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【Vol.22】目標としていた海外駐在をわずか1年で手放し、大手部品メーカー→外資メーカーに転職したワケ

こんにちは。Billと申します。

現在33歳です。私は日本企業で9年ほど働いた後、現在は外資系メーカーで営業をやっています。

前職では、転職前の最後の1年4カ月に目標であった海外駐在を経験しました。そして、駐在先で転職活動をしました。

●自己紹介

私は新卒で、売上高1兆円を超える日系の大手電子部品メーカーに入りました。

私の父が同じく大手の電子部品メーカーの営業で働いており、その姿を見て育った私は「仕事=電子部品メーカーの営業」という印象を幼少期から持っていました。

将来的に「海外駐在をしたい」という気持ちを持っていたので、ものづくり系のメーカーを中心に就職活動を進め、内定を貰った大手部品メーカーへの入社を決断しました。

新卒入社した会社で10年目のときに転職しました。

●記事を書いたきっかけ

今回、私が「俺たちの転職物語」で記事を書こうと思ったきっかけには、海外駐在での経験があります。

目標としていた海外駐在で直面した問題やそこから学んだこと、感じたことをみなさんに共有し、これから海外駐在される方や、海外駐在中の転職に躊躇している方への後押しになればと思い、執筆しました。

この記事は特に海外駐在を目標としている方や、駐在先で転職を検討されている方に読んでいただきたいです。

また、それ以外ではマネージャー層の方に対して、「なぜ社員の気持ちが離れてしまうのか」「社員のモチベーションはなぜ落ちてしまうのか」という点について考えていただくきっかけになれれば幸いです。

●大企業に絞った就職活動

就職活動のときの話を少しします。

私は、父が大手の電子部品メーカーの営業として働き、アメリカや中国に駐在に行っていた過去から、同じような電子部品メーカーの営業として海外駐在に行きたいという気持ちを持っていました。

大学のゼミの教授から、「先々の事を考えると、1社目はとにかく大企業に入りなさい。転職する時に選択肢の幅が全然違う」という言葉をもらい、大企業に絞って就職活動をしていました。

後に転職活動をする際、この教授の「1社目は大企業に入れ」という言葉の意味を痛感しました。

就職活動では、最初は希望するメーカーの内定を得られず苦戦しましたが、希望していた関西に本社を置く大手の電子部品メーカーから、大学4年の6月に内定を獲得しました。

ほかにも部品メーカーや人材会社からの内定も頂きましたが、自分が志望していた大手で、電子部品メーカー、海外駐在の可能性あり、という点を考慮し、入社を決めました。

私はこのとき、希望する会社から内定を得られた高揚感で溢れており、早く社会人をスタートしたいという気持ちで一杯でした。

●新人時代の話

入社した後、最初の配属は東京営業所の営業部でした。

事務系採用が25名ほどいて、多くの同期が自分の希望に反する配属となっていたなか、私は運よく希望していた営業部へ配属される事となりました。

当時の人事曰く、「君は営業って感じで、他の部署では無理だと思った」と誉められているかどうかわからない言葉を頂きましたが、とにかく希望する営業部で安堵しました。

本社は関西でしたが、営業部の本丸は東京営業所。営業所は活気が溢れており、また手本となる先輩も多い職場でした。

ただ、当時新人の私に付いたトレーナーとは相性が良くありませんでした。トレーナーは私が入社する前年にも新人のトレーナーをしており、その方が非常に可愛い女性社員であったためか、彼女が新人の時は本当に良く面倒を見えていたと聞きました。

実際に私が入社してからも、私とはほとんど営業同行をせず、2年目となった女性社員とよく同行し、私は全くもって相手にされませんでした。

私は「学生時代に出会っていたら、絶対に仲良くならなかった人だな」と思いました。

同時に「会社というのは、自分と相性が合わない人でも、仕事上で付き合い、時に同じチームで協働していかなければならない場所なんだな」ということを初めて感じた瞬間でした。

●「JTC感」に触れ始めた若手時代

私が入社した会社は若手営業でも大手の顧客を担当させてもらえました。というより、若手が大手を担当しないと回らない状況でした。

先輩達の多くは20代の後半から30代の前半で退職をしていくため、担当レベルの社員が慢性的に不足していたのです。

なぜ20代~30代前半で退職していくかというと、30代後半~40代の管理職が土日も切り売りして仕事をしている姿を見て、長くここで働く姿をイメージできないということが主な理由でした。

私は東日本の家電顧客を担当しており、日本を代表する家電メーカーの開発へ製品の提案をしつつ、品証保証部から品質問題についての厳しい追及を受ける日々を過ごしました。

大変でありましたが、大手メーカーのお客様から学ぶ事も多く、非常に充実感ある日々を過ごしていました。

プライベートでは東京勤務の20代を存分に謳歌していました。週末は友人達と飲みに行ったり、旅行やキャンプに行ったり、また合コンなどにも積極的に繰り出す日々を送っていました。

一方、仕事をやっていく上で、「これがJTC (ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)か」と感じる事も多くありました。

特に、会社全体がお客様でなく常に社内のトップを見て仕事をしていたことがありました。営業部は売上を上げる事が至上命題ですが、その方法が完全に度が過ぎていたのです。

私が勤務していた会社では、製品が日本倉庫から出荷された日に売上が上がったということになっていました。例えば、3/31に製品を出荷して4/1にお客様へ納品であれば3月の売上となります。

なので、毎月末お客様に、「来月納品分を全て1日に納品させてくれ」や、「2カ月分の注文をまとめて1日納品にさせてくれと」と、納品の前倒しを依頼していました。

ときには「半年前の見込み数量に沿った形で出荷させてくれ」と顧客の要望を聞かずに推し進める事も多々ありました。

こうした手法の背景には、JTC特有の空気感がありました。

●内向きなマインドに不安を抱く

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