ごまたまご

大学生 容姿と自己肯定感に悶々と悩み過ぎるが話せる相手もいないのでここに吐き出します

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最近の記事

文学部は就活で不利なのか

結論、それ単体ではマイナスにならないが、プラスになることもない。 大前提として、就活においては学部名よりも大学名のほうが重視される。東大の文学部とマイナー大学の経済学部なら間違いなく前者のほうが有利である。筆者は一応学歴フィルターに阻まれない(と思われる)大学に通っているので、大学名の偏重ぬきにわりとフラットな文学部就活が語れる(はずである)。 先ほど述べたように、文学部であること自体ではじかれることはほぼないと言ってよい。稀に、理系院生優先の企業や○○学部限定といった募

    • お金がないとなんにもできない

      あまりにも出不精なものだから、旅行でもいってきたら、と友人に言われた。 …と、ここで、私が考えるのはだいたいこのようなことである。 旅行かー。最近行っていないし、確かにいいなあ。どこだろう、一泊くらいで、北陸とかどうかな。 でもお金がかかるよね、交通費でだいたい1,2万とんで、観光地いく塚めぐるのに2,3千円はかかりそう。ホテルは、あんまり安いところに泊まるのも嫌だし1万はしそう。5万くらいはいるかなあ。 5万か、出せないわけじゃないけど収入はまわせるだけ矯正支払いに回した

      • ほんとう最低な考えだけど、数少ない私の身の回りの人が皆わたしのこと大嫌いになってくれたらと思う。多分家族は私が死んだら悲しんでくれるので私は死ねない。 1番いいのは私が幸せになること、だけど無理そう。

        • あのときあの子にしか言われなかった「可愛い」を取り返さなきゃいけない

          中学校を卒業してから友達と母校を訪れた。先生は、「まあ二人とも久しぶり!顔みせて」とマスクを外させた。私は一瞬顎下までマスクをさげて、すぐに戻した。 「○○さん、すっごい美人になったわね!」 先生はそういった。友達は顔を赤らめていた。 「ほんとそうですよね~!○○さんコンタクトにかえてからすごく印象かわってtt」 とかなんだか私は言った気がする。惨めだった。 なぜか私には爆美女の友達がいるけれど(爆美女が友達になってくれたというよりは、幼馴染が成長するにつれそのポテンシャル

        文学部は就活で不利なのか

        • お金がないとなんにもできない

        • ほんとう最低な考えだけど、数少ない私の身の回りの人が皆わたしのこと大嫌いになってくれたらと思う。多分家族は私が死んだら悲しんでくれるので私は死ねない。 1番いいのは私が幸せになること、だけど無理そう。

        • あのときあの子にしか言われなかった「可愛い」を取り返さなきゃいけない

          誰かの期待を裏切ってしまうことがひどく辛いし怖い(就活記録?)

          少し前に大手の複数daysインターンに参加する機会があった。インターン期間中の個人面談の間に、インターン選考での評価を教えてもらえるのだが(インターンに参加するまでにわりと高い倍率の面接がある)ありがたいことに選考官は私を非常に優秀、過去一番レベルと評価してくださっていたようだった(人物面接でなく、地頭はかる系の面接だった)。また面談担当の社員は、過去にワークショップでお会いした方だったのだが、「ワークショップでのグループワークのときから優秀だなと思っていた」との言葉をくれた

          誰かの期待を裏切ってしまうことがひどく辛いし怖い(就活記録?)

          外界からの刺激に対して感情が反応する度合いを下げるのって難しい

          タイトルそのまま。 ここ最近の記事で、というかここ最近私が考えていることとして、外界の刺激(出来事)に対して自分の感情が上下されすぎという問題がある。例えば綺麗な人を見かけただけで自分のブスさに耐えきれなくなって気分落ち込んで帰宅後部屋にこもって泣く、とか。この例をそのまま使って話をすすめると、「綺麗な人を見る」が外界からの刺激、でそれに対してどう反応するかは個人の自由なわけ。綺麗な人を見る→わあ美人、と思うのも、綺麗な人を見る→あんな風になれるようにダイエット頑張ろう、と

          外界からの刺激に対して感情が反応する度合いを下げるのって難しい

          フラットな感情を有する人になりたい。

          感情なんてなければいい。もっとフラットでいい。 一か月に一回はメンタルがもうだめになる。何がきっかけなのか未だにはっきりしないし、回復方法も待つ以外に見当たらない。 自分が病みやすいことは重々自覚しているが、かといって四六時中気分が落ち込んでいるわけではないので「よし将来にむけてこれ頑張ろう!」と気合を入れる日も勿論あるのだ。そうやって、数日それが続く調子のいい期間もあるのだ。 一度病むとそれがすべてゼロになる。ゼロになって、メンタルが戻るのに時間がかかって、そこから改めて

          フラットな感情を有する人になりたい。

          自省録を読んだ

          あまりにも暗い記事が多いのですが、これは違います。数か月振りの酷い「気持ちの落ち」をやらかしまして、数日前は泣き喚いていたのですが、すっきりしたのか今は晴れ晴れとしています。自分を痛めつけた痣はまだ残っているけれど過去に気をとられぬように、マルクス・アウレリウスが言うように私が直面しているのは現在だけであって過去を悔やんでもそれはもうただの燃えかすでしかないのです。同様に、いくらさきのことに心を悩ましてもそれを現在にまで分解したとき残るのはなんと小さいものでしょうか。たとえ一

