わたしの3.11
あの時わたしは確か小学3年生で教室の一番後ろの席に座っていた。ちょうど帰りの会の時間だった。水槽の水が大きく揺れて、クラスで飼っていためだかが外へ出てしまったのですごく慌てた。
家は小学校から徒歩5分のところにあるタワーマンションで、地上から建物が横に波打つのが分かった。そのままジェンガのように壊れてしまうのではないかと思った。
登校班、同じマンションに住む子たちと迎えに来れる大人に囲まれての集団下校だったと思う。
当たり前にエレベーターは停止していたのでみんなでロビーで待機した。定期的に来る揺れが少し収まった頃、階段を使って帰るらしい友達に便乗した。
5人くらいの同級生と一緒だったのだけど最初に家に着く友達にバイバイをしたフロアで自分が最上階に住んでいることに気付いた。最後にはこの窓のない螺旋階段で一人ぼっちになってしまうことを悟った。一人ぼっちになってしまってからの最後の8階分は今揺れが始まったらどうしようという不安でいっぱいで、そうならないことだけを願ってとにかく早く駆け上がった。
無事に玄関のドアを開けてホームワークの父と専業主婦の母、側に大人が2人いることに安心した。橋や建物は揺れに備えて柔らかく設計されているということをこの時に教わった。そしてテレビに映る見たことのない映像が数分前に自分が階段で感じていた恐怖をかき消した。
その日から数日経った。
何かの会話の拍子で「図書カードにハマってて、本屋さんに行ってもカード集めたいからお小遣いの現金で買っちゃった〜」という話を両親にした。
お金は何にでも使えるけど図書カードは本にしか使えないのだからちゃんと本に使いなさい。この間みたいな時にもし被災するとなったとしたら必要なのは図書カードよりも現金なんだよ。と言われたことを今でも憶えている。
さて、"わたしの3.11"はこのくらいです。
今日のnoteでわたしが書きたかったのは
"当事者以外が語る意義" について。
親戚も含めて被災地と呼ばれる地域からは離れていたのでわたしはあの日に失ったものはないし、亡くした人もいません。
2012年からの数年はこの日が近づく度にあれからもう○年経つんだねという静かな空気が日本全土に流れたけれど、ここ数年はあまりそれがなく自分自身に対して危ないな、と思いました。*わたしがアメリカに在住しているので日本のメディアに触れられていないというのもあるかもしれません。
だけど大切なのは
憶えていることを忘れないようにすること
忘れたくても忘れらない人がいることを忘れないこと
なんだと思います。
(この気持ちにリンクする記事を以前書いたのでもし良ければこちらにも飛んでみてください。)
"無"よりは"思い出すこと"の方が遥かに温かい
"知ること"と同じくらい、大切な動詞かもしれないなと、
今日はそんなnoteを書いてみました。
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