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地獄トラベルとは?

今まで紹介していますが地獄トラベルとは一体なんなのだろうと思う方もいらっしゃるでしょう。

地獄トラベルとは飛行機ならば大多数の人が選ぶであろう直行便ならば10時間程度で行ける場所へ、2〜3倍の時間をかけて遠回りして行く旅程のことです。

また陸路であれば大体500キロ以上の道のりを1日で運転していくことや荷物がたくさんあるにもかかわらず公共機関を使ってハードな移動をすることを指したりもします。

今回はこれまでに体験した代表的な地獄トラベルを書いていこうと思います

はじめての地獄トラベルは2004年11月、ノルウェーからの帰りでした。

その時は選手を引退し指導者の勉強として合宿に帯同させてもらったのですが同じイニシャルのKさんが怪我をして急遽帰国となり飛行機を変更しました。

その時に同じイニシャルということでなぜか私の名前まで消されてしまい、私だけ別の飛行機で帰ることになったのです。
当時はまだあまり海外での経験もなく、その時の経路はオスロのガーデモエン空港からフランクフルト経由成田行きのルフトハンザでした。

フランクフルト空港も改修中でノルウェーからフランクフルト空港のターミナル間の移動はひたすら歩きで人の流れに沿うように歩いて、なんとか成田行きのボーディングカウンターについたことを思い出します

ヨーロッパから1人で帰ってくる事は今では何でもない通常の事ですが当時はドキドキしながら帰れなかったらどうしようと思い、何度もパスポートと紙の航空券を確認しつつ緊張の限りで、なんとか無事に帰ってこられた時の安堵感はひとしおでした。

そのような経験があり、その後、海外にちょくちょくといくようになってからは最近のウクライナ危機の前はロシア上空をフライトすることが可能でしたので、通常ならば日本からシベリア上空を飛び、目的地のミュンヘンやウィーンまで大体10時間程度で到着しましたが、前回話した滞在日数の関係や費用の関係から優先順位は快適性よりも、
1.荷物を多く持っていくことが可能
2.費用は安く
3.時間がかかっても到着すれば良い
という考えに代わり、地獄トラベルが誕生したわけです。

インターネットの発達と共にさまざまな検索サイトで料金を比較し、画面を睨めっこしつつ、フライト時間はトータル15時間位で費用から見るとトランジットを長くしてトータルで30時間程度の予定を選ぶのですが、
必然的に南回り航路(日本から香港、カラチ、ムンバイ、アテネ、チューリッヒという40年以上前の日本からヨーロッパに行く方法をなぞらえたようなルート)が選択肢に当てはまるようになり、その代表的な地獄トラベルの航路を下記に記していきます。

日本から北京、北京からウィーン経由インスブルック

これは北回り航路なのでまだ甘いです。
違う意味での地獄トラベルです(後述)。

日本からタイのバンコク経由ミュンヘン
日本からシンガポール経由チューリッヒ

これが代表的な地獄トラベル航路です。

そのほかにも、日本から台湾、台湾からウィーンに飛ぶ、というさらに時間のかかる経路を選択せざるを得なかった後輩もいます。

南半球であれば、日本からオークランド経由クイーンズタウンが通常の航路ですが地獄トラベルであれば
日本からシンガポール経由オークランド経由クィーンズタウン
日本からシドニー経由クィーンズタウン

旅慣れてくると地獄トラベルも楽しいものと考え、コストカットという部分から私も開き直って喜んで使っていましたが、タイ航空であれば経由地のバンコクでのトランジットが10時間ほどあったのでバンコク在住の先輩と会って食事をご馳走になったり安いマッサージ(健全なお店)に行ってバンコクを満喫したりしていたのも良い思い出です。

トランジットを活用して観光
バンコクで角質を削ってもらった

先ほどは中国のフライトは違う意味での地獄トラベルと書きましたが、それは中国系のフライトでは残念ながらマナーの悪い方々と一緒になることが多く、いつもイライラしていました。
1番びっくりしたのは非常口近くの座席で足を伸ばして移動していた時に斜め向かいにトイレがあったのですが、そのトイレを開けたままする方がいたり、楽しみにしている機内食も美味しいとはいえず、移動と言うよりも単純に運ばれているイメージでしたまた安価なフライトであったアエロフロートでロシアモスクワ経由にてミュンヘンに行った時も、今では考えられませんが、見るからに体調の悪い方がずっと咳をして汗をかいていて明らかに発熱していましたが、一緒のフライトだった時は何か悪い病気に感染しないかとヒヤヒヤしました。

