメ。

趣味に関する動画編集、写真編集や記事作成などでなんだかんだ忙しい日々です。

誰でもできるからこそ、特に若い方には早くから価値観の明確化や、価値のあるお金の使い方を習慣化してほしい。

心にゆとりを持つ人が増えれば、明るい社会が実現できるはずです。

明るい社会で生きていきたいから、誰かの人生におけるヒントや旅行&グルメの選択肢を発信していきたいと考えています。

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