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安易に「尊い」という言葉を使う風潮


最近、SNS、日常など様々な場面で「尊い」「エモい」という言葉が飛び交っているが、私は尊いという言葉を安易に使う風潮が非常に気に入らない。


当初は所謂“オタク”が中心となって使われていた印象だが、今では非オタク、そして様々な世代に使われ始め、私の意に反して(マジで悲しい)その風潮がますます見られるようになってきたと思う。


デジタル大辞泉によると

1 崇高で近寄りがたい。神聖である。また、高貴である。たっとい。
2 きわめて価値が高い。非常に貴重である。たっとい。
3 高徳である。ありがたい。


が「尊い」の意味らしい。


SNS上などでは「推しが尊い」「この関係性尊すぎ」などとまあ大体前述した意味の通りによく使われている。


しかし前述した通り私は尊いという言葉を安易に使う風潮が嫌いである。(これは私の好みの問題であり、批判する意図はない)


感情を言語化する努力を怠ることは、認識する感情の数を大幅に狭めることにならないか?全ての感情を「尊い」で収めてしまっては、尊い以外に抱いた感情が尊いに吸収されてしまい、その抱いた感情がなかったことになってしまう気がしないか?

しない?そう………



誤解を招かないよう言及しておくが、別に尊いという言葉自体が嫌いなのではない。
尊いという言葉時代は以前から使われていたし、むしろ概念としては非常に好きな言葉である。尊いという言葉でしか表現できない感情もあるだろう。
だからこそ、「尊い」という言葉をそんなに簡単に使ってしまっていいの!?と思うワケだ。


というか、私が「尊いという言葉が今抱いている感情を表すのに最も適切!」と思いながら使う「尊い」とろくに考えもせずなんとなく発せられた「尊い」が周りから見た時に同じ感情で同じ熱量だと捉えられてしまうことが非常に非常に不本意である。


何も考えずになんとなく「尊い」が乱用されることによって、本来「尊い」という言葉が持つ重みが失われてしまう気がするのである。


また、Twitterなどのバズっている漫画に対して、おそらく無断転載であろう「尊い」などと書かれた画像を何も考えずにリプライ欄に送り付けるような馬鹿な輩が大量にいることも安易に尊いという言葉を使う風潮が嫌いな一因になっているのだと思う。(双方の作者にも失礼だしあれってまじでどうにかならないのか?)



ただ、自分の感情の高まりを手軽に分かりやすく他人に共有できるという点において、他人に共感を求めがちな現代では「尊い」という言葉は非常に優れたツールとなるのであろう。


でもそんな今だからこそ、貴方が感じたことをもっと自分の言葉で言語化をしようよ~と私は思う。

語彙力を失うとかテンプレ化された感想使わないでさ~

それに単純にみんな同じ感想って気持ち悪いしつまんなくない?俺はお前の心からの"想い"を聞きたいワケよ


というかこの文章を書いていて思ったのだが、もしかしてみんなはそこまで言葉とかコンテンツだとか自分の感情とかに対して本気で向かい合おうと思わないのかな?なんかふわ~っと楽しんでふわ〜っといいねを押しあってるだけなのかな?私が異常者でキモいだけなのか?


それと冒頭で批判する意図はないとか書いておきながらめちゃくちゃ批判してるみたいな文章になってて笑いました もうみんなおしまいです さようなら

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