しばらくもやもやしている。躁鬱病

1ヶ月ほど鬱気味な日々が続いていると思う。この雪山の生活はのこり1ヶ月もない。四年前にもここにいた、あの頃も鬱々とはしていた。表面上は楽しくやっていたが。内から楽しかったことももちろんあった。

空いた時間、仕事後に病気のことを調べ、今後の日本なんて調べ(これがまた暗い)、特に自分の楽しみのために時間を使っている感覚はない。

楽しいと思えること。歳をとったこともあるのだろうか?

この先自分はどうなるんだろうと言う不安。逆に言えば20歳頃からそれはあった。初めて鬱に入ったときだ。人と会っては気まずく、断ることも気まずく、行ってみては低いテンションで気まずく、行かなきゃよかったと後悔した。

あの頃は本屋さんなんて行って、とにかくハマる言葉を探して、「これだ!!!」と急に胸に刺さる言葉に出会って躁転していた。あんだけ悩んだ分パワーがみなぎる。もう、一生悩むことはないんだ。と。当時自分で躁鬱とは、知らなかったと言うか、わからなかったので、俺は悟ったとみんなに言っていた。

恥ずかしい。。。

最近は分からない。自分の人生が本当になんなのか。車に住むと決めてしまって、アパート解約の電話もしてしまったし、こんな鬱々として、5月からはアパートの片付け新しい仕事をまた探さなくてはならない。

自分に安定感が無さすぎて、今後が決められない。同じ仕事を定年までやれる自信は正直ないし、音楽やると決めて突き進んでいたが、こんな病気で、何ができる?鬱々としてるときのライブは、結局自分自身にもよくなった。。。

生きている。答えのないのは当然だけど、決められない自分が本当に悔しい。いつもだけど。

仕事するって大変だね。生きていくって大変。

辛いことばかりなら当然死にたくもなるよ。

楽しみを感じられない辛さを。

夢(音楽)だけが救い。

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