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手鏡はいかがでございますか

おばあちゃんは毎日お化粧をする。
どこに出かけるというのでもないけれど、
手鏡をのぞきながらお化粧をする。
それはとても微笑ましい。
いくつになってもそうあってほしいなと思っていた。

でも、
いつからか鏡をのぞくたびに
「おばけ」
というようになった。
「こんな所に大きな黒いのがある」
ほっぺの下、顎のところに目立つシミがあるのは確かだ。でも、さほど気にならない。
「おばけになった」
目じりのしわや口元のしわを伸ばしてみる。
「お化けがおる」
手鏡をわざと遠ざけたり、また近づけたり
横を向いたり、顎を上げたり、念入りにチェックしているみたいだ。
「おばけっち思うやろ」
同意を求められても困る。
「そんなことない。年を取ったらみんな同じだよ」

そのうち、鏡を見たくないのか、ただ忘れただけなのか、朝のお化粧を怠けるようになった。

そんな時、見慣れないおじさんがやってきた。
「何か欲しい雑貨はございませんか」
「雑貨ですか」
「はい。雑貨でございます」
雑貨のそれも訪問販売のおじさんなんて聞いたことない。
おまけに、派手なスーツと赤い蝶ネクタイといういでたち。
怪しいと思ったけれど、違和感むんむんだけど、
どこか愛嬌があって、つい興味を持ってしまった。
「雑貨っていうと、例えば」
「例えば、素敵な手鏡もございます」
「え」
まるで、私とおばあちゃんの会話を聞いていたかのような、グッドタイミングな手鏡。
いつの間にかおばあちゃんの手鏡が無くなっていた。おばあちゃんの半径1メートルほどを念入りに探してみたけれど、見つからなかった。
その朝の話だった。
「庭で聞いていました?」
「は?」
「いえ、なんでもありません。手鏡があるんですか」
「はい。ございます」
大きなドクターバックから青い箱を取り出した。
「これがお勧めの素敵な手鏡でございます」
箱から出した赤い丸い手鏡を渡しながら説明する。
「金粉で描かれた桜の蒔絵にございます」
金粉でたじろいでしまった。
「おいくらですか」
「2000円、頂いてもよろしいでございますか」
「まあ」
よくわからないけれど、安いと思う。でも、だからこそ迷った。
「この手鏡は、それはそれは素敵な手鏡なのでございます」負けじとやさし気に攻めてくる。
「見る人が望むものが見える手鏡でございます」
「・・・」何それ、と思う。
「決してお高くはないと存じます。ぜひにも、おばあさまに差し上げてください」
「おばあちゃんにですか」
「もちろんでございます」 おばあちゃん限定の手鏡?
「望むものが見えるのですか」
「はい」
胡散臭いと思いながら、2000円なら本物の金粉の蒔絵でなくてもまあいいか、と買うことにした。

帰り際に訪問販売の雑貨屋さんは念押しのように言った。
「これはおばあさまの手鏡でございます」

あんまり念を押されると気になる。おばあちゃんに渡す前にちょっとのぞいてみた。けれど、特に変わり映えのしない普通の鏡だとしか思えなかった。

「新しい手鏡を買ったよ」
「ありがとう。きれいな鏡だね」
おばあちゃんは嬉しそうに鏡を受け取り、すぐにのぞいている。
いつもの言葉を待っていたけれど、すぐには出てこない。
それどころか、
ちょっと驚いたような表情をして、すぐににこやかになった。
「昔に戻ったみたいじゃね」
表情がやさしくなった。
「えっ」
慌てて、おばあちゃんの背後に回って鏡の中を覗いてみたけれど、
いつものおばあちゃんが嬉しそうに笑っている顔が見えるだけだった。
でも、おばあちゃんは
「可愛かろ。昔のままじゃね」と、
にこにことお化粧を始めた。
おばあちゃんには何か違うものが見えているような気がしてきた。

「望むものが見える手鏡でございます」
雑貨屋の言葉を思い出した。

おばあちゃんはまた毎朝お化粧をするようになった。
始終手鏡を見ては、幸せそうにしている。
心なしか、おばあちゃんは少しずつ若くなってきているような気がする。

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