見出し画像

「レンソイス・マラニャンセスの神秘的景観と発見された“新世界”」世界遺産の語り部Cafe #27

今回の世界遺産は、ブラジルの🇧🇷【レンソイス・マラニャンセス国立公園】と【トルデシリャス条約】についてお話していきます。


レンソイス・マラニャンセス


“シーツ”のような純白の世界


ブラジル、マラニャン州の「レンソイス・マラニャンセス国立公園」は、一面に広がる真っ白な大砂丘の景観が特徴的です。

レンソイス・マラニャンセスとは、シーツのように白く広大な砂丘から、ポルトガル語で“マラニャン州のシーツ (Lençóis Maranhenses)”を意味しています。

雨季には「ラグーン」と呼ばれる、無数のエメラルドグリーンの湖が砂丘内に点在する絶景が見られ、唯一無二の自然美を作り上げています。

ラグーンの点在する景観

砂丘を構成する砂の成分は、一切の不純物が混ざっていない「石英」で出来ているため、太陽光に反射することで白く映ります。

石英はレンソイスから南にあるパラナイーバ川から運ばれてきたもので、それらが風に吹かれて砂丘に積もり続け、気の遠くなるほどの年月をかけて、この壮大な美しい景色が形成されました。

レンソイスを流れる「プレギサス川」には“ナマケモノ”という意味があり、近隣には真紅の鳥として有名なショウジョウトキが生息しています。

レンソイスを流れる川
ショウジョウトキ

また、レンソイス・マラニャンセス国立公園は2024年7月の第46回世界遺産委員会で決定した“世界遺産登録されたて”の注目スポットです。

レンソイスの不思議な生態系“ペイシェ湖”


レンソイスを訪れるベストシーズンは、雨季の終わりとなる6月から、乾季に入り湖が乾き始める9月です。

雨季に降った雨が砂丘に溜まる

この時期、砂丘の間に溜まったラグーンのペイシェ湖(ポルトガル語で“魚の湖”の意)では遊泳することもできます。

“ペイシェ”の泳ぐ湖

その名が示す通り、ペイシェ湖の浅瀬には小さな魚が無数に見られますが、長い乾季の間、この湖の魚たちは一体どうやって過ごしているのでしょうか。

その理由は未だ解明されていないのですが、現段階での仮説をいくつかご紹介していきます。

  1. 乾季でもわずかに水が残るところへ移動することで、魚はそこで生き続ける

  2. 魚卵が鳥類に付着することで、湖に運ばれ孵化する

  3. 乾季に魚は息絶えるが、耐久卵を産むことで卵は地下水脈によるわずかな水分で耐え忍び、雨季になると再び水に満たされて孵化する

また、少数意見としてファフロツキーズ現象が原因であると唱える者もいるとかいないとか。

ファフロツキーズ(Fafrotskies)とは、“Falls from The Skies(空からの落下物の意)”を略した造語で、カエルや魚といった通常ありえないものが空から降る現象のことを指します。


ブラジルの公用語はなぜポルトガル語か?


南米大陸の各国で、第一公用語に指定されている言語は、スペイン語が中心で、ポルトガル語を第一公用語とする南米国はブラジルのみです

南米大陸の第一公用語

※ その他ガイアナ、トリニダード・トバゴは英語。スリナムはオランダ語。フランス領ギアナはフランス語 etc.

大航海時代の1492年、「クリストファー・コロンブス」がアメリカ大陸を発見して以降、スペインとポルトガル両国では、まだ見ぬ“新世界”への冒険的航海が盛んになりました。

クリストファー・コロンブス

コロンブスを派遣したスペインのイサベルとフェルナンド2世両王は、時のローマ教皇「アレクサンドル6世」に働きかけて、新世界における排他的な領有権を主張します。

イサベル
フェルナンド2世
アレクサンドル6世

スペイン出身のアレクサンドル6世は自国に便宜を図り、「インテル・カエテラ」と呼ばれる教皇勅書を発布して、ポルトガル・スペイン両国の勢力分界線となる「教皇子午線」を取り決めます。

いわば、教皇子午線の東側のみポルトガルに優先権を認めて、そこから西側の土地はすべてスペイン領にしてもOKという、“スペイン側に極めて有利”な回勅だった訳ですね。

当然、納得のいかないポルトガル王ジョアン2世も同様に自国の主張を訴え、フェルナンド王と直接交渉して、教皇子午線からさらに西側に進んだ子午線を境界とする「トルデシリャス条約」を新たに締結しました。

東側が教皇子午線、西側がトルデシリャス条約の子午線
ジョアン2世

トルデシリャス条約の際に引かれた子午線の東側であるブラジルは、1500年にポルトガル人航海者「ペドロ・アルヴァレス・カブラル」によって発見された後、ポルトガル領となり、ポルトガル語が公用語として用いられるようになります。

ペドロ・アルヴァレス・カブラル

一方で、条約は飽くまでもスペイン・ポルトガル間での取り決めであり、その他のヨーロッパ諸国は完全に蚊帳の外状態でした。

16世紀に入ると、ルターに端を発する「宗教改革」によってローマ教皇の権威は揺らぎ始め、その混乱に乗じるようにイギリス、フランス、オランダらヨーロッパ諸国は“条約を無視”して北米大陸に繰り出し、植民地化していきます。


トルデシリャス条約の無効化とその対価


ブラジルという国名は、ポルトガル語で“赤い木”を意味する「パウ・ブラジル」から名付けられています。

パウ・ブラジル

パウ・ブラジルは、ヨーロッパで染料に用いられていたスオウに似た木がこの地方で発見され、スオウと同じく染料として用いられたことからそのように呼ばれました。

18世紀になると、ブラジルでは奥地に金やダイヤモンドが発見されたことで、ポルトガル人たちは次第にトルデシリャス条約の境界線よりも西側に進出していきます。

ダイヤモンドを求めてブラジルの奥地に進出

ポルトガルは、新たに獲得した土地の領有権をスペインに認めてもらう対価として、当時アフリカのポルトガル領であった「リオ・ムニ」「フェルナンド・ポー島(現ビオコ島)」をスペインに割譲して「スペイン領ギニア」が成立しました。

その後、スペイン領ギニアは「赤道ギニア」として独立を果たし、第一公用語をスペイン語とする唯一のアフリカ国家となりました。

赤道ギニアの国旗

かたや、ブラジルでは19世紀初頭に「ペドロ1世」を中心とした独立運動が起こり、1820年代にブラジル帝国として独立しました。

ペドロ1世
ブラジル国旗の緑色と黄色はペドロ1世のブラガンサ家と
皇妃マリア・レオポルディナのハプスブルク家を象徴

ここまでを淡々と綴ってきましたが、そもそもアメリカ大陸は元来、先住民たちが住む土地であった訳で、勝手に大陸を分割するトルデシリャス条約がまかり通っていたこと自体、業が深いというか、現代の我々からすれば有り得ない思想ですよね。

南米に渡来したヨーロッパ人は、多くが先住民と同化していった経緯もあってか、インカ帝国由来のケチュア語パラグアイのグアラニー語ベネズエラのワユウ語など、先住民の言語が第二言語として話されています。

インカの伝統的な民族衣装

世界遺産と同じく、こうした伝統的な先住民族の文化というのも、後世に残していくべき貴重な遺産かもしれないですね。

【レンソイス・マラニャンセス国立公園:2024年登録:自然遺産《登録基準(7)(8)》】



いいなと思ったら応援しよう!