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栄光の男にゃなれない心を壊した男【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~⑧】

地下鉄のホームで、僕は何度も何度も電車を見送った。椅子に座ったまま、どうしても腰が上がらない。その日は会社に戻ることができず、事情を説明して、自宅に帰った。

2013年、僕は心を壊してしまった。いわゆる、鬱ってやつだ。そのときのことを思い出しながら文章を書いているが、覚えていることはあまり多くない。忘れてしまったのか、どこかに閉まっているのか、わからないけれど、ぽっかりと抜けて落ちている部分が大半だ。

会社を休み、休養しながら自宅で作業することになった。たぶん苦しんでいたのだと思うけど、そのときの感情も思い出せない。でも、僕より大変だったのは、妻のほうだったはずだ。長女が1歳になったばかりで、夫が鬱になったのだから。よく乗り越えてくれたと思うし、よく耐えてくれたと思う。そう感謝できるようになったのは、心が安定を取り戻して、しばらくしてからだ。何年も経ってからのこと。修復している途中は、おそらく自分のことだけで精一杯だっただろうし、どこか落ち着きのない、浮遊している感覚もあったように思う。他人を気遣う余裕さえなかった。

そんな療養中、ファンファーレが鳴り響いた。砂浜の映像に釘付けになる。あの5人が帰ってきた。

「サザンオールスターズ、復活」。国民的モンスターバンドだ。一個人の窮地なんて知る由もないし、復活にあたっては、さまざまな要因が絡み合っているのは百も承知。でも、人間は勝手な生き物だ。僕は、自分の状況に照らし合わせて、このタイミングでのサザンの復活に、“駆けつけてくれたような”運命的なものを感じずにはいられなかった。サザンは、やっぱり僕にとってのヒーロー。どんなときも、いつも僕を救ってくれる。

狼煙の役割を果たした『ピースとハイライト』のカップリングとして収録されたのが『栄光の男』。三井住友銀行のCMで初めて耳にしたとき、僕は一気に虜になった。『大人になったつもりの今、栄光の男とは程遠い自分自身を鼓舞しているかのよう』と桑田さんは述懐したそうだが、僕らから見れば、桑田さんは「栄光の男」に違いない。それでも本人には偽りのないその思いがあって、だからこそ、僕らのヒーローであるような気もする。

『栄光の男』は、桑田佳祐の、そしてサザンの哀愁ナンバーの代表的な一曲になった。人生のやるせなさを憂い、それでも何かを背負いながら必死に生きる人にエールを贈る歌詞は、特にライブで披露されるたび、心を震わせる。小学生のときに『祭りのあと』を聴いて、桑田佳祐が表現する哀愁に触れてからというもの、今の僕の年齢はようやく当時の桑田さんの年齢に追い付き、追い越した。ずっと、僕の心を労わってくれていた。療養中も、リリースされたばかりの『栄光の男』にどんなに勇気づけられたことか。

復活の全国ツアーには、僕が生まれ育ち、今も暮らす神戸も含まれていた。無事にチケットを確保し、友だちのシゲと一緒に参戦した。『Moon Light Lover』の際、夜空に月が浮かんでいたのは、不思議と鮮明に記憶している。家族や仲が良かった同僚や後輩たち、それから栄光のヒーロー・サザンオールスターズのおかげで、僕は復活に向けて人生をやり直すための一歩を踏み出すことができた。

心を壊さないに越したことはないし、鬱になんてならないほうが良い。でも、そうなってしまったから、いわば無理やりにでも生き方を見つめざるを得なくなった。10年以上が経ち、すっかり心身ともに元気になった今は「あの期間があったから、今、楽しく生きられている」と感じられている。そう思えるのは幸せなことだし、そう思わせてくれたすべての人や出来事に感謝しなくちゃいけない。馬鹿な僕は40歳になり、やっとほんの少しだけ大人になれたのかもしれない。

(つづく。次回最終回)

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