外界からの刺激に対して感情が反応する度合いを下げるのって難しい

タイトルそのまま。

ここ最近の記事で、というかここ最近私が考えていることとして、外界の刺激(出来事)に対して自分の感情が上下されすぎという問題がある。例えば綺麗な人を見かけただけで自分のブスさに耐えきれなくなって気分落ち込んで帰宅後部屋にこもって泣く、とか。この例をそのまま使って話をすすめると、「綺麗な人を見る」が外界からの刺激、でそれに対してどう反応するかは個人の自由なわけ。綺麗な人を見る→わあ美人、と思うのも、綺麗な人を見る→あんな風になれるようにダイエット頑張ろう、と思うのも、綺麗な人を見る→何も思わない、のも全部受け取り方は様々なわけだ。そして私の場合はなぜか、綺麗な人を見る→あの人と比べて自分ブスすぎる…と思いそれがきっかけで病みモード突入してしまうのだが。
で、これを解決するにはどこの段階で止めるべきなのか、という問題である。もうちょっと一般化しつつフローを細分化するとおそらくこういうこと。

外界からの刺激>感情に伝わる>○○だと思う(>病みモード突入:自分の場合)

なんか「感情に伝わる」っていうのがワーディング下手くそすぎてわかりにくいけど、要するに、さっきの綺麗な人の例の「→」を指しているとしてほしい。外界からの刺激に対してスルーするのか何らかの感情を抱くのかの後者のほうを選ぶってこと。
で、これ親とかに相談すると「○○だと思う」の部分を変えろって言われる。ネガティブ思考過ぎるのを治せと。間違っているわけじゃないんだけれど思考の癖を治すのってめちゃくちゃ難しい。前の記事に書いたような気もするけれど、私のこのネガティブ思考が酷くなったのは多分、摂食障害とそれにともなう容姿コンプがきっかけで、それらを完治させるのは大分厳しそうだからだ。であれば、私がどうしたか。「感情に伝わる」の部分で断ち切ろうとしたのだ。
外界からの刺激に対して全部に反応する必要はない。自分の興味にかすりもしないことに対してはなんの感情も抱かないのが普通だろうし(例えば私はスポーツ観戦にさして興味がないので家族がリビングでサッカーを見ているのを認識しようが何の感情も抱かない)、ある刺激に対して抱く感情の強さの度合いは大から小まで幅広い(芸能人の結婚に対して「ふーん、めでたい」程度の感想を抱く人もいれば「推しが結婚しちゃった、ショックで明日仕事いけないわ…」ほどの強い感情を抱く人もいる)。
ちょっと話が逸れたけれど、私がその「感情に伝わる」をどう処理しようとしたかというと、「期待しない」である。あらゆる物事・人に対して期待しないでいれば、たとえそれが自分とって不本意かつ感情に強く作用しそうなものであってもその度合いを下げることができる。「この前の試験、80点だといいなー」より「40点しかないかも…」と思っておく方が結果が悪かった時に落ち込みにくいというアレである。ただ、このやり方の悪いところは、積極性や意欲がなくなってしまうということである。外界の出来事に期待しないことが、いつしか自分に期待しないも加えてしまう人がいて、私は多分それ。あらゆる出来事に対して望まない事態を想定していると、不必要な不安にもつながるし、どうせ無理だし…が口癖になる。よってこれはおすすめしない。
もうひとつ、先ほどのフローを断ち切る術として私がやってしまった間違ったものが、「外界の刺激を避ける」というものである。こんな風に言えばちょっと格好がついているが、単純に嫌なこと(若しくは嫌な結果になりそうなこと)を避けているだけ。

結局、以上二つのやり方が駄目だということはわかった。多分、「感情に伝わる」度合を「期待しない」以外で下げることが必要な気がする。答えがでない。