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ハワイ留学4年間で得た一番大きな財産(嫌いな日本から好きな日本へ)

はじめまして、Goです。

初noteです。

私は半年前に会社を設立し、宿泊施設の運営・コンサルや旅行サービスの運営など、「旅」を主軸とした事業をしています。

日本国内での事業ですので、当然、日本の観光を盛り上げたいという想いがあります。

そんな私ですが、実は学生時代、日本という国があまり好きではありませんでした。

おそらく当時の私のように、日本という国がどこか息苦しく、つまらないと感じる若者は少なくないのではないでしょうか?

でも、日本が嫌いになったはずなのに、今は日本を発信したくてたまりません。それも外国の方だけでなく、日本の方にも発信したいのです。

留学して得られたもの、それは、日本という国を好きになれたことかもしれません。ハワイ大学で4年留学し、嫌いになったはずの日本を知り広めたくなった男の話です。

少し長いですが自己紹介も兼ねているので、お付き合いください。

生まれてすぐにNYへ

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私は東京都町田市で育ちましたが、父親の仕事の都合で、生まれてすぐ、数年間ニューヨークに移り住むことに。言葉をまともに話せる年齢でもなかったため、この頃に覚えていることといえば、幼稚園でおもちゃのカゴに指が挟まれて、みんなに置いてきぼりにされたことくらいです。2-3年ほどで日本に戻ります。

それから小中高と、青春ドラマのような学生時代を過ごします。このときは本当に仲間に恵まれていたと思います。

とは言っても、自分の中でアメリカという物心つく前に数年過ごしただけの土地が、ただの憧れの土地というだけでなく、どこか故郷のような懐かしい感じがしたのも事実です。

洋楽(特にディズニーの曲)や英語を聞くと、とても居心地がよかったのです。

「アメリカは自由な国、自分のやりたいことを成し遂げられる場所」

勝手にそう思っていました。

学生生活は満足してしたものの、少し物足りなさがあり、ルールや規則、古い考え方の多い日本が自分には合わないとさえ思っていたのです。

留学のきっかけは失恋

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日本での大学生活はまあ悲惨なもので、自分のやりたいことも見つからず、ただただ毎日を過ごしていました。

「なぜ自分は生きているのだろう」

そう感じながら生きていた気がします。

そんな私も日本の大学を中退し、4年間ハワイで留学することに。

今では、留学経験があるというと、「すごい」と言っていただけることが多いのですが、留学のきっかけは至ってシンプル。

失恋したからです。

もちろんそれだけが理由ではありません。

前述の通り、日本が生きづらいと感じていて、いつか絶対海外へ留学すると思っていたのですが、行動に移せていなかったのです。

大学の学部内での恋愛だったため、失恋してからは仲間が離れて一人ぼっちになりました。

今振り返れば大したことではないのですが、20そこらの若造には一大事だったわけですね。

失恋を機に自分の人生に対して真剣に向き合うこととなりました。

そして留学がその答えの一つでした。

逃げるようにして日本を飛び出したのです。

ハワイでの留学生活

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ハワイでの留学は最高でした。

毎日サーフィンにロコモコ!

というわけではないですが、本当に大好きな仲間に恵まれ、本当に毎日が充実していました。

全てが自分にとって新しく、

「やっぱりアメリカは自由の国だ!」

なんて思っていました。

そしてハワイ独自の文化は僕を成長させてくれました。

ヨーロッパでバックパックしてみたり

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ハワイ大学時代にはヨーロッパで2ヶ月10か国ほど1人でバックパックをしてみました。

