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【書き物シリーズ】

佐藤受理、35歳。営業職。
毎月ノルマとの戦い、そして、上司との戦いでもある。
「おい、佐藤」
部長の川辺が俺を呼ぶ。
大概呼ばれる時は良くない内容だ。
このまま聞こえないふりをしてしまいたくなるが、上司となるとそうにもいかない。
万が一、良いことで呼ばれたとしたら、奇跡のようなものだ。
「先月の成績、みたか?」

ほらきた。
先月、俺は予算比87.5%で終わっていた。
だが、誰もが予想していなかったこの世の中の状況で、新規開拓セールスはなかなか手厳しいと実感している。
そもそも、予算未達は俺だけではない。
しかし彼は、何故か俺には言いやすいらしく、何かネタを見つけては上から叩きつけるように、そしてネチネチと話をしてくる。

「....はい。」

「困るんだよ。予算は達成してもらわないと。お前、仕事やる気あんの?」

やる気なんかあるか。
正直、毎日起きてあんたのところに出勤してるだけで俺は十分偉いと思っている。
仕事内容が嫌いなわけじゃないが、あんたのおかげで嫌いになりそうなのをおさえてんだ。

しかし、そんなことは言えない。

「...あります。」

「あぁ、そう。じゃあ、結果で意思を示してもらわないと困るんだよね。今月は絶対達成しろよ。俺が上から言われるんだからな。わかってるよな?」

「...はい。」

「新規取るまで今日は帰ってくるなよ。」

「.......。」

頷きもせず、言葉も帰さず、ただ川辺のデスクから離れて、俺は鞄を持った。
入口隣の動静表に、N/R(ノーリターン)と書き込み、ドアを開けてオフィスを出た。
川辺の目は一切見なかった。

「あー....俺の人生って何なんだろうな。」
佐藤は電車に揺られながら、ぼーっと外の景色を見る。
毎月気にするのは、数字と上司。
家に帰っても誰もいない。
実家も遠く、帰れても年末年始くらいだ。
同僚はいるけれど、そこまでプライベートの関わりもない。
休みの日は、連日の残業で疲れた心身を寝溜めで回復させて終わる。

佐藤は特にやりたいことも明確には分からず、
ひとまず出来そうなことを仕事にした。
しばらく順調に、そつなくこなしていた。
しかし、上司が川辺に変わってからは、それまで持っていた顧客を勝手に配置変えさせられ、むしろ新規開拓してこいと言われる始末。
時間をかけて築き上げた顧客との関係性を、一瞬で他のやつに渡された。
何が気に食わないのか知らないが、あいつは来てから俺のことをずっと嫌ってるようにも見える。
「面倒くせえ。」
そう思って相手にするのも面倒くせぇ。って思っているが、全くシカトするわけにもいかない。
あれでも一応、勤めてる会社の上司だ。

佐藤は電車を降りた。
飛び込み営業は正直しんどいことも多い。
けれど、それもだいたいわかってきた。
慣れてきた。そう、知ってるからもう大丈夫。
慣れている。

慣れている。
はずなのに。

なんかちょっと疲れてるんだよな。今日は。

ふと、いつもよりちょっと違和感がある自分の気持ちに不思議な感覚を覚えた。

なぜ、こんなに悲しいんだろう。
なぜ、思いっきり笑いたいとも思うんだろう。

ちぐはぐな思いに、自分でも混乱する。
俺は一体どうしたいんだ。

もやもやとした気持ちを抱えながらも、
足を止めずにゆっくり歩き続けると、
ふと、小さな喫茶店の看板が目に入る。

「サットナム」

シンプルで少しレトロなその喫茶店の前で、思わず立ち止まった。

店主らしき男がちょうど店から出てきた。
観葉植物を外に出すところだった。
「あら、いらっしゃい。」

え?俺、ここ入るの?
一瞬とまどいながらも、そう言われたら入るしかないと思い、「....どうも。」と一言だけ声を発した。
「どうぞ。」
店主は笑顔で入口を開けてくれた。
佐藤は軽く会釈をし、中に入る。

まぁいいか。ちょっとコーヒーでも飲んで、気持ちをリセットしよう。

店の中は細長く小さい造りで、
席はカウンターのみだった。

喫茶店で書いてあったよな?
なのに、カウンターだけなの?
え、珍しい…。

奥にはすでに女性が一人いて、何かをティーカップで飲んでいた。

「じゃあ....コーヒーを」

そう佐藤が言うと、店主は少し苦笑いを浮かべ、
「すみません。ここでは、メニューはないんですよね。今のあなたに最適な飲み物が出るようになります。ご了承ください。」

なに?どういうこと?


佐藤の頭の中はプチパニックだ。
喫茶店なのに、コーヒーないの?
メニューがない店なんてあるのか?
その飲み物ってなんなんだ?大丈夫か?ここ。
いくらするんだよ。
そしてこいつは大丈夫か?言ってることも若干、不思議だぞ。

頭の中はぐるぐるしているが、
顔はこわばってしまって
体も動かない。

人間は、想定外過ぎることが起きると
こうなるらしい。

佐藤はとりあえず、一番入口側に近い席に腰掛けた。
目の前で店主が何かを入れはじめたが、何を作っているかはよく分からない。

少しレトロだがシンプルな白基調の店内。
オレンジがかった蛍光灯がぼんやりと光る、あたたかみのある店内。
静かなジャズがゆるやかに流れている。レコードのようだ。たまにチリチリと音がする。

動揺を隠すように、気持ち少しだけ長く息を吐く。自分自身に落ち着けと言わんばかりに。

つづく。

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