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僕が映画を見る理由

昔、ある本の中で「豊かな人間になりたければ、本を読み、旅をしろ」と書いてあったことを思いだす。その筆者によれば、本を読むことで優れた知性の故人たちと対話をすることが可能になり、旅をすることで世界をその目で知ることができると書いてあった。時間と空間を網羅したくさんの世界(ダブルミーニング)に触れることにより豊かな人間になるということだ。大前提としてこの筆者が言っている「豊か」は物理的な意味合いではない。それは、教養、造詣、思想といった人間の内側にある豊かさなのだ。例えば、この資本主義下である日本のなかで経済格差を完全になくし、みんなの持つ資本を一律にすることは、クエンティン・タランティーノ監督による流血シーンのない映画くらい不可能な話だ。しかし、一方で、上記で述べたような形而上的な豊かさはすべての人が手に入れられると思う(特に、一億総中流の日本においては)。

ただ、本を読む時間なんてないよ!とか世界中を旅する資金もない!と嘆く人は多い。自分もその一人だ。題名にもある通り、そこで私がおすすめしたいのが映画なのだ。映画は原作が本であるものも多く、たくさんの時代背景がある。しかもそこには未来をも内包している。さらに映画から海外の風景や人々の言動、思想をリアルにみてとることができる。例えば、アメリカンニューシネマに代表される「イージーライダー」では当時の反体制、退廃的な雰囲気が映画から溢れ出している。若者たちの既得権益に対する鬱積だったり、アメリカのカントリーな風景がこの映画から感じることができる。さらに、もう1つ映画を見る理由がある。それがストーリーテリングだ。

「ストーリーテリング」とは、伝えたい思いやコンセプトを、それを想起させる印象的な体験談やエピソードなどの“物語”を引用することによって、聞き手に強く印象付ける手法のことです。       引用元:コトバンク

よく、映画は本に比べて、受動的なメディアだと揶揄されることが多いが、私はそんなことは決してないと思う。私が映画を見るときは常に能動的に考えているからだ。何についてか?それがこのストーリーテリングである。監督・製作者の主題を考える工程が楽しいばかりに1日に4作以上みてしまうのだ。この主題を考えるというのが、簡単そうに見えて意外と難しい。これを理解するためにはコンテクストを知らないといけないから。例えば、それは文化や歴史など。ちなみに宮崎駿はこのストーリーテリングに長けているので「千と千尋の神隠し」を例にとってみよう。

ストーリーとしては一人の少女が成長するまでといったありきたりなものだが、この映画によって監督が伝えたいメッセージはなんなのか? あくまでも僕の主観だが、カオナシとは現代の自分の意見をもたない人々の権化であるのではないか。そして千尋自身もそんな一人であった。湯婆婆に名前をとられるということは、自分自身つまり主体性がないと同然。だから、最初カオナシは千尋に親近感をもったのかもしれません。(助けられたお礼もあるが)。蛙や人を飲む込み大きくなり話せるようになるカオナシはネットやニュースの情報を鵜呑みにし、虚勢をはる人達なのではないか?それなら千尋はどのような点で異なっていたのかなどなど。

話がだいぶそれてしまいましたが、今までのことをまとめると、映画をみる意義は3つある。1つは幅広い時間軸の人々の考えをしることができるから(過去の伝記からSFのような未来まで)。2つ目に世界を見る・知ることができるから(旅をできないような国まで)。そして3つ目に自らが考えることができるから(受動的ではなく能動的)。これらが出来れば、人生が豊かになってくると自分に言い聞かしてます笑。

人は欲しかったものが手に入ってもすぐにその環境になれてしまうものです。しかもいつそれがなくなってしまうのか不安になる。そういった意味で有形的な豊かさは永遠に満たされないかもしれない。しかし、知識や思考それ自体が失われることは基本的にはないので不安にならない。むしろ、なにもなくても充実するんです。極論ですが、、。だから唯物論より唯心論の意味での「豊かさ」を僕は常に目指しています。

みなさんも映画によって人生を豊かにしていきましょう!

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