旅をしてわかった、日本の誇るべき文化
メキシコを旅していた時、マダムたちにこう聞かれた。
『ねえ日本って、学校では自分たちで教室を掃除するんでしょ?』
(うん?はい?どういうこと?)
あまりにも唐突で、衝撃的な質問に思考が停止した。
『子供が自分らで掃除をする』という学校で当たり前の概念がガタガタと音を立てて崩れていく瞬間だった。
そう、メキシコではそんな文化なんてありやしないのだ。
そういえばそうだった。バスターミナルで4歳くらいの子供がお菓子の袋を開けたそのゴミを、そのまま何の罪悪感もなく、ふつーに床に落としたのを見た時衝撃だった。もっと衝撃的だったのは親がそれを見ても無反応だったこと。
子は、大人を良く見ている。あの子もゴミを道端で捨てる大人の姿を見て育ったのだろう。
そんなことを思い出しながら、今度はアメリカ人の夫婦と会話していた。アメリカも子供達が教室掃除をすることはないらしい。だから、掃除の習慣がつくかつかないかは完全にその家庭によるとのこと。
素朴な疑問を打ち明けた。
「教室が汚いまま帰宅するの?それともお掃除の人がいるの?」
すると彼らはこう答えた。
「残念ながら、アメリカの子供達は教室がどのように掃除されるかどうかについて興味のある人はいないでしょう。笑」
知らないってことか…?
さらに、
『掃除のことを過度に気にする人は、アメリカでは強迫性障害と捉えられます』とのこと。
話していくと、アメリカでは掃除をすることに対してとってもネガティブなイメージを持っている。たとえば、親がやりたくない場合に無理やり子供がさせられるもの、や低所得の人の仕事である、やそれはもはや病気だ、など。
私たちは旅をしていて、外国人とキッチンなどの共有スペースで過ごすことがあるが、ほぼ汚い。笑 使ったものは出しっぱなし、食器は洗わない、汚したところを拭かない。日本人と共同生活をしているとほぼ起こらないようなことが起こりまくるのである。
でも、ざっくり言って
このような認識の違いがあるのだとしたら、それはもうしょうがないとしか言いようがない。笑
アメリカ人から見たら、私たちは強迫性障害らしいが、私はこの綺麗を保っておく(使ったものは片付ける、きれいにする)という至ってふつーの概念は誇れる文化と感じている。なぜなら、日本以外の多くの国が持っていない当たり前の概念であり、空間をきれいに保つことは、心を穏やかに保つこととイコールだと感じているからだ。
そして私たちのこの「細やかさ」は外人と仕事をする上でとても重宝される。これは、幼い頃からの掃除で養ってきた目とも言える。外国人に見えないものが、私たち日本人には見える。一緒に生活をしていてそんなふうに感じる。
これを日本語で読んでいる全員に伝える。
あなたの感覚は世界に誇れる!
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この世界に、生き生き健康な人が増えますように🫶