ホテル代もろくになかった私は、CouchSurfingという今で言うAirbnbのような民泊、かつ、ただで泊まれるサービスを利用して、

「今日おうちに泊めてくれませんか?」

とネットで知り合った人々にただで家に泊めてもらっていました。

そんなこんなで、留学や旅行を通して実にたくさんの出会いを経験し、人としても成長した気がします。

ハワイを去り、嫌いな日本で就職

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世界を旅しても、私のハワイ愛は変わらず強くありました。

「色々な国を廻ってみたけど、ハワイは最強だ」

そう思っていました。

「いつか絶対ハワイに移住する。」

それ以外の選択肢が考えられませんでした。

当時ハワイ州観光局でインターンしていた私は、ハワイを日本にアピールするマーケティングを学んでいました。

しかし、大学4年生になり、就職を考えなければならなくなった私は、ふとある思いにかられました。

「このままでは本当に日本が嫌いになってしまいそう」

「本当にこのままで、いいのだろうか」

そう考えるようになりました。

そして、何を思ったか日本での就職の道を選んだのです。

「知らない日本」を知った社会人生活

yumigahamaのコピー

帰国してからは東京の不動産会社に就職

不動産営業や経営企画、新規事業、人事採用など新卒から多くの仕事をやらせてもらい、比較的充実していました。

そして、旅好きということもあり、宿泊事業の運営を任されることに。

そこで初めて伊豆に行くように。

海や山など自然が豊かで、どこかハワイと似たような感じもある素敵な場所です。

こんなにも素敵な場所がたくさんあるのに、インバウンドブームの中、全然外国人をみかけない。

そして、市の人口はどんどんと減っていっているらしい。

若い人はみんな東京に行ってしまうという。

何より目立つのは空き家の数々

当時中古の物件をリノベして宿泊施設に転用したため、職業柄、空き家がすごい印象的でした。

「あれ、日本って今こんな感じなの?」

当時東京と海外しか知らなかった私は、地方の現状を肌で感じる機会がなかったのです。

「少子高齢化」「人口減少」「空き家問題」

こうした問題をただ見守っているだけでいいのかな。

移民や観光客が増えて、もっとお金を落としてくれたら、少しでも違う未来になるのかな。

そんなことばかりを考えていました。

「僕の国はね…」と言えなかった自分

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東京以外の日本のいいところもすこし悲しいところも見た私は、留学時代の自分を振り返って感じたことがありました。

留学したり旅をすると海外の人は自分の国のいいところも悪いところもしっかりと話してくれる。

そんな中、自分は

「日本ってこんな国なんだよ」

なんて言ったことがなかった。

というより言えなかった。

何も知らなかったから。

知ったつもりになっていいたから。

なのに、勝手に、

「日本は生きづらい国」

とか

「ルールばっかで面白くない」

と決め付けていたのです。

でも俺やっぱり日本人だから

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そんな自分が日本に就職すると決めたのも、

「やっぱり日本人だから俺!」

と思ったからでしょう。

NHKのドラマ龍馬伝で、かつてアメリカに漂流生活して日本に戻ったジョン万次郎が日本に帰ってきた理由を聞かれ、

「アメリカは世界一の大国になる。ただ、アメリカがどんだけワンダホーでも、ワシャ日本人じゃ」

と言った言葉がとても印象的でした。

きっと心のどっかで自分もそう思っていたのでしょう。

世界で活躍したサッカー選手、中田英寿さんが29歳で引退し、引退後に日本全国を旅したくなる気持ちが、今の自分にはわかるのです。

「この国にはきっと、自分の知らないことがたくさんある。そして、それを発信したい。」

そう思うようになっていったのです。

1500万円の留学で得た財産は「日本を好きなれたこと」

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もちろん留学で大切な仲間に出会えたこと、英語が話せるようになったこと、ビジネスの勉強ができたことは全て財産です。

それは大前提として、総額で1,500万円ほどかかった留学をして、本当に何を得たかと言えば、

「自分、そして、日本という国について向き合えるようになったこと」

のような気がします。

なんだそんなことか、と思った方。

がっかりさせてごめんなさい。

でも、こう考える機会ってあまりないと思うのです。

昔読んだビジネス記事には「アメリカは国内に世界がある」と書いてありました。

アメリカは世界中から色々な人種の人間が集まってきて、違うことが当たり前の国。いろんな価値観があり、いろんな人がいます。

と同時に貧富の差も激しく、ホームレスもたくさんいます。

救急車を呼べば1回10万円くらいかかります。

医療費も高いです。

逆に日本は億万長者はいなくても、生きるのにそれなりの生活はしていける人が多いです。

最新の電化製品だって、車だって、世界的に見てもまだまだいろいろなものが恵まれています。

日本食のようにこれだけ奥の深い食べ物はなかなかありません。

そんな風に留学してると日本のいいところがぽこぽこ出てきていたのに、日本を嫌いと決め付けていたのです。

嫌いもなにも、日本について何も知らなかっただけなのに。

そんな日本で自分に何ができるか?

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こうして留学を通して自分の心境に変化が生じた私ですが、自分が日本を発信するには何ができるだろうと考えた時に、自分が大好きで、自分を成長させてくれた「旅」を通して、もっと日本を発信していきたいと思うようになりました。

会社をつくり、宿泊事業や旅行事業を通じて、世界の人々はもちろんのこと、日本の人々がもっと日本を好きになれる機会を作れればこんなに楽しいことは自分にはありません。

それくらい、旅というものに魅力を感じていています。

日本をもっといきいきとした場所にしたいと言う願いを込めて、ハイファイヴ(日本語でいうハイタッチ)を社名にしました。

勝手な想いかもしれませんが、もっと日本を素晴らしい場所にする!と言う想いを抑えられなくなったので、自己紹介として投稿させていただきました。

「でもやっぱり俺は日本人だからな!」

アロハ!


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