このように時間をかけてフライトする旅程を選ぶのは自分自身の責任ですが、ごく稀に航空会社の責任で地獄トラベルになることもありました。

これは昨年11月に帰国する際に経験した事ですが当初の予定は

  1. インスブルックからウィーン

  2. ウィーンからフランクフルト

  3. フランクフルトから羽田
    このフライトスケジュールが新型コロナウィルスの影響で搭乗するフランクフルトから羽田便がキャンセルになってしまいフランクフルトで一泊する事が求められました。

この時も例に漏れず大量の荷物を持っていたので、フランクフルト空港で再度チェックインすることも必要になるのと、現在は帰国時に72時間のPCR検査を受ける必要がありますので、私としてはどうしても当日中に出国しなければなりませんでした。

以上のことからキャンセルフライトの連絡を受けて、日本時間の朝9時に日本のコールセンターがオープンすると同時に電話をしてオペレーターと話しながらフライトを探しました。

本来ならばセグメントが増える事はあまり許されることでは無いのですが、緊急事態ということもあり、また私の都合ではなかったので航空会社も色々と譲歩し、その結果として出てきたのは

  1. インスブルックからウィーン

  2. ウィーンからベルリン

  3. ベルリンからフランクフルト

  4. フランクフルトからヒースロー

  5. ヒースローから羽田
    という1日に5回乗り継ぐフライトでした。

出発地のインスブルック空港にて

出国前72時間のPCR検査結果はどこで判断するのか、と電話で確認しても
フランクフルトなのか、それともブレグジットの関係でヒースローなのか、明確な答えが出ないままヒースロー空港の出発予定時間がPCR検査の有効時間と計算すると出国前69時間であり、少しでも飛行機が遅れると帰国できないと焦りながらも帰国することができました。

このような複雑な旅程ですと荷物が未着する事は不安でしたが、案の定荷物は未着のものもありました。
しかしながら、その後の自分の予定から考えると急ぐものではなかったのが幸いでした。

南半球でも地獄トラベルはありました。

オーストラリアとニュージーランドを転戦していたときにオーストラリアでのレースが1日順延となりレース終了後にニュージーランドに戻るチケットを変更しなければいけなかったのですが直行便のフライトは2名分しか空いておらず選手2名はメルボルンからクインズタウン直行便で移動し、当然ながら確保できなかった私の分は
1.メルボルンからオークランド
2.オークランドからクインズタウン
という通常であれば2時間程度のフライトが
何故か7時間かかってしまうフライトになり、しかも振替フライトがLCCで荷物規定も厳しくなるという状態でした。

俺だけ経由便

陸路での地獄トラベルはスキーでトレーニングとレースを転戦していると誰もが避けては通れない道であり、拠点としているインスブルックからフランス方面への移動や条件が安定している室内スキー場はドイツ北部やオランダ、リトアニアにあるので選手は飛行機で移動したとしてもスタッフは車で移動するのでおおよそ900〜1,000kmほどの道のりを運転しなければいけません。

Innsbruckから室内スキー場のあるWittenburgまでの距離

フランス方面の移動では、スピード違反が1km/h以上超過で罰金を払うという恐ろしく厳しいスイスを通過するか、高速料金を支払い、渋滞が慢性化しているイタリア方面を通過するのか、という悩ましい選択も出てきます。

スイスのスピード違反通知書

ドイツでは制限速度のないアウトバーンで快適に移動する、とイメージですが荷物を満載し喘ぎながら走っている我々のレンタカーを横目にポルシェなどに颯爽と抜かれると悔しい思いでひとしおでした。

よくあるパターンとしては選手は先に移動したり、帰国し、私が1〜2日遅れて帰国することでレンタカーの返却や細々とした手続きをした結果、公共機関を使わざるを得なくなり、大きな荷物を抱えて空港に行く必要が生じるなどいうことは多々あることです。

移動には様々な出来事がたくさんありましたが
当時はつらく心細い想いをした場所も今は余裕ができた時にその場所の名前を耳にするだけで当時の苦闘が思い出し苦笑いをしてしまいます。

予測のつくトラブルと予測のつかないトラブルにどう対応するかも人間力が試されることですから流暢ではない言葉を使い、いざとなったらどうにかなる、のではなくて、どうにかしてきた結果、今でも何とかやっていられるのではないかと感じます。

次の機会では移動中の起きたこと等を書いていきたいと思います。

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