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大嫌いな高校野球

先日、夏の甲子園が正式に中止になったことをうけ、元高校球児としてとてもやるせない気持ちになった。野球が中心で世界が回っていて、レギュラーをはずされたりなんかしたら人生の敗者とすら思えてしまうような残酷な世界で、高校野球の「最終目標」がなくなったときの選手の気持ちは、きっと怒りでも悔しさでもなく、虚無なのではないだろうかと思った。

1年前まで僕は高校野球が大嫌いだった。小学生から始めた野球だったが、高校野球最後の試合、チームメイトが涙ぐんでいるなか、僕だけは泣かなかった気がする。いや、泣いていたとしてもそれは周りに合わせて「空気を読んだ涙」に違いなかっただろう。なぜだろう。多分、最後の試合に選手としてグラウンドに立つことができなかったからかもしれない。そこには一種の虚無が存在したのだ。思えば、スポーツ推薦で入学した県立高校。中学時代はクラブチームで硬球になれていたこともあり、入学当初は前途洋々だった。高校2年の春大会、1つ上の先輩方の試合に出場することもあった。下馬評ではうちの高校が負けるような格上相手に奇跡的に勝利した時、さよならのホームに帰ってきたのは僕だった。地元の新聞にものったほどだ。3年生になり、ようやく自分たちの時代がやってきた。正直、秋も春の試合もそんなに覚えていない。ただ、間違いなく調子は崩していた。いや、下手なだけだった。そのうち、ミスすることが試合中に頭をよぎるようになり、練習の30%の実力もだせずにいた。一方で、一年前までまったく試合にでることのなかったような選手にどんどん抜かれていった。焦りしかなかった。毎日、居残り練習を終えたあと、遅くまでやっているバッティングセンターにたちより、なけなしのお金をつかって気がすむまでバットをふった。チームのなかで誰よりも練習したと自信をもって言える。しかし、スポーツというのはそんなにあまいものではないと痛感させられるのだ。

夏の大会の一週間ほど前に、背番号が配られる。僕の記憶が正しければ、それはあっさりと監督から配られた気がする。まるで、背番号なんかただの数字だと言わんばかりの態度で。それが僕のようなレギュラーか補欠かの瀬戸際の選手にとって、雲泥の差があるのもつゆ知らずに。そして僕の手元には10番の番号がきた。補欠。社会にでても、あれほど克明に周りとの優劣を認識する瞬間はそうない。結局、二回戦で僕たちのチームは負けた。試合を終えたあとには、悔しさとか達成感とかはなかった。ただただ、虚無がそこに存在した。8年間続けてきた野球はあっさりとそこに終止符をうったのだ。それ以来、高校野球をみれなかった。あの日のことを思いだすからなのか、ただ見たくなかった。

夏の最後の大会から、4年がすぎて、僕の人生は想像だにしない方向へと向かっていた。高校卒業後、野球以外のなにかを突き詰めたいと思い、「英語」を勉強し始めた。それまで見えていなかった世界が見えるようになった。アメリカへの憧れをもち、大学時代には1年間の交換留学をした。もちろん勉強は楽しい時も苦しい時もあるが、あの高校時代の練習のきつさに比べれば、なんてことなかった。就職活動の時期が始まり、留学のために遅れてスタートした僕は焦燥感にかられていた。志望する企業からお祈りメールが届く度に自己肯定感がうすれていった。そんなある日、テレビをつけると甲子園が放送されていた。星稜高校 対 智弁和歌山高校だった。去年の試合なので記憶にも新しいだろう。あの日、星稜高校の投手奥川くんの勇姿に胸を打たれた。気づいたら、最後の最後まで試合を見ていた。どちらのチームも応援していたのだ。延長になり、体力がすり減るような暑さでも、レギュラー選手、ベンチメンバー、応援団、そこにいる人たちとテレビ越しの人たちが一体となり応援し続けた。そして、僕はあの試合が終わった瞬間に4年前に流すはずだった涙を流した。そして、高校野球があったからこそ、最後まであきらめない今の自分がいるんだと思えた。踏ん張れた。

結局、自分の納得いく企業に就職することができた。あんなに嫌いだった高校野球に人生の岐路で救われたのだった。だから、もし今、高校野球に人生を捧げた高校生が今まで自分のやってきたことはなんだったのかと疑問をもち、アパシーに陥っているのならば、恐縮ながら人生の少し先輩として伝えたい。君がこれまで情熱を持って野球に取り組んできた姿勢は、今後の人生できっと大きな価値を持つことになるだろう。きっとすぐ気づくには難しいかもしれない、ただ僕も、あの日、2桁の背番号をもらった瞬間、人生が終わったと確信していた。今となっては正直、どちらでもよかったと思う。むしろ、2桁をもらっていなければ今のような反骨心をもちつづけていなかったと思う。だから少し酷だが君も次に進んでいくしかないのだ。そしていつかあの残酷で、無情な”大嫌いな高校野球”が君の人生でかけがえのないものだったことに気づくのだろう。
顔晴れ高校球児たち。

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