          自省録を読んだ

          「死にたい」で人生をシャットダウンしようとする人

          SNSにあふれる「死にたい」は、1日あたりいくつあるのだろうか。 死にたいという人の殆どは、多分本当に死にたいのではない。結論、生きている中でなにか避けられない障壁があって、それに対して自分ではどうしようもないために生きていること自体をストップさせることで強制的にその障壁を削除しようとしているのだ。であるから、死にたいと呟く相手に向かって「生きていたらいいことがある」とか「あなたが死んだら悲しむよ」とかいうのは全く持って本質的な問題解決にはなっていないのである。 わかりや

          「死にたい」で人生をシャットダウンしようとする人

          非嘔吐過食のことをむちゃ食いというな

          私は自己肯定感がとてつもなく低い。 周りが苛々するくらいには。 親との関係が悪いと自己肯定感は育たないというが、いたって良好である。よく褒めてくれたし、やりたいことはたいてい応援してくれた。 本当にいい子育てをしてもらったのに、現状自分がこんなので申し訳ない。 幼いころからたいていのことはうまくこなしてきた方だ。 だいたいのことには5がついた。 運動はできるものとできないものの差がかなりあったけれど。 かなりの進学校に合格して、そこでも一桁位で、現役で最難関大学に受かった

          非嘔吐過食のことをむちゃ食いというな

          コンサル就活でであった優秀なひとまとめ

          半分(8割?)ネタです。 私が就活でであった優秀な人々についてのメモです。 私自身はコンサルをみている人間です。 ファシリとして完璧すぎる顔整いKOボーイ コンサルジョブで出会いました。オンライン開催だったんですが画面に映る顔のなんときれいなこと。顔だけで育ちのよさと実家の太さが伝わってきました。彼は途中参加だったんですが、彼がくるまで膠着していた議論がなんということでしょう、まるですいすいとスキー場の斜面をおりるように(スキーしたことない)すすみはじめました。発散した

          コンサル就活でであった優秀なひとまとめ

          数学的帰納法、n=1のとき、私は幸せではない

          なぜこうも人々は恋人がどうの、におおげさになるのだろう。 youtuberはなぜ仰々しく「彼とお別れしました」をアップロードするのか。 30前後の人など、一般的に結婚を見据える年齢ならば妥当であろうが、上のことは大学生であっても、人によっては高校生であっても珍しくはないのである。 私の友達は、彼氏から別れを切り出されそうとかで数か月悩みに悩み、メンタルもおかしくなっていたらしい。確かに言われてみればいつもと違った様子もあった。ほかにも同棲がどうの、とか就職したら遠距離になる

          数学的帰納法、n=1のとき、私は幸せではない

          彼女があんなに美しくなっていくのを、ずっと隣で見ていろっていうの、自分の顔を心を傷つけぬままにそれに耐えうるほどわたしは頑丈でないし鈍感でもなかった。

          彼女があんなに美しくなっていくのを、ずっと隣で見ていろっていうの、自分の顔を心を傷つけぬままにそれに耐えうるほどわたしは頑丈でないし鈍感でもなかった。

          ことばは媒体に過ぎないということ

          死にたいという言葉の重さを、わたしは多分よくわかっていない 人の死を、自分にとってのなんらかの意味に変換しようとしているそれは冒涜ではないか 書くとは、ことばにするとはその一瞬の感覚を枠に押し込めること、きりわけること 書くことを前提とした体験は、ことばの枠を通した体験でしかない 特にそのことばが自分にのみ向けたものでないならば、センシティブなものは扱ってはならないのかもしれない その体験が重いものであればあるほどそれを枠に押し込むのに多少の無理を強いられる センシティブな体

          ことばは媒体に過ぎないということ

          生きにくいタイプの子

          この間ちょうど人に会う機会があって。 私は基本家に引きこもっているので(暑さのせいもあるけれど)知っている人に直接会うのは本当久しぶりだった。 ピンクのワンピースに身を包んだ美人で華奢な人と、紺のワンピに巻き髪の映えるこれまた美人な人。 本当に普通の大学生をしていた。 うまく言えないけれど、「就職がどうの」とか「彼氏がどうの」とか。 冗談を言って、笑いあって、本当にふつうの大学生。 わたしは、なにをしてきたんだろう。 精神的な成長という観点において私は重大な欠陥を抱えてい

          生きにくいタイプの子

          自己啓発本は読まなくていい

          自己啓発本の類、特に「最近話題の」系は読んでもあまり意味がないんじゃないかと思っている。 だって書いてある内容って同じでは。 「毎日を生産的に生きよう」みたいな自己啓発本にはたいてい「早起きして陽の光を浴びる」とか「読書をしよう」とか書いてある。 間違っても「夜更かししてねとふりに一日を溶かしましょう」はない。 おそらく自己啓発本はふたつの要素で成り立っている。 すなわち、自己啓発に必要なtipsと、そのtipsに至る個々人の経験、である。 自己啓発に必要なtipsに関して

          自己啓発本は読まなくていい