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ツイッター社が示したアメリカ民主主義の落日

運が悪ければ、確かに2021年はアメリカの政治秩序が破壊された年となるだろう。

ツイッターがドナルド・トランプ大統領のアカウントを永久停止し発言を削除した。ほぼ時を同じくして、グーグルとアップルが共和党支持者の利用するSNSであるパーラーの削除に乗り出した。

ツイッター社は検閲と言論弾圧を加速させているという批判もあれば、民間企業が自分の所有するプラットフォーム上で何をするのも自由、という声もある。これらの意見は、おそらくある程度どれも正しい。問題は、一テック企業が一国の大統領の口を封じたという事実が象徴する、今や企業が国家に、資本主義が民主主義に優位に立っているという悲しい現実である。私はここで、Qアノンやアンティファにまつわる陰謀論やトランプ大統領の個別具体的な言動に対する評価はあえて行わない。それは本質的な要素ではないのだ。曲がりなりにも憲法に基づき公的な選挙で全アメリカ国民の代表となった大統領が、私企業の全く非民主的な恣意的判断により、行動を制限されることを余儀なくされている。これが民主主義の破壊でなければ何であろうか。しかも、ツイッター社のそうした介入にGAFAの二大巨頭が追随し、結果的に共和党を支持するという行為そのものを間接的にインターネット上から排除しつつある。

皮肉なことに、トランプ大統領の当選とその後の影響力の行使は、ツイッターをはじめとするSNSでの彼の立ち回りによって成り立っていた。さらに皮肉なことに、選挙活動でSNSを活用する戦術自体は、オバマ前大統領が初めて大々的に採用したものだった。政治とSNSとのかかわりが密接になっていく中で、そのSNSの背後にある企業が今回のような形で政治的権力を行使することが可能になったと考えると、陰謀論の一つや二つでっち上げたくもなる。

ツイッターアカウントの凍結後、トランプ大統領がスムーズな政権移行について呼びかけた時、私はカノッサの屈辱(1077)を想像した。資本主義は冒すことのできない聖なる世界であり、民主主義という卑俗な世界より上にあるのだろうか?

結局のところ、ここ四半世紀ほどで情報技術があまりにも社会を変え、支えてしまっているために、近世啓蒙思想の時代から基本設計の変わらない国家と自由民主主義という枠組みはついに資本主義に敗れる運命なのかもしれない。(例外的に、中国は人権を犠牲にかろうじて国家が資本も情報も支配できているように見えるが、それもどこまで続くやら)

今になって思うのは、どうして資本主義と民主主義が仲良く両立するなどと、ついこの前までの自分は楽観視していたのだろうということだ。

石器時代に帰りたい。


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