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私にとってラーメンとは

前置き

 昨日は来年の目標として、『過去一番の体に仕上げる』という記事を書きました。

 タイトルを見て「おや?」と思う方もいるだろう。

 そう、今日はラーメンについて語る。

 私の人生においてラーメンというものは切り離せない。なので、自粛するつもりはないし、食べたい時に食べる。それを上回る運動量とその他の食事を改善するので、一旦突っ込みたい気持ちを抑えてこの記事を見てほしい。

 さて、前置きは長くなってしまったが、本題に移る。


私にとってのラーメンとは

 結論から言うと、私にとってのラーメンとは、生きるための活力(ガソリン)だ。このガソリンがないと私は人生という果てしない道のりを歩くことはできないだろう。それくらい私にとっては、かけがえのないものだ。

 人間という生き物は、体の60%は水分でできており、食事をすることでエネルギーを摂取し活動することができる。私の体にはとんこつ系のギットギトの脂の乗ったドロドロの血が流れており、魚介系から摂ったカルシウムにより骨は形成されている。肉はレンガのように角ばったチャーシューの鎧を纏っている。髪の毛はチリチリにちぢれており、中華そばの麺のようだ。そのくらい私はラーメンに侵されている。にんにく注射というものがあるが、私が死にかけの際にはこってりとんこつ系のスープを輸血してほしいものだ。


なぜそこまでラーメンに魅力を感じるか

 ラーメンの何が私をそこまで惹きつけるのか。旨いから、美味しいからと私の中の言葉で説明するにはあまりにも語彙力がないので、ラーメンを食べている時について話すとわかりやすいかもしれない。

 私がラーメンを食べる時、まずスープからいただく。その店の取っているだしや味付け、こだわりが詰まっているからだ。(麺に力を入れているところもあるかもしれないし、チャーシューなどの具材に力を入れているとこもあるので、あくまで私の中の持論である。) 空っぽの胃袋にスープが流れ込むと私の体が熱くなり、全身に電流が走る。

 その勢いのまま麺を啜る。スープという衣をまとった麺が口一杯に広がるのがたまらない。

 この麺とスープという組み合わせだけですら完成されているのに、私はあまりにも強欲でチャーシューや卵といった装飾品まで欲してしまう。

 半分ほど食べ終えたとこで、にんにくを投入する。これが私に取ってドーピング剤で、私の食欲をさらに掻き立てる。このニンニクというものが厄介で、食べたその後には匂いが残り、次の日には必ずといっていいほど腹をくだす。しかし、それの代償を払ってでも食べたいニンニクには魔性の魅力がある。いけないものは、禁止されればされるほど求めてしまう。リスクがあればあるだけ、そのものの価値を高めているのだ。

 そして食い終えた私はふと思う。「ふぅ、今日もやりとげた。」と。その時の私はさながら世界を救った英雄の気分。実際は悪臭を撒き散らす化け物が誕生しただけだ。

 こういったことを思い、明日も頑張ろうそんな気持ちになる。

 私にとってラーメンとは、明日を生きるための活力である。

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