数学的帰納法、n=1のとき、私は幸せではない

なぜこうも人々は恋人がどうの、におおげさになるのだろう。
youtuberはなぜ仰々しく「彼とお別れしました」をアップロードするのか。
30前後の人など、一般的に結婚を見据える年齢ならば妥当であろうが、上のことは大学生であっても、人によっては高校生であっても珍しくはないのである。

私の友達は、彼氏から別れを切り出されそうとかで数か月悩みに悩み、メンタルもおかしくなっていたらしい。確かに言われてみればいつもと違った様子もあった。ほかにも同棲がどうの、とか就職したら遠距離になるけど・・・とか恋人とのことで深刻に悩んでいる話はまあまあな頻度で耳にする。
なんでそんなに大事なんだろう。まともに恋愛をしたことがないからわからない。他人のことがそんなに大事なのか。自分以外のことで真剣に考え悩みぬく経験がないのである。
もう、21なのだ。
考えたくもないけれど。
普通に焦っている。まともに恋愛をしたことがないことに焦っているのではなく、恋愛をしたいと思ったことがないというか別にしたくないと思っていることに焦燥感を抱いているのである。多分に人間普通に生きていれば人生のどこかでパートナーを求めるようになってそのうち結婚して家庭を築くんじゃなかろうか。その初めの段階にすら、私の精神は到達していない。
21でも恋愛経験のない人はいるだろう。けれど、普段から「彼氏ほしい~」を口癖にしている人の「恋愛経験がない」、と単に恋愛に興味持ったことないし人と関わることもきらいですという人の「恋愛経験がない」は大分違うのだ。仮にパートナーをつくることを100m走のゴールとするならば、前者は少なくともスタートラインには立っていて、後者、つまり私は多分グラウンドにすらでていない。
人間も生き物なのだから、種を存続させるためにパートナーが欲しくなるというのは至極当たり前のことで人生のフェーズのどこかで多分そうなるのだろう。だけれど私は精神の成長が遅いというか、何かが欠落しているばかりにそこにすらたどり着くことができていない。周りの人はとうに到達しているというのに。それが、非常にまずいと思っている。他人と関わることは私にとって大分難しいことで、恋愛も多分その中に分類される。これから先、少なくとも私がある程度の社会のなかで生きていくことを選択するのであれば、周りの人々はそれなりの人生のフェーズを踏んでいって、きっと私はその波に取り残されてゆく。精神的な欠陥が埋まらないままに、社会の中でまともな人間に擬態しようとしてもがき苦しむような気がする。それか、擬態をあきらめてひとり外れて生きるか。もっと強さがあればいいのにと思う。自分がどんな生き方をしてもゆらがないような強さ。以前の私はそれを勉強としていたのだが、それでは行き詰ることを学んだ。次はお金?名声?容貌?なにが必要?あるいはもっと鈍感だったらよかったのかもしれない。
すくなくとも他人との関わりというカテゴリにおいて、私はすでに行き詰っていることを痛感している(主に就活を通じて)わけなんだけれど、暫くしたら次は恋愛とか結婚とかそちらがメインになってくるんだろうな。今抱いている違和感は多分正しくて、まともな恋愛経験がないとかいう私の精神のほころびは多分数年後大きな欠陥となって私の首を絞めるんだろう。

精神的に未熟すぎる。
それは、一朝一夕ではどうにもならない。私の母は、よく「今から頑張ればいいじゃん」とか言うけれど、私の現在の悩みの原因ははるか数年、ひどければ10年前に起因しているようなもので、それをいまからどうこうできるか、多分難しいんだろう。とりわけ、精神的なことに関して、まだ柔軟であったころの10代を台無しにしたことによって今こうなっているのだから、凝り固まった20代のすべてをささげても治るのかどうか、誰にも分らないのである。

幸せになりたい。けれど、その未来は全く見えない。そもそも幸せに生きるって何なのだろう。自分が満足すること、と仮に定義するのであれば、私はあと何があれば満足するのであろう。
幸せを求めることがそもそもいいことなのだろうか。人間はあくまで生き物であるから、本能的に生きのびようとする、ことはわかる。けれど、幸せなんてものは人間が勝手に作り上げたものにすぎなくて、それをもとめなくちゃいけない(少なくともそういう風潮はあると感じている)のはなんだかな、という感じである。「人生を楽しくする」とか「幸せな毎日」とか聞き飽きた。こんなこと考えているから幸せになれないんだろうな。もっとシンプルに生きればいい。それができないのはなんでなんだろう。

確かにテレビを観ているときなどは充足しているし、上記にあてはめるのであれば幸せなのであろう。けれど、それは一時的な充足にすぎない、簡単に手に入る幸せである。その一時的な幸せを繰り返す、麻薬みたいなごまかしで、私はどこまでまともに生きることができるんだろう。

私はなんにも変わっていない。デブな自分が気持ち悪くて、親になんども容姿の悩みをぶちまけ、泣きつき、相手を悲しませるような言葉を吐いておきながら5年前の私と体型は変わっていない。高校を卒業するときにたてた「絶対に整形する」と決意を記したノートの続きは白紙のままである。留学をしたいしたいと言いながらもかなわず、共に頑張ろうと約束した友達はもうすぐ帰国する。私はなんにも、なんにもかわっていない。3日できないことは1か月できないし、1か月できないことは1年できない。1年できないことは一生できない。数学的帰納法と同じである。少なくとも、ここ3日、私は幸せではない。
死んでしまおうか。幸せにはなれなさそうだ。