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第二十六景 世界が見たい話

何も考えずにぼーっとしているとふと疑問に思うことがある。

高速道路を運転している時かもしれない。一直線だし、かなりのスピードが出ているし、風景を見る余裕もない。

髪をただ乾かすためにドライヤーを当てている時かもしれない。

会議の時間の5分前の何をしようにも何もできない中途半端な時かもしれない。

黙々と山を登って歩いている時かもしれない。

要は日常の生活の中にある狭間の時間だ。

そういう時って妙なことが浮かびやすい。

今回浮かんだのはこんなことだ。

「自分が見ている色は、他人が見ている色と同じなのだろうか?」ということ。

つまり自分が見ている「赤」と他人の見ている「赤」が同じなのかどうなのか。

科学とか色彩とか専門的な基準について知ってる人なら答えられるかもしれないが、特にそんなことを知らない僕は想像するしかない。

トマトを「色」という概念を使わずに表現してみようとする。

僕なら「出てきたばかりの血のような色をした丸い野菜」と答える。

「色」というものを使えば、「赤くて丸い野菜」と簡単に答えることが出来る。

もし他人が見ている「赤」が「青」だとしたら、「晴れた空のような色をした丸い野菜」と答える人がいるかもしれない。

でもこんなことはまずない。そんな人に出会ったことがないからだ。

しかも「赤」が「青」に見えていたとしても、その人にとっての「赤」は「青」なのだから、僕と同じように「出てきたばかりの血のような色をした丸い野菜」と答えるはずだ。

証明するには、誰かの中に入って、その人の目を通して世界を見るしかないのだ。

想像してみる。「赤」が「青」の世界を。ものすごく興奮するかもしれないし、逆に気持ち悪く思うかもしれないし、案外普通なのかもしれない。

無理だ。僕が想像できる領域を遥かに超えていく。

誰かになって世界を見てみたい。

そう思う時が時々ある